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宗教や信仰についての雑記 #60

◯智慧と慈悲

前回の投稿で、仏教は智慧を、キリスト教は愛を重視しているかのように見えると書きました。
しかし、原始仏典のスッタニパータに、「あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生まれる者どもに対しても、無量の慈しみの意を起こすべし。」という言葉があります。
また仏像の形式に三尊像というものがあります。
その多くは、中央に如来、その両側に菩薩を配したもので、左右の菩薩は智慧と慈悲を表しています。

また、キリスト教でもカトリックはギリシャ哲学の影響を受けて、知性を重視する傾向があるそうで、プロテスタントはその点をも批判しているそうです。
ただ、カトリックにも知性と信仰との調和を目指す側面があり、また、全てのプロテスタントがカトリックの知性偏重を批判しているわけでもないそうです。

仏教の慈悲の教えについて私個人の感想を言うと、無我や空や縁起の教えとは直接の関連はないように思えます。
無我や空や縁起の教えだけだとあまりにも冷たく無情になってしまうので、それを補正するために慈悲が説かれているようにも感じます。

しかしよくよく考えてみれば、全てが空であるならば、実体としての「悪」や「穢れ」もないので、悪の本性を持つ実体としての悪人もいないということになります。
そのような認識を持てば、慈悲の心を育みやすくなるとも思えます。

三尊像を観ると、智慧と慈悲は車の両輪のようでありますが、やはり智慧は智慧そのもののためではなく、慈悲のためにあってほしいと、私はそんなふうに思うのです。

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