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『ポストマン・ウォー』第22話:信書開封罪


『ポストマン・ウォー』第22話:信書開封罪


「中谷君、昨日『カササギ』行ったんだって?」

 翌朝、更衣室で着替えながら、矢部さんはにやにやしながら中谷幸平に訊いてくる。
 
 ついに自分から店に行くようになったか、と矢部さんは誇らし気にしている。

「矢部さん、体調は大丈夫なんですか?」

「ああ、昨日はごめんね。ちょっと飲み過ぎちゃって。二日酔いで丸一日寝込んでたよ」

「そんな言い訳通用しますか?」と中谷幸平は笑いながら矢部さんに突っ込む。

「ほんとごめん、局長には風邪って言ってあるから、口裏合わせてくれ」
 
 矢部さんは何事もなかったように出勤してきた。それはそうである。G町の中国マフィアに襲われた矢部さんなど、存在しない。

 それは、中谷幸平が『カササギ』で酒を飲んでいる時に、勝手に仕立てたストーリーである。ただ、その後マリが急に帰宅したという話を受けて、妙な生々しさが残った。マリの話はどこか他人事ではない気がしたのだ。

 マリが、客に口を滑らすものだから、ドルジさんはマリを奥に引っ込めたのではないだろうか。客商売をやっている立場からすれば、客が不安になってしまうような話などすべきではない。ただ、中谷幸平はマリからはっきりと聞いてしまったのだ。G町の夜の店で働く中国人とモンゴル人のいざこざから、ドルジさんが暴行を受けたという話を。

「どうせ、お酒で来れなくなったんでしょ」
 
 昨日の欠勤の理由について、柴田主任に嫌味を言われながら「いやいや急に熱が出てしまいまして」と言いながら矢部さんはカウンターに就く。普段の素行のせいで、信用されていないようだ。高城さんの目もどこか冷ややかである。

 中谷幸平はいつものように、郵便の窓口を担当する。パートの峰岸さんは休みとのことで、今日は一日、一人でさばかなければならない。そんなに忙しくなることはないだろうと思ってはいたが、予想通りこの日の客足は少なかった。
 
 外はいつものような暑さで、商店街を行き来する人も極端に少ない。こんな暑さでは外にも出たくないだろうと思いながら、中谷幸平は切手の在庫などを数えながら、時間を過ごそうとする。矢部さんもやることがないので、欠伸をしながら札束を数える練習をしている。

 時折、世間話でもしようと隣の高城さんに話かけるのだが、高城さんの態度が余りにも素っ気ないので、二人のやり取りを聞いて、思わず笑ってしまう。

 午後、三時を過ぎようとした頃であった。夕方にかけて客は少しずつ増えてはきたが、それでも繁忙というまでにはいかないくらいで、このまま今日も平和に仕事が終わってほしいと考えていた頃、私服姿のマリが突然やって来た。

 どうやら今回は、一人で来ているようだ。マリに気付いた中谷幸平は、思わず「体調大丈夫なの?」と、店でするような物言いで訊く。

「中谷サン、昨日ハゴメンナサイネ。途中デ帰ッテシマッテ」

 マリはそう言って、左腕にぶら下げていたバッグから、郵便物を出す。故郷に送る手紙か。
 
 マリは胸元が大きく開いたキャミソール着ていて、まるでその胸元を中谷幸平に見せつけるかのように、カウンターに寄り掛かる。『カササギ』ではあまり意識していなかったが、改めて見せつけられると、相当な巨乳のようである。

「ウランバートルですね、五百円になります」

 中谷幸平は平静を装って郵便物を受け付けながらも、視線はその胸元に行ってしまう。

「体調が良くないって聞いたよ」と声をかける。マリは少し困惑した表情で

「ソウ、デモ大丈夫ダカラ。マタ遊ビニ来テホシイ」と言う。

 ドルジさんから口止めされているのだろう、これ以上変な話をしてほしくないから、無理やり帰らされたのではないかと中谷幸平は推測していたが、追及することはしなかった。

「また行くから」

 中谷幸平がそう言うと、マリは嬉しそうに笑みを浮かべ、中谷幸平に手を振って店を出て行った。

「またあの子じゃない」

 中谷幸平の背後に、柴田主任が立っていた。

「相当、入れ込んでいるようね。中谷君」

 そう言って柴田主任が苦笑いすると、隣から矢部さんが「中谷君の彼女です」とにやけた顔で茶々を入れる。

「違いますよ」

 中谷幸平は少しむきになって打ち消した。

「中谷君も、あんな派手な子が好きだなんて。あんたたち、ほどほどにしてよね。そのうち結婚とか申し込まれたらどうするの?」

「結婚ですか?」

「そうよ。外国人の女性が日本で働く理由なんて、日本人と籍を入れたいとかそういうことに決まってるじゃない」
 
 それは偏見というものでは、と中谷幸平は言い返そうと思ったが「あながち間違っていないですね。吉田さんも結婚するつもりでいかますから」と、矢部さんが真面目な顔で答える。

「中谷君も国際結婚か」

「そんなんじゃないですよ」
 
 そんなやり取りをして、まるで放課後の男子高生のような会話で盛り上げっていると、一番奥のカウンターで高城さんが、軽蔑する眼差しで、こちらを睨みつけていた。

「でも、あの子、ここのところよく手紙出しに来るわね」

「そうなんですか?」
 
 中谷幸平は柴田主任の方を見る。

「昨日来たでしょう。一昨日もその前の週もそうよ。中谷君が休憩に入っている時かな」

「へー。マメなんですね。モンゴルに送ってると思うんですが、そんなに手紙で書くことあるんですかね。日本で好きな人ができたの、とかか?」

 矢部さんは中谷幸平を冷やかすように言う。

「やめてください」と、中谷幸平は笑いながら矢部さんに突っ込みを入れた。 
 
 閉店まであと僅かの時間であった。矢部さんと高城さんたちは、突合業務に入り、お金を数え始めている。仕事が早く終わり、今日みたいな展開があると、矢部さんから『カササギ』に行こうと誘われるのは目に見えていたが、今日はどんなことがあっても真っすぐ帰ろう、と中谷幸平は思った。昨日の夜に行っているので、さすがにヘトヘトである。
 
 窓口で受け付けた郵便物は、普通郵便局からの定時集荷があり、集配の運転手さんに渡すことになっている。最後の集荷で、受け付けた郵便物を整理している時、中谷幸平はふと、マリの手紙のことが気になってしまった。
 
 柴田主任が不思議がっていたように、一通あたりそんなに安くない郵便をそんな頻繁に送るものだろうか。両親思いということであれば、それもそうなのかもしれない。
 
 もしかしたら、その手紙に、東京のG町で身に起きていること、中国人とのいざこざについてが、書かれていたりはしないだろうか。そんな思いが過ってしまった。
 
 一度、何かが気になってしまうと、その思いを引っ込めることができないのは、昔からの性格であった。時間が経つにつれ、マリの手紙の中身について、それを知りたいという欲求が、膨らんでいた。
 
 途端、心臓が強い鼓動を打ち始めた。

「読みたいなら、読んでみればいい」

 そんな思いが一瞬過り、自分がこれから何をしようとしているのか、その邪念を打ち消す必要があった。

「信書開封罪」

 これは、郵便局員となった人間が、新卒研修で最初に叩き込まれる法律である。信書を預かる郵便局員にあってはならない行為である。貯金や保険で預かったお金の横領ももちろんそうだが、他人の手紙を読むということは、同じくらい罪が重い。

 それは、分かっていた。分かっていたが、中谷幸平は行動に出てしまっていた。
 
 

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