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街と自然のあいだ

2年ぶりに東京での生活に戻る前に、この文章だけは書いておかなければと思った。

気の向くままに筆を走らせる。




僕は東京が好きなのだろうか。

スイスに来るまでの自分だったら、好きじゃないと答えていたと思う。

小学校前半まで転勤族として、日本の地方を転々としてきた自分。

東京という言いようのない都市に自分を結びつけたいと思わなくて。

人生の半分強は東京で生活してきたけれど、東京に帰属意識を覚えたことはなかった。

出身地を聞かれても、親しくなりたい人には「元々転勤族で・・・」という話をあえて口にしてきた。

地方の都市を転々としてきたという事実が、僕を僕たらしめていると信じて疑わなかった。


10万人ちょっとしか人のいないスイスの都市で2年間過ごしてみて初めて、自分の大部分は東京で過ごした時間によって形作られているのだと知った。

渋谷の雑踏に身を置いてもなんとも思わない自分は、客観的に見ればすでにこの都市の人間になっていたのだと気づいた。


本棚に並ぶポパイやブルータス。

部屋の角に溜められた渋谷のミニシアターの半券。

壁に飾られた写真展のポスター。

スピーカーから流れる松任谷由実の音楽。


これで東京の人でないと言うともはや笑われてしまうほどだろう。

文化へのアクセスが極端に少ない場所に身を置いて、今まで自分が影響を受けていたものはなんだったのか、ようやく自覚的になれた。

自然としっかり向き合うようになってから、自分は生粋の都市の人だったのだと初めて気づいた。


振り返れば、都市で育ってきたからこそ自然への憧れがあった。


僕の母方の祖父は海で育った人だった。

山口県の海沿いの小さな町出身で、僕が生まれる前からは福岡の海から車で20分ほどのところに住んでいた。

祖父は僕が小学校低学年の時に70歳ほどで亡くなった。

それでも正月に庭でブリを捌いていた祖父の姿は、今も断片的に僕の記憶に残っている。

港でサビキ釣りをするときに使ったオキアミの匂いは、僕の鼻腔の奥に残っている。

正直祖父がどういう人生を歩んだのか、僕はほとんど知らない。

でも言葉にならない何かを、10年弱の時間で僕に伝えてくれたのだと思う。


海のないスイスで、僕は山の世界に入り浸り始めた。

歩くことが好きだった自分は、いつまでも続くアルプスのハイキングコースを思うがままに歩き続けた。

次第にできるだけ長く山にいることを目的として、ロングトレイルの世界に一歩を踏み出した。


自然は僕が一つの生命体であるということを絶えず教えてくれる。

命が光に煌めいて、命が風に靡く。

崖の下から顔を出している死を前にして、僕はそちら側にいないのだと教えてくれるのだ。

与えられた生の価値を知り、受身ではなく自発として知らない世界を開拓してみたくなった。

まだ知らない生の価値を知るために、世界の山を歩いてみたくなった。


山を前にすれば、物の価値はお金に左右されなくなる。

生き続けることに資するかどうか。

人の生きる価値は所有している物に依らず、他者との優劣にも依らない。

うちなる幸せを感じていれば満ち足りて、数字に縛られずに生きたいように生きればいいのだ。

そんな世界を体感して、僕は少し救われた気がした。

現代社会には息苦しさを覚えるけれど、辛くなった時の逃げ道はあるということを知ることができた。


あと1ヶ月で東京に戻る。

『哀れなるものたち』、『PERFECT DAYS』、『Aftersun』、『怪物』・・・。

この2年間で見れなかった映画をあげればキリがないし、早く日本でいろんな写真展に行きたい。

なかなか読めなかった旅のエッセイや社会学の本を読み漁りたい。

最初は2年間の間に失われかけていた自分を追い求めるのだと思うけれど、今の自分は確実に以前の自分とは違う部分がある。

ゆっくりとその事実に気づいていくのだと思う。


街と自然のあいだで、自分の生きたい世界を見つけていく。

これがこれからの人生の大きな指針になるはずだ。


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