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記憶と、瓶詰め

昨日食べたものについて
五時間前の出来事について

ぼんやりと覚えている。


たぶん、
このままじっとして、そして眠ってしまうと
忘れてしまう。



けれど、
小さかった頃に触れた
土のひんやりとした感触とか

捕まえたトンボの目の奥の色とか

祖父の車の匂いとか

バラバラに散らばったおはじきの美しさとか


そういうものは
今でも鮮明に覚えている。



記憶というのは
つくづく不思議なものだな、とそう思う。

順番通りに
並べられているわけでも、 

すべてがきちんと
保管されているわけでもないわけで。

自分が一体いつを生きているのか、
わからなくなってしまうことが時々あったり、
なかったり。


つい先日、
大学の哲学の授業で
「五分前世界創造説」なるものを習った。


世界は
五分前に作られたばかりで
すべては埋め込まれた記憶でしかない、
というものだった。

いぶかってみるけれど、
それを馬鹿げたことだって
証明することできないものね。


埋め込まれた記憶だったら
どうしようかな。

どうすることもできないな。


慣れてゆくしかないのだな。

毎日は慣れてゆくことの連続だから。




気づけば蝉の鳴き声は
聞こえなくなっていた。


窓枠の向こう側は
ぎらぎら発光するのをやめていた。

空が高く遠くなっていく。


運動会がもうすぐだって。



秋の入り口に立っている。

慣れてゆかないことが、
まだまだたくさんあるのだな。

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