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『ポストマン・ウォー』第20話:マフィアの抗争?


『ポストマン・ウォー』第20話:マフィアの抗争?


「矢部君が体調不良で休みとのことなので、今日は中谷君、貯金の窓口お願いするわね。郵便は峰岸さんと私でやるから」

 朝一番に柴田主任にそう告げられ、中谷幸平は少し不安になった。貯金業務についても色々と教えてもらうようにはなり、実際の接客も少しはこなしてきたが、フルで窓口を担当するのは初めてだ。矢部さんのことは少し気掛かりであったが、どうせまた酒の飲み過ぎとかで、欠勤することにしたのだろう。

「本当に忙しくなったら、私は中谷君をバックアップしますので、杉山局長は状況見て、峰岸さんをフォローしてくださいね」

 柴田主任は、鼻歌交りに新聞を読んでいた杉山局長に向かって釘を刺す。

「はい、大丈夫です、任せてください」

 杉山局長ははっとなり、取り繕ったような返事をする。五名程度しかいない小さな郵便局では、一人の欠勤はクリティカルである。体調不良で休みを取ることは、負い目を感じてしまうため、そうそうできることではなかったが、ここ最近の矢部さんの勤怠は酷いものだった。
 
 幸いなことに、その日は忙しいというわけでもなく、ごくごく平均的な来客ペースであったから、不慣れな貯金業務も落ち着いて捌くことができた。女性社員の高城さんも中谷幸平を気遣って、手が空いた時には細かい作業を手伝ってくれるのであった。滅多に言葉を交わさない高城さんと、色々と世間話をすることもでき、妙な充実感があった。
 
 今日は平和に一日が終わりそうだと、終業までの時間をカウントダウンしていた頃であった。貯金窓口を先に閉め、郵便だけを受け付けていた時間帯に、誰か客が入ってきたらしく、峰岸さんが隣から中谷幸平に声をかける。

「中谷君、お客さんみたい」
 
 中谷幸平は突合計算していた手を止め、顔を上げると、郵便受付にいたのは『カササギ』のマリであった。いつも来ていた他のモンゴル人女性、ミサとユキも一緒のようであった。三人で来るというのは珍しいな、と中谷幸平は思った。
 
 マリと目が合うと、中谷幸平は照れ臭く会釈するが、他の局員に誤解を与えたくないと、毅然な態度で接することにした。

「どうされました?」

 中谷幸平はわざとらしく敬語で訊ねる。

「中谷サン、コンニチワ。手紙出シニ来タ」

 マリは中谷幸平が働く姿を見れて嬉しいというように、にやにやしながら答える。
 
 来日して時間が経ったので、故郷の親に手紙と仕送りをしたいのだという。『カササギ』の女性の習慣なのだろう。日本で働くのはそのためだ。モンゴルで働くより何十倍の稼ぎになるというのだから。
 
 中谷幸平は、雑談はほどほどにマリの郵便物を事務的に受け付けた。マリも空気を察したか、店でのやり取りのような言葉遣いは慎んでいたが、帰り際に「今日、江原サン来ルミタイ」と言い残し、局を去っていった。
 
 局に来て「営業」かと思い、呆れるようにして中谷幸平が自席に戻ろうとすると、マリとの会話に聞き耳を立てていたのか、柴田主任がつかつかと横にやって来て「中谷君、まさかあなたもモンゴルパブ行っているの?」と訊いてくる。柴田主任から言われるのは恥ずかしくもあり、中谷幸平は焦った顔で振り返る。

「どうせ吉田君たちでしょ?」

 柴田主任はいろいろ知っているからね、という顔をする。

「はい、たまに誘われることがありまして」と中谷幸平が慎重な言い回しで答えると、柴田主任は苦笑し「あんまり彼らに深入りしないようにね」と意味深なことを言ってきた。

「どういうことですか?」と訊き返したくなったが、どうせ、組合の深入りはやめておけということなのだろうと思い、言葉にするのは思い留めた。

「彼らと遊んでいたら、ろくなことないから。矢部君見てればわかるでしょ」
 
 その日の帰り、中谷幸平は真っすぐ帰るつもりでいたが、なぜかマリのことが気になり始め、『カササギ』に行くべきかどうかを迷った。

『カササギ』に行くのは、あくまで矢部さんから誘いがあったうえでのことだ。江原さんや倉地さんも、矢部さんを通してでしか、飲みに行こうとは言ってこない。
 
 それにも関わらず、中谷幸平の足は『カササギ』に向いていた。矢部さんがいないということもあり、どこか開放感があった。普段は連れて行かれるだけの店であり、そこに主体性が芽生えるのは明らかに捻じ曲がった感情であるに違いなかったが、行きたいから行く。そこに強い自分の意思を感じることができた。
 
 マリが喜ぶ顔が浮かんだ。
 
 案の定、店の扉を開けた瞬間に、中から女性らの歓喜の声があがった。マリの営業により、中谷幸平がたった一人で店に来たのだ。

「中谷サン、私嬉シイ」マリが飛びついて中谷幸平の肩に腕を回す。
 
 店の奥では既に江原さんたちがいつものように居座っていて、中谷幸平の突然の来店に驚きが隠せなかったようだ。

「まさかお前一人で来るとは」江原さんはそう言いながらどこか嬉しそうだった。中谷幸平がついに一人前になったと言わんばかりに、倉地さんや吉田さんと顔を見合わせて誇らし気にしている。

「矢部は病欠だろう?どうして一人で来る気になったの?」

 倉地さんは、まだ信じられないという顔で中谷幸平を見る。

「今日マリが、うちの郵便局に来まして」

「営業された?」

「まあ、そんな感じです」

 中谷幸平は照れ臭そうに席に着くと、マリがすかさず差し出してきたおしぼりに手をやる。
 
 そこからは、いつも通りの展開であった。乾杯のビールを終えると、あとは焼酎水割りを延々と続ける。

「私の誘いで中谷さんが来てくれるのは嬉しい」

 マリは最初こそ笑いながら会話をしていたが、時折覗かせる顔がどこか悲し気であることを、中谷幸平は見逃さなかった。いつもと違う雰囲気であることは明らかであったが、中谷幸平もあえて深入りしなかった。
 
 しばらくして、酒を運んでくるいつものボーイが姿を現したが、なぜか左目に眼帯をしていた。

「お兄さん、目、どうしたの?」倉地さんが酔った声で訊ねる。
 
 ボーイはいやーと照れ笑いしながら、ある夜、ベロベロに酔ったまま自転車で帰ったことがあり、カーブでハンドルが切れず、そのままガードレールに突っ込んでしまったのだと説明する。

「まさか、それで目を?」

「ガードレール、鋭イトコロアリマスヨネ。ソコニ、目ヲ打チツケテシマッタンデス」

「痛い痛い痛い」吉田さんが顔を顰めながら言った。

「何でそんな飲んじゃったのよ」江原さんが心配そうな目でボーイを見る。

「仕事ガ辛イ時ガアリマシテ。皆サンモソウイウ時アリマスヨネ」

「酔ったら自転車は乗っちゃだめだよ、飲酒運転で捕まるぞ」と江原さんが言うと周囲から笑いが起きた。
 
 ボーイは気を付けますと舌を出し、空いた料理皿を手に取りながら奥に戻っていった。 
 
 中谷幸平も、ボーイが目を打ち付けた時の光景を想像して、痛々しい思いになった。
 
 ふとマリの方を見ると、彼女が浮かない顔をしていたので「どうしたの?」と中谷幸平がマリの横顔を覗きこむ。
 
 何でもない、とマリは頭を振り、平然とした態度で中谷幸平の酒を注ぐが、明らかに表情は曇っていた。

「マリ、何かあったなら教えて」

 中谷幸平はそう言ってマリの肩に手を置く。自然としてしまった仕草だが、考えてみればマリの体に触れたことはこれまで一度もなかった。マリも酒を飲んでいたせいか、体が熱くなっているのがわかった。するとマリは声を潜めて、中谷幸平に耳打ちをしてきた。声が震えているような気がした。

「ドルジサン、本当ハ自転車ジャナイ」
 
 ドルジとはボーイの名前かと訊くと、そうだとマリは答える。

「自転車じゃないってどういうこと?」

「私、前ニ言ッタコトアル。中国人ノコト」

 マリは一層に声を潜め、中谷幸平に秘密の話を打ち明けるように言う。中谷幸平は、それが何か関係あるのか?と訊き返す。

「G町ノ中国人タチ、最近マタイジメガ酷クナッテル」

 マリの目に薄っすらと涙を浮かんでいるのが分かった。

「ミカ、ナオ、ミサ、ユキ、ミンナ何モナイヨウニ、シッカリシテルケド、本当ハ違ウ。ミンナ、我慢シテイル」

「何があったのか教えてくれ」中谷幸平は真剣な目で身を乗り出す。
 
 マリは周囲に悟られまいと、弱々しい声はやめ、あくまで普通の会話だというように、ドジルさんの身に起きた一週間前の出来事を静かに語り出した。
 
 ドジルさん含む『カササギ』の仲良しメンバーで、新メンバーの歓迎会を行った日のことである。営業終了後の『カササギ』でさんざん酒を飲んでから、二次会でよく使う韓国ラーメン屋に行こうとなり、いつものようにその店でマッコリを飲みながら、故郷の話などを楽しんでいた時であった。少し盛り上がり過ぎてしまった彼女たちに、隣にいた男女四人が、急に剣幕な顔で絡みだしてきて「五月蠅いから店を出て行け」といちゃもんをつけてきたのだという。 
 
 言い争いの中で、その四人がG町で一番大きな中国パブ『桃源郷』で働く人間であることがわかったが、彼らも、マリたちが『カササギ』の人間であるとわかっていて、「モンゴル人はG町から出て行け」とまくし立ててきた。
 
 そのうち、中国人側の男二人と、『カササギ』側で男一人だったドルジさんが胸倉の掴み合いになり、見かねたラーメン屋店主の「警察呼ぶぞ」という声で、一度は外に出たものの、取っ組み合いはおさまらず、近くのゴミ箱や立て看板をなぎ倒すなどで、騒然となった。マリたちは何とか喧嘩をおさめようと間に入り、手だけは出させまいと、ドルジさんの前に立ち、必死に庇おうとした。

 だが『桃源郷』の女らが、喧嘩を止めるなと、一斉にマリたちを引き離しにかかってきて、マリたちも地面に叩きつけられてしまった。
 
 一人になったドルジさんは中国人の男二人に捕まり、そのまま人気のない裏通りに連れて行かれると、殴る蹴るの暴行を受け続けたのだという。
 
 その時間は長かったようだ。マリたちも女らに羽交い絞めにされていたから、駆け付けることもできなかった。男たちはうつ伏せで倒れたドルジさんを、なおも踏みつけたり蹴ったりを続け、なんとか立ち上がろうとしたドルジさんが顔をあげた瞬間、止めを刺すように、その顔をサッカーボールのように蹴り上げた。その時に、革靴のつま先がドルジさんの左目を直撃し、ドルジさんはまたうずくまってしまった。
 
 中国人たちは「馬臭いモンゴル人は出ていけ」と捨て台詞を吐き、勝ち誇ったように雄叫びをあげながら去ったということだ。
 
 マリの話にただただ驚いて、中谷幸平は相槌を打つことしかできなかった。
 
 しばらくすると、ボーイのドルジさんが中谷幸平らの背後に立っていることがわかり、マリの背中をタッチする。マリが振り返って驚くと、ドルジさんはこっちに来いと手招きする。マリの話が聞かれてしまったか、マリは気まずそうな顔を作り「スグ戻ルカラ」と中谷幸平に言い、ドルジさんと奥の方へと行ってしまった。それを見ていた吉田さんが心配そうな顔で「何かあったの?」と訊いてきたが、中谷幸平は「いや、よくわからないですが、大丈夫だと思います」と咄嗟に返した。

 マリはなかなか戻って来なかった。その間、別の女性が中谷幸平についたが、指名女性のチェンジは滅多にあることではなかったから、江原さんたちも心配になる。

「中谷君、何か変なことしたのか?」倉地さんがにやけた顔で見てくる。
 
 代わりについた女性はユキと名乗ったが、ユキとの話はまるで頭に入ってこなかった。  
 
 マリの話が気になる。
 
 そしてついこの間、マリの口から出た、G町に中国人が進出しているという話をきっかけに、自作の小説の題材になるだろうかと思い、なんとなく書き留めていたメモ。G町の中国人マフィアとモンゴル人マフィアの抗争という思い付きが、あながち間違いではないのだということを確信する。

 そんなまさか、映画のようなことが自分の身近にあるのかと中谷幸平は驚きを隠せない。G町の夜の街で、中国人とモンゴル人の、縄張りを巡る争いが進行している。マリが立ち会ってしまった、ドルジさんへの暴行は、それが現場スタッフ同士で表面化したものではないのか。
 
 中谷幸平は、さらに思いをめぐらせる。思いというよりは、もはや創作である。昔から、何かといろんなことに想像をめぐらせるのは、自作の小説を書くためのきっかけでもあった。この展開は小説の題材になるかもしれない。ドルジさんの痛々しい姿を前にして、それは不謹慎だろうとも思い直したが、好奇心の方が勝ってしまいそうだ。
 
 例えば、こんな展開は考えられないだろうか・・・。


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