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『ポストマン・ウォー』第16話:宴会


『ポストマン・ウォー』第16話:宴会


 矢部さんが教えてくれたホテル地下の宴会場には、続々と郵便局員が集まっていて、会場内の円卓を囲んで、すでに瓶ビールを注ぎ合いながら飲み始めているものもいた。ホテルの従業員は忙しそうに場内を駆け回り、騒々しい。

 中谷幸平と新堀さんは「乾杯終わったら適当に抜けよう」とお互いに言い聞かせ、会場隅で、ウェルカムドリンクを片手に仁王立ちしていた。特に交わす言葉もなく、中谷幸平はやり場のない状況を、仕方なく酒を飲むことでごまかした。

「お前ら来てくれたか」吉田さんが突然現れ、二人に声をかけてきた。

「この間はご馳走様でした」新堀さんが深々とお辞儀をする。中谷幸平も続けて礼を言う。吉田さんは「新堀、紹介したい人がいるから来い」といって、新堀さんを連れ、人混みの方へ行ってしまった。
 
 中谷幸平は一人取り残された形になり、より一層、その場にいることがいたたまれなくなる。しばらくすると、会場前方で「みなさまのご活躍とますますのご発展に」と乾杯の音頭がなされていて、乾杯という唱和とともに、グラスを持った腕が一斉に掲げられる。
 
 多くの人は、それぞれの円卓で雑談を交わしていた。知り合いという知り合いがいなかった中谷幸平は、どうしていいかもわからず、グラスの酒を飲みながら、せっかくなので腹を満たそうと、会場端に並べられていたビュッフェで食事に専念することにした。

 中谷幸平のように、手持ち無沙汰にしている人間は他にもいて、彼らは何のためにこの会にいるのかが不思議でならなかったが、自分もきっとそう思われているのだろうと思い直し、苦笑する。そろそろ出ようかと食事もほどほどに、グラスをカウンターに返そうとした時、後ろから声をかけてくる人がいて、振り返ると矢部さんであった。

「中谷君、来てくれたんだね」

「いや、矢部さんが来いって言うから」思わず突っ込みを入れる。

「K町の人たち紹介するから来なよ」矢部さんはそう言って中谷幸平の肩に手をかける。
 
 矢部さんに連れられ、K町連絡会の組合員らが固まる輪の中に入ることになった。

「俺の後輩です」矢部さんが得意気に中谷幸平を紹介する。

「おお、中谷君ね。初めまして」そう言って中谷幸平に握手を求めてきたのは、五島さんという方で、倉地さん同様に真っ黒に日焼けしていて、サーファー風な風貌はとても公務員に見えない。

「五島さんは倉地さんの一つ先輩。チャラいって思ったでしょ?本当にチャラいから」

「バカ野郎、お前に言われたくない」五島さんが笑いながら矢部さんの額を小突いた。周りの人間も一緒になって笑う。五島さんの他に、男性が三人、女性が二人くらいいて、五島さんを囲うようにしていた。

「矢部が先輩か、可哀そうに」一人の男性がそう言うと、また笑いが起きた。

「どういう意味ですかあ」矢部さんが笑いながら突っ込む。矢部さんは、先輩職員らに可愛がられているらしい。それがすぐにわかるやり取りであった。

「中谷君は、すごいまじめな奴で、組合もぜひ頑張りたいって言うんで、今日連れてきました」

 矢部さんが適当な説明をするので、中谷幸平は戸惑い「いやそんなつもりでは」と否定しようと思ったが、「それは素晴らしい」と五島さんが目を輝かせて、中谷幸平に再び握手を求めてきた。

「年々組合に入ってくれる人間は減っていてさ。君みたいな有志は本当に貴重だ」と熱っぽく語りだす。中谷幸平はますます返答に詰まってしまった。

「これからもよろしくね」五島さんは厚い手で、中谷幸平の手を力強く握る。矢部さんの方をチラと見たが、矢部さんはすでに違う人間と別の会話に移っていた。
 
 五島さんはグラス片手に、組合についての話を延々と中谷幸平に語り聞かせた。それだけで十五分くらいはあっただろうか。中谷幸平は「なるほどなるほど」と相槌を打つことで調子を合わせていたが、次第にしんどくなってくる。
 
 五島さんの知り合いらしき男性が横から入ってくると「それじゃ、また」と五島さんはあっさりと言い、酒を取ってくるとバーカウンターの方へと行ってしまった。中谷幸平は解放された気分になり、少し安心する。
 
 周囲を見渡すと、矢部さんはすでにその円卓からはいなくなっていて、どの人間もだいぶ酒が入っているようで、陽気な笑い声は絶えることなく聞こえてくる。
 
 中谷幸平もそれなりに酒を飲んできたことで少し気分が良くなっていた。ドリンクカウンターに行き、いろんな人間の注文で混雑している中、ハイボール頼む。ホテルの従業員が酒を作るところを見ながら一息ついていると、同じように酒を待っていた隣の女性が、突然話しかけてきた。

「あれ、お兄さん、さっき五島さんのところに来た人だね。中谷君だっけ」
 
 年齢は三十代くらいだろうか。明らかに年上で、格好は少し若作りしているという印象であったが、そういえば五島さんを囲っている人たちの中にいたかもしれない、と中谷幸平は思い出す。

「K町連絡会の方ですか?」

「うんうん。私はI町連絡会。五島さんとは昔からの知り合いなの」女は酔っているのか、妙に甘い声で返してくる。

「あ、そうなんですね」中谷幸平はどういう会話をすればよいか困ったような返事をする。先にその女性の方の酒が出てきた。その後に中谷幸平が頼んだハイボールが出来上がり、中谷幸平が受け取ると、女性はなおも話しかけてきて、しばらくそのカウンターでの立ち話が続いた。

 名前は篠崎絵里ということがわかった。組合活動は長く、矢部さんのことも知っていて「あいつパチだけよね」と小ばかにしたように話す。中谷幸平が来るまでは、矢部さんが組合仲間の中でも一番後輩だったようで、いじられキャラとして可愛がられてきたのだのという。

「中谷君入ってきて嬉しいんじゃないかな。ずっと後輩ほしがっていたから」

 どういうわけか、篠崎絵里はずっと中谷幸平との会話を続けた。途中、たびたび知り合いの人間が横から入ってきて、複数人での会話にもなったが、気が付くと篠崎絵里と二人という状況が多くなっていた。その間に何杯くらいの酒を飲んだだろうか。中谷幸平も、他に話す相手もいないからと、ついつい酒が進み、長居してしまうことになる。

 中谷幸平のことについても根掘り葉掘り聞かれ、ついつい学生時代のことなど余計なことまで話していた。ただ、それ以上に篠崎絵里の方が饒舌で、組合のことをいろいろと話してくる。その話の中で、江原さんという名前も出てきた。そうえいば、矢部さんに紹介すると言われていたが江原さんとはまだ顔も合わせていない。

 その江原さんを大将として、江原一派というものがあり、さっき知り合った五島さんも、倉地さんらもみな江原ファミリーの一員ということであった。

「矢部君の後輩ということは、中谷君も江原一派よ」

「江原さんはどこの連絡会なんですか?」

「I町」

「あ、では篠崎さんと同じなんですね」

「そう。I町、S町、K町、G町。ここのラインが、江原一派なんだよね」

「なるほど。しかし郵便局の組合ってとんでもなく大きいんですね。これだけいても『東東京支部』ですもんね。全国ってなると、相当な・・・」

「そりゃそうよ。特定郵便局の局長ってどれだけいるかしっている? 二万よ。局長だけで二万。それだけで政治を動かす力を持っているんだから。でも組織の底辺にいる局員からなっている組合は、数でいえばその何倍もあるわけ」

「想像もつかないですね」

「そう、巨大な力よ。世の中を本気で変えるには十分な人数」

「え?」篠崎絵里の意味あり気な言葉に、中谷幸平は思わず聞き返す。

「でも、こうして飲み食いして、バカ騒ぎしているだけ」篠崎絵里は少し遠い目をする。

「誰も本気で、自分たちの環境や制度を変えようなんて思ってない。組合なんて形だけ。烏合の集団よ。連帯しているだけで安心を引き換えにしているのよね」

「その話、面白そうです」中谷幸平はつい前のめりになる。だが、篠崎絵里はそれ以上語ろうとしなかった。中谷君には彼女がいるか、などと他愛もない話になり、彼女の呂律も回り始めなくなっていることに気付く。
 
 会が終わりに近づくにつれ、周囲が急に乱れ始めてきていることがわかった。中には女性の肩や腰に手を回す男性職員もいて、女性たちもそれはそれで喜んでいたりする。
 
 そんな光景を目にして、一緒にいた篠崎絵里は「最後はこういう感じなの、いつも。普段はまじめな公務員やっているくせに、こうやってバカ騒ぎして、そのうちおっぱじめる奴もいるから」

「え?本当ですか」

「本当よ。あ、でも今はコンプラが厳しいからそんなことないか。でも数年前は、ここでいい感じになった男女は、トイレとか裏階段に移動しておっ始めるの」

「信じられない」

「やあ、飲みすぎたなあ」篠崎絵里はそう言うと、両手を大きくあげ、体をふらふら横に揺らしていた。  
 
 中谷幸平は、そろそろ帰りの時間が気になり始めた。篠崎絵里がだいぶ酔っているのがわかったので少し心配になったが、酔った人間に長く付き合わされるのは、それはそれで面倒であった。そっと立ち去ったほうがよいと思い、手洗いに行きますと言って篠崎絵里から離れることにした。
 
 新堀さんや矢部さんはどうしているのかが気になったが、見かけることはなくなった。もしかしたら新堀さんは先に帰っているのかもしれない。念のため携帯電話を確認したが、着信履歴はなかった。
 
 中谷幸平が用を済まして男性トイレから出た時であった。酔って壁にもたれかかった篠崎絵里がそこにいて「一人にしないで」と世迷いごとを言う。ついてきたようだった。

「すみません、トイレに行っていました」
 
 すると篠崎絵里はふらついた足で、突然中谷幸平にもたれかかってきて、中谷幸平も倒れまいと踏ん張り、つい篠崎絵里を抱きかかえるような格好になる。そこは手洗い所がある通路で、人も多く行き交う場所であった。周囲の誤解を与えまいと、中谷幸平は少し距離をとり、それでも篠崎絵里は一人で立てないような感じでであったから、腕だけ掴んで歩くのを支えた。ホワイエに客用のソファがあったので、ひとまずそこに篠崎絵里を連れていき座らせる。

「水を持ってきます」と中谷幸平が再びその場を去ろうとすると、篠崎絵里は中谷幸平の腕をぐいと掴み、どこにそんな力があるのだという強さで引っ張るのであった。その力で中谷幸平は思わずよろめき、篠崎絵里に覆いかぶさるようになった。中谷幸平のすぐ近くには、篠崎絵里の顔があり、とろけたような目で中谷幸平を覗き込む。

「ねえ、この後二人でどこか行こうよ」

「え?どこに行くんですか」中谷幸平は、女の強引な誘いに戸惑う。周囲の目は気になったが、酒のせいか、警戒心は少し鈍っている。

「女の私に言わせないで」篠崎絵里はそう言うと膝を立てて、中谷幸平の内股に押し付けてきた。中谷幸平はまさかと思ったが、篠崎絵里の膝の動きは次第に大胆になってくる。

「や、ちょっとこういうのはよくないです」

「かわいい」篠崎絵里はそう言うと、素早く唇を押し付けてきた。彼女が飲んでいたワインの甘い匂いがした。中谷幸平も反射的に口を開けて、女の舌が入ってくるのを受け入れてしまった。
 
 だが、そこがどんな場所であるかを思い返し、中谷幸平は彼女の体を引き離した。

「止めましょう。いろんな人がいるんで」

「誰も気にしてないから」篠崎絵里は不敵に笑う。
 
 周囲を確認すると、ほとんどの者は会場で酒を飲みながら談笑をしていて、ホワイエを往来する人間は少なかった。いたとしても、こちらを気にしている様子はない。
 
 篠崎絵里は、もっと大胆になっていて、中谷幸平の頭を両腕で抱えると、再び唇を押し付け、舌を絡ませてくる。次第にどうにでもなれという気分になり、中谷幸平は今起きている現実を受け止めた。女の息遣いが荒くなってくると、これならもうホテルに行った方がよいのではと思い、数分後に女が裸になっている姿を想像した。
 
 篠崎絵里の唇を、今度はこっちから吸い上げようとした時、突然「きゃ」と声を上げ、篠崎絵里は中谷幸平を突き飛ばし、ソファから立ち上がった。突き飛ばすといってもそんなに力が入ったものではなかったので、倒れるほどではなかったが、少しよろめいた。

 中谷幸平は何があったのかと、篠崎絵里の方を見るが、彼女の視線の先に誰かがいることがわかった。振り返ると、五島さんが目の前に立っていて、日焼けした顔をにやつかせながら「絵里ちゃん、それはまずいんじゃない」とぼそっと言う。

「いや、これは」本能的に恐怖と後悔の念を感じ取った中谷幸平は、言葉を詰まらせながら五島さんに言い聞かせようとする。
 
 篠崎絵里は言葉を発することなく、少し不機嫌な表情でその場を去ってしまった。
 
 去っていく篠崎絵里の姿を、五島さんは鋭い視線で追っていた。中谷幸平は何をどう言い訳してよいかもわからず、立ちすくむことしかできなかった。まさか五島さんの女だったとかではないだろうな、などいろんな思いが頭をよぎる。

「あの女は気をつけろ」

 五島さんは中谷幸平の肩に手を置き、優しい口調で囁いた。

「え」中谷幸平は五島さんを見つめ返す。

「ビッチだから」五島さんは冷たい感じで言い放った。

「それと、俺たちは公務員だからさ。場はわきまえておいた方がいいぜ」
 

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