ゲーテとの対話、ファウストを読みながら

最近、自分の思考力をもっと高めたい、そのためには教養をつけることが必要なのか。それならば古典でも読むかと安直な考えで、図書館に行ってはいわゆる古典といわれるもの、そして興味がある塩野七生さんの歴史小説を読んでいる。

今しがた読んでいたのは、エッカーマン著書の「ゲーテとの対話」とゲーテの小説「ファウスト」。どちらも以前読もうとしたものの、忙しかったり他のことに興味を持ってしまい、途中で中断してしまった。

ゲーテとの対話は、結構劇についてのエッカーマンと談じている箇所があり、最初の方がきっちりと読んでいたけれども、そのあたりは興味がなかったので結構飛ばしながらの、上、中と読み終えたところだ。

それにしても、この本からゲーテの日常での考えていることやコメントを読んでいるけれども、鋭い観察力、思考力がコメントのいたるところから滲み出ており、やっぱり只者ではない人物だと、うなる。そして、そんな偉大なゲーテとともに時間を過ごすことができたエッカーマンがうらやましくなる。

美術や文学においては人格がすべてだが、
優れた人格を感じとり、尊敬するためには自分自身もまた、ひとかどのじんぶつでなければならない。
人はとしをとると、以前のように賢明に身を保つことは難しくなってくる。それぞれの年代で確かに変わってはくるけれども、だからといって、いっそうよくなるとはいえないものだ。ことによっては、二十代と六十代でもどっちが正しいと言えない場合もある。

この対話、実際に行われていたのは今から約180年以上も前のことなのに、まるで現代に普通に対話しているような感覚になってくる、そしてそれでいて話す内容は深く、こんなことを話す人とは残念ながら現代においては会ったことはない。

人生は遺伝とこれまで育った環境の影響が大きい。それらを跳ね返すためには、適切な考え方、そしてその考えをベースとした行動力が今、必要とされているのだろう。古典なるものは、自己啓発系に比べると即効性はないかもしれない。けれども、長い年月を経て廃れることなく、読み継がれているということは、真理に沿った何かしら発見、価値あるからこそ読み続けられている。

それではごきげんよう。



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