配慮の足りない人とそれを許せない人

持論を聞いてくれ。
「世の中の争いは“配慮の足りない人”と“それを許せない人”の間に起きる」
どう?

例えば
・配慮の足りない人→電車の中で電話してる人
・それを許せない人→「電車の中だぞ!静かにしろ!」

となる。

他には
・配慮の足りない人→クチャクチャ音を立てて食事する人
・それを許せない人→「口閉じて食べろ!汚いだろ!」

もある。

問題を起こしているのは“配慮の足りない人”なので前者が悪いような気がする。もし“配慮の足りない人”がいなければ、“それを許せない人”は生まれてこない。

本当にそうだろうか?

時として“それを許せない人”というのは“配慮の足りない人”を自ら生み出してしまうことがある。

例えば
・それを許せない人→「だらしない恰好だな、見てるだけで腹立つ」
・配慮の足りない人→肩ひもの長いリュックを背負った女子高生

他には
・それを許せない人→「いい年して恥ずかしくないの?」
・配慮の足りない人→パフェを食べるおじさん

別に良くない??
このように、自分の好き嫌いを世間の善悪と履き違えた人が普通の人を“配慮の足りない人”として攻撃していることがある。

この場合、むしろ問題を起こしているのは“それを許せない人”であり、私は“それを許せない人”が“許せない”のである。

ややこしくなってきたが、自分の好き嫌いを世間の善悪と履き違えた人が普通の人を“配慮の足りない人”として攻撃している現象が大嫌いなのだ。

“それを許せない人”には自分の中に譲れない価値観があって、そこから逸脱した他人を見ると「お前は間違っている!」と思うのだろう。思うのは勝手だがその価値観を相手に押し付けたり自分のほうが優位だとマウントを取るような人とは距離を置きたい。

実は、身近にそういう人がいる。
テレビを見ていても外を歩いているときも常にネガティブの種を探して「ダサい」「キモい」と口に出し、さも下劣な相手に対して自分は高尚な人間ですとでも言いたげだ。だが私には相手のどこが下劣なのか見当もつかない。見ず知らずの他人を口軽々しく罵るその態度のほうがよっぽど下劣であると言ってやりたいが、言わない。怒ってる態度を人に見せるのはなんか恥ずかしいから。だから「嫌いなものが多くて大変やね」といつも皮肉っぽいセリフしか言えないのだ。

ここまで書いて、自分もあっち側の人間なのではないかと思った。彼と私の違いは、相手に悪意があるかどうかだ。悪意のない相手を「キモい」罵る人間と、それを見て「最低かよ」という人間。前者の多い社会はなんだか生き辛そうだなと思うが、いかがだろうか。

ちなみに私は「こんにちは」「こんにちわ」と書く奴を本当に許せない。
あと「THE・END」(ザ・エンド)。お前もだ。

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