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『ポストマン・ウォー』第18話:ロビンソン


『ポストマン・ウォー』第18話:ロビンソン


 それからしばらく、矢部さんに連れられ『カササギ』に通う日々が続いた。

「江原さん今日も来るってよ」と言われれば、中谷幸平は断ることができなかった。
 
 大きな負い目を抱えてしまったというように、中谷幸平は組合員の飲み会に、頻繁に顔を出すことになる。それまでの遊びの金は、すべて先輩に出してもらっていたこともあり、次の誘いを断れない負い目となり、深みに嵌っていく。一体彼らのどこにそんな金があるのか不思議でならなかったが、週の大半を飲み屋、キャバクラ、モンゴルパブのルーティンで過ごすことになる。
 
 組合活動については何ら積極的な意味を持つことはできなかった。仕事における付き合いでしかない。そう割り切ってはいるものの、その付き合いが余りに過剰で、自分の仕事以外の時間を蝕むようになってくると、苦痛以外の何物でもなくなってくる。そんな時、人はどうするか。中谷幸平は、一つの答えに辿り着いたというように自分を納得させていた。抗おうとするから辛いのであり、抗うのではなく、ただただ楽しめばよいのだと、自己暗示をかける。
 
 中谷幸平の相手はいつも、マリだった。マリは日本での生活に慣れてきて、日本語も流暢になっている。モンゴルパブの女性たちは嫉妬深いから、最初についた子を指名替えするのは、ご法度ということであった。吉田さんも矢部さんも初めて来た時からずっと同じ女性がついている。中谷幸平もそれに習い、指名替えするということはしなかった。

『カササギ』に来るたびにマリと会うことになり、当たり障りのない話をしているつもりであったが、頻繁に顔を合わせていると、そのうちお互いのいろんなことを話すようになる。彼女でもないのに、いちばん身近な存在のように感じてしまうのが不思議であった。
 
 その日も、いつものメンバーで飲み、三軒目あたりで『カササギ』に行くことになった。江原さんは七月にあるという支部対抗の野球大会の話をする。中谷幸平には誘いはなかったが、組合活動の一環で野球のレクリエーションもあり、月一の頻度で江戸川付近の運動公園で野球の練習をしているという。チームを結成していて、G町連絡会のメンバーが多いこともあり、ゴールドタウンズというチーム名なのだという。

「中谷君も一度来てみれば」矢部さんが唐突に話を振ってくる。

「お、中谷君も野球やるの?」倉地さんが中谷幸平の方を見る。

「いや、自分はスポーツまったくダメなんで」
 
 さすがにこれ以上、踏み込んでほしくなかった。野球を始めようものなら、週末の休みまでも奪われてしまう。

「休日はバンド活動が忙しくて」

 出鱈目な話でその場を切り抜けようとしたが、思いの他、矢部さんが食い付いてきて、どんな音楽やっているのか、いつからやっているのかなどと訊いてくるので、取り繕うのに苦労した。
 
 野球の話は、そのまま流れてくれた。いつものことであったが、吉田さんは気分が良くなり、カラオケをしたいなどと言い出している。

「中谷サン、バンドヤッテルノ?ドンナ音楽好キ?」

 マリも中谷幸平のバンドの話が気になったようで、二人での会話になった時も、話を引っ張る。

「ビジュアル系かな」

 中谷幸平は高校の頃に流行っていた音楽ジャンルから、幾つかのバンド名を挙げる。もちろんマリは知らなかった。

「マリは日本で好きな曲とかある?」中谷幸平は反対に訊いてみる。マリは

「えー」と可愛らしく口を尖らせながら「最近ダト、宇多田サントカ?」と思い出したように言う。

「ああ、宇多田ヒカルか。最近デビューした子だ。あれは衝撃だったね」
 
 当たり障りのない会話だ、と心のどこかでは思っている。ただ、こういう酒の場では、そんな内容でよいのだ。ただ、こうもしょっちゅう店に来て、同じ女性と話していると、会話のネタは流石に尽きてくる。

「そういえば、前から思っていたけど、モンゴルパブって珍しくない?」

 中谷幸平は取り繕うように話を振る。

「エ、ドウイウコト?」マリは少しだけ首を傾げた。

「ほら、中国とかフィリピンとかのパブはよく見かけるんだけどさ、モンゴルパブってあまり見ないなあって」

「ソンナコトナイヨ、最近、モンゴルノ店、東京デ増エテイルヨ」

「え、そうなの?G町だけじゃないんだ」

「違ウ。本店ハ、K町ニモアル」

「そうなんだ。江原さんとか、K町勤務なのに、わざわざこっちに来るんだ」

「ドウナンデショウ、K町ハ、マダデキタバカリデ小サイシ、女ノ子少ナイ。ダカラ面白クナイノカモ」

「そうなんだ」中谷幸平は大げさに相槌を打つ。

「アトハ、新宿トカモ、出店ヲ考エテイルミタイ。オーナーガ、言ッテタ」

「オーナー?そうか、オーナーがいるんだね。モンゴル人なの?」

「ココノオーナーハ、モンゴルノ人。デモ、本店仕切ッテルノハモット偉イ人タチ。ロシア人トカ」
 
 中谷幸平は、夜の街の実情について考えたこともなかったが、マリの話を聞いているうちに、それはそれで興味深くなってきた。

「なにひそひそ話しているんだ」という周りからのヤジが入ったが、酒に酔っていることもあり、中谷幸平の個人プレイをそれ以上気にする者はいない。中谷幸平は構わず、マリから業界の事情というものを聞き出そうとした。
 
 すると、マリは少し困った顔つきになり「G町ハダメ。中国人ガ多スギル」と言う。詳しく聞いてみると、G町の繁華街で、いわゆる夜の店、それはキャバクラから性風俗までを指す、が多いのは中国人の店で、ここ最近特に中国の勢いが凄いのだという。マリは、これは私の話ではなく、オーナーから聞いた話と前置きしたうえで、さらに深いところまでを話してくれた。
 
 もともとここのG町の繁華街を仕切っていたのは日本人であったが、中国が入って来てから、手を焼いているのだという。店舗の数、そこで働く女性らの数は日に日に増え、G町はチャイナタウンのようだとさえ言う。中谷幸平には、実感が湧かなかった。
 
 マリは続けた。中国人はとにかく、日本でのルールを守らない。性風俗に至っては、禁止行為である本番までを平気で許容し、ソープランドよりも遥かに安い金額で売っているものだから、G町でソープランドを運営する者らが迷惑をしているという。

「それって怖い人たち?」

「私、ソコマデハ、知ラナイヨ」マリは強く首を振る。

「トニカク、私タチ中国人に困ッテイル。アノ人タチ、イツモ偉ソウ。誰モ、何モ言エナイカラ、自分タチ一番ダト思ッテイル」

「モンゴル人ハ、イジメラレテルヨ。G町カラ追イ出ソウトシテイル、オーナー言ッテタ」。

 マリの語気が次第に強まっていた。その声に江原さんたちも驚き、マリに視線が集まる。

「ゴメンナサイ、何デモナイデス」とマリが言うと、江原さんたちは、また自分たちの会話に戻ったが、マリの目に涙が浮かんでいるのがわかった。

「いじめられているってどんな風に」中谷幸平が追及すると、マリはこの話はおしまいにしましょうというように、自分の人差し指を中谷幸平の唇にあて、首を左右に振る。

「大丈夫。コレハ私タチノコト。中谷サンハ気ニシナクテイイ」と溜息交じりに言う。そう言われてしまうと、余計に気になるのが人間の性だが、中谷幸平はマリの気持ちを察して、それ以上は深入りしないことにした。
 
 しばらくして、吉田さんがカラオケをするためにステージに立った。いつものようにモンゴルの民族衣装を着て、馬頭琴の音色が響く『馬の歌』を熱唱する。すると、江原さんが、民族音楽もいいけど、日本の歌も聞かせてやれと、矢部さんと中谷幸平に指示をした。

「中谷君、バンドマンだろう?日本のロックを聞かせてやってくれよ」矢部さんが逃げるように言うと「じゃあ中谷で決まり」という雰囲気になる。
 
 吉田さんの歌が終わると、中谷幸平がステージに立つことになった。マリが横でエスコートしてくれて、腕を絡めたまま、自分の客が何を歌ってくれるのだろうかという期待の目で、中谷幸平の横顔を覗いてくる。

 江原さんたちが、やんやと歓声を送る。中谷幸平が選んだ曲はスピッツの『ロビンソン』であった。


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