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『ポストマン・ウォー』第21話:妄想


『ポストマン・ウォー』第21話:妄想


 たった今、中谷幸平の携帯電話が鳴る。

「ちょっと電話出てくる」と中谷幸平は隣の女に言い席を外す。着信は杉山局長からであった。こんな夜に一体なんだと訝りながら、中谷幸平は恐る恐る電話に出る。

「はい中谷です」

 すると杉山局長が珍しく低いトーンで、それでいて焦りも感じられるような喋り方で「中谷君、大変だ」と一言。

「局長、どうされまし・・・」

 中谷幸平が言い終わるよりも前に、杉山局長はその言葉に重ねて言った。

「矢部君が病院に運ばれた。今、親御さんから連絡が入って、全身傷と痣だらけ、意識はあるみたいだが、大変な状態らしい」

「え」

 中谷幸平は携帯電話を右手に持ったまま、固まる。一瞬、何のことかがわからず、どう返してよいかも言葉に迷った。

「俺は今からK町の病院に行くが、君にも伝えておこうと思って。来るかどうかは任せる」

「局長、それってまさか暴行ですか」 

「その可能性は大きい。警察も動いてくれている。あいつ休んでいただろう?さっき、河川敷にあるゴルフ練習場で見つかったらしいんだ」
 
 中谷幸平は声を失った。

「状態がわかったらまた連絡する」

 杉山局長はそう言い残し、電話は切れた。中谷幸平はすぐにフロアの江原さんたちの下へ駆け付けた。
 
 席を離れていた中谷幸平が血相を変えてやって来たことに、最初はどうしたどうしたと酔った笑い声をあげていたが、杉山局長から聞いたことをそのまま伝えると、江原さんたちは酔いが一瞬にして覚めたというように、表情を変え「病院行くぞ」と立ち上がる。倉地さんも吉田さんも同時に立ち上がった。

 それまで何事もなく酒とお喋りを楽しんでいた女性たちは「ドウシタノ?何ガアッタ?」とキョトンとしていたが「矢部が暴行を受けて病院に運ばれた」と倉地さんが言うと、女性たちから悲鳴があがった。会計はあとでよいから早く行ってあげてと女らに言われ、江原さんを先頭に、四人は急いで店を出た。
 
 ここでは車が捕まらないと、駅前までダッシュで走り、ロータリーに停まっていたタクシーに四人で乗り込む。助手席には中谷幸平、江原さんたちでかい体三人で後部席に座る。

「K町病院へ」と江原さんが運転手に告げ、のんびりと出発しようとしていた運転手に「運転手さん、申し訳ないけど急ぎで」と吉田さんが声を荒げる。

「はいよ」
 
 運転手はいやいやそうな声を出し、サイドブレーキを下げ、急発進した。

「どういうことだよ、河川敷で見つかるって」

 倉地さんはそう言って頭を抱えていた。吉田さんは車窓の外を見ながら黙り込み、親指の爪を噛んでいる。新堀さんに聞いたことがあるが、吉田さんが親指の爪を噛んでいる時は本当に機嫌が悪い時だから、話しかけない方がいいそうだ。

「そもそもどうしてそんなことになった?」

 こういう時、江原さんは冷静である。グループの若大将だけあって、感情を極力抑え、状況を正確に判断しようという能力に長けている。リーダーたるものは、どんな時でもてんぱらないこと、というのは吉田さんの説教の中でよく耳にしていたことである。

「病院に運ばれるって尋常じゃないな。複数にやられたとしか思えない」

「族とかチーマーか?」

「でもあいつ、誰かに恨みを持たれるような人種じゃないだろう?」

「パチかな。やばい奴から金を借りてしまったとか」

「中谷君、あいつの最近の様子どうだった?」

「いや、別段何も、変わったことはなかったんですけどね」
 
 そんな会話をしているうちに、亀有病院が見えてきた。夜の病院はどこか空恐ろしく思えた。タクシーを降りて急いで受付に駆け付けた。

「部屋は三〇三です」

 矢部さんの友人であることを告げると、矢部さんのいる病室を教えられた。エレベーターに乗り、矢部さんがいる三階へと向かった。三〇三の部屋番号を見つけ、江原さんがまずはドアを開け、中に入る。すでに数名がベッドを取り囲んでいて、杉山局長以外は、矢部さんの御両親や身内の関係者であることがわかる。

「すみませんわざわざ来て頂いて、矢部の母です」ハンカチで口を覆いながら、矢部さんの傍にいた女性が頭を下げる。父です、と隣の男性も曇った顔で会釈をする。杉山局長も頭を少しだけ下げ、目だけで挨拶を交わしてくれた。
 
 それから、警官も一人、立ち会っていて、病室には重苦しい空気が流れていた。
 
 ベッドの上には、頭から首まで包帯を巻かれた矢部さんが、身動きせず仰向けになっている。唯一、両目だけが包帯の隙間から見える。江原さんたちが来たことに気付くと、矢部さんは首を少しだけ動かし、嬉しそうな目でこちらを見た。その目に、涙が溜まっているのが分かる。頬のあたりが、歪な形で膨れ上がっていた。うまく喋れないのだろう。

「ありがとう」

 矢部さんは振り絞った声で言う。

「喋らなくていい」

 矢部さんのすぐ傍に駆け寄っていた江原さんが、矢部さんの肩に手を添える。

「状態はどうなんですか」

 江原さんが周囲を見回しながら訊く。

「全身打撲で、全治三週間だそうです」

 矢部さんの母が答えてくれた。
 
 それを聞いた江原さんは、警官の方を振り向くと「何があったんですか?」と静かな口調で訊ねる。

 警官はバインダーを持って何かをメモしていたが、書くのを止め「それを今、彼に訊いていたところだ」と一言。

 その物言いにむかっ腹が立ったのか、吉田さんが危うく警官に詰めよりそうになったところを、倉地さんと杉山局長が慌てて抑えた。

「ここまでの話をお伝えしましょう」

 今にも飛び掛かりそうな吉田さんを睨みながら、警官はゆっくりと話し出す。
 
 経緯はこうだった。
 
 昨晩、矢部さんは仕事終わりに地元の友人をG町に呼び出していて、G町でナンバーワンの中国パブ『桃源郷』に行ったのだという。『桃源郷』は『カササギ』の女性たちが嫌っている店だったので、江原さんたちがその店に出入りすることはこれまでなかったが、矢部さんは単独行動をしていて、江原さんたちとの遊び以外で、地元の友人とよくこの店に行っていたらしい。

 その回数は『カササギ』を上回るくらいになっていて、矢部さんが懇意にしていた女といい感じになり、ある時、アフターで酒をさんざん飲ませたうえでホテルに連れ込み、関係を持ってしまったというのだ。
 
 その女というのが『桃源郷』店長の女だったということで、そのことが店の人間の耳に入ってしまい、焼きを入れようと考えていた『桃源郷』の連中が、矢部さんの来店と同時に矢部さんを店の奥に連れ込み、裏口から店を出ると、バンに乗せて、江戸川の河川敷まで運び出し、そこで殴る蹴るの暴行を加えたのだった。
 
 店に取り残された矢部さんの友達は、不穏に思い、すぐに店を出て、警察に電話をした。 
 
 駆け付けた警察が捜索を行うと、ゴルフ練習場のすぐ傍で倒れていた矢部さんが発見されたのだという。その時発見された矢部さんの姿は、身ぐるみ剥がされ、ゴルフボール数個を口に詰められ、鉄パイプなどでさんざんに裸身を叩かれた状態だったという。
 
 警官の淡々とした説明が終わると、それまで血管をぴくぴくさせながら話を聞いていた吉田さんが、自分の左掌に右拳を叩き込み「クソ野郎どもが」と叫んだ。
 
 突然の声に、矢部さんの御両親も驚いたが、その怒りはもっともだという空気になり、一度事情説明を受けているはずの杉山局長も、口を一文字にして、拳を握っている。

「すみません、自業自得ですから、迷惑をかけてほんとすみません」

 矢部さんが声を張り上げると、矢部さんのお母さんが耐えられないというように声をあげて泣き出す。
 
 その横で、お父さんが必死で背中をさすった。

「あいつら、『カササギ』の連中が言っていた通り、クソ野郎だな」

 江原さんも憤りを隠せず、声を荒げた。

「もちろん捕まええてくれるんだろうな」

 興奮している吉田さんが、警官に詰め寄る。

「落ち着いてください。そのために捜査しなくてはいけないのです」

「んなの、誰の仕業だって明らかだろうが」

 吉田さんが警官の胸倉を掴みかけるくらいの勢いだったので、倉地さんが制止に入った。

「作戦会議だ」

 病院を出ると、江原さんがまずは口を開いた。
 
 真っ先に向かったのは『カササギ』であった。「警察には任せられない」と吉田さんも帰りのタクシーの中で荒ぶっていた。
 
 時間は0時であった。明日の仕事のことなど気にかける者などいなく、男たちは『カササギ』に再び集まり、卓を囲んだ。店長に事情を話し、それまで入っていた客を追い出し、店じまいにしてもらった。

「ここからどうする?あいつらのところ乗り込むか」

 いきりっ放しの吉田さんが、まるでヤクザの組員のような口調で言う。

「『桃源郷』の連中か」そう言って奥から現れたのは『カササギ』のオーナーであるバヤンさんであった。プロレスラーのような体型をしていて、黄色いTシャツからはみ出した二の腕は、中谷幸平の胴回りくらいあるのではと思える程であった。故郷ではモンゴル相撲もやっていたそうで、最近日本の大相撲でも増えてきているモンゴル出身の関取とも幼馴染なのだという。

「あいつらに手を出すのはまずい」バヤンさんは席に着きながら、正面になった江原さんに向かって説得するように言う。

「知っているかわからないけど、G町を仕切っている中国人は『黄龍』の連中だ」

「『黄龍』?」倉地さんが訊き返す。

「ああ、こっちではイエロードラゴンとも呼ばれる。あいつらは中国マフィアで言われている、黄、つまり売春をビジネスにしている連中で、錦糸町で成功してからG町に来て、ここを支配している。日本のヤクザも手を焼いているくらいだから、あんたたち素人がどうにかなる相手ではない。本物中の本物だよ」

「本物だから何?」そう訊き返す吉田さんの目が、殺気立っていた。

「矢部さんの件は残念だけど、それだけで済んで良かったと思う方がよい。本当なら殺されていてもおかしくない」バヤンさんが吉田さんを諭すように言うと、吉田さんは目の前のテーブルを蹴り上げ、「仲間がこんな目に合わされて黙っていられるか」と漫画のような台詞を吐く。

 話は平行線を辿った。矢部さんがやられたことに対し、相手がマフィアだろうと何だろうと報復をしないと気が収まらないという、こちらの陣営に対し、そんなことをしたら皆殺しにされるだけだと説得にかかるバヤンさん。
 
 すると、それまで静かに口を閉ざしていた江原さんが、何かを決意したというような目で見開き、こう言った。

「いいか、俺たちには郵便局の労働組合という全国ネットワークがある。これはただのネットワークじゃない。日本中の、過激派組織とも繋がっている」
 
 江原さんの言葉に、倉地さんも吉田さんも振り返り、そうだそうだとばかりに頷く。
 
 バヤンさんは何のことかよくわからず、顔をしかめる。

「過激派の連中に依頼すれば、奴らを消すための武器を手配することなどわけがない」

 江原さんから出てきたワードに、中谷幸平は動揺を隠せない。
 
 バヤンさんも、江原さんが言っていることは冗談だろうと、倉地さんらの方を見て肩をすくめる。しかし、倉地さんは不敵に笑い「冗談でも何でもないよ。俺たちの力を見くびるな」と言う。

「よし、その黄龍の連中、取り急ぎは『桃源郷』の奴らか。そいつらの住所を洗い出せ。G町じゃないかもしれない。それでも構わない。東京のどこかにはいるだろうから、そいつらの住所さえ分かれば、あとは郵便で、爆弾でも毒ガスでも届けてやればよい」江原さんは吉田さんに向かって指示する。吉田さんはすぐにジーンズから携帯を取り出し、どこかわからないが電話をかける。焦るのはバヤンさんだ。

「ちょっと待ってくれ、みなさんいい人たち。いいお客さん。暴力はダメだ」

「いいかい、オーナー。俺たちは、ただのサラリーマンではない。国家公務員だ。それも全国の何十万人の人間を組織する郵便局員なんだ」

 江原さんが得意気に言い、グラスの酒をあおる。

「特定郵便局長の票は日本の政治だって動かすんだぜ」

 倉地さんが親指を立てる。

「横の連携だって凄い。ヤクザだろうとマフィアだろうと関係ない。こっちは国家だ」

「それにバヤンさん、俺はチンギス・ハーンの末裔でもある」

 そう言って吉田さんは二の腕を掲げ、瘤を作る。

「あんただってそうだろう?」

 吉田さんがバヤンさんの方を真顔で見る。バヤンさんは生唾を呑み込んでいた。
  
 *

 中谷幸平の背中を叩くものがいて、中谷幸平は思わずのけ反る。

 振り返ると、ボーイのドルジさんであった。

 中谷幸平は、一人での物思いが過ぎたと反省し、隣で退屈そうに酒を注ぐユキの方を見た。

 どれくらいの時間、ひとりで物思いに耽っていたのだろう。

 中谷幸平が「すまない」とユキの方を見ると、ユキは愛想笑いしながらグラスを唇に当てている。グラス越しに、マリでなくて悪かったわねと言わんばかりの皮肉な表情を浮かべているのが分かった。

「そういえばマリは?」

 中谷幸平はドルジさんを自分の傍に手招きし、耳打ちする。

「ごめんなさい、今日は彼女、体調が良くない。帰らせました」

 そう言ってドルジさんは申し訳ないという顔をして頭を下げると、すぐに空いたグラスを引き上げ、また奥へと引っ込んでしまった。
 
 やはりマリに何かあったのか。ドルジさんに関する話を、客にしてしまったばかりに、説教され、帰らされることになったのだろうか。そう思いながら、中谷幸平はグラスの水割りを口にしながら、江原さんたちの方を見る。
 
 江原さんたちはいつもと変わらず、女性たちの肩に項垂れながら、ガハハという声を立てて酒を飲んでいる。中谷幸平と江原さんの目が合うと、江原さんは「中谷君、飲んでないじゃんよ」と口を尖らせて、女に酒をもっと注ぐようにと命令した。


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