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第4弾"変態ドリブラー" 深澤奏人

第4弾は背番号11 深澤奏人選手❗️

2001年12月4日静岡県静岡市に男3人兄弟の末っ子として誕生。
サッカー王国に生まれただけあってすぐにボールで遊び始め、父がフットサルをしていた影響もあり6歳の頃には本格的にサッカーを始めた。
小さい頃からやんちゃで騒がしかったという明るい性格は21歳になった今でも変わっていない。

暇さえあれば父と一緒にサッカーの練習をしてたという幼少期。いつも1対1の守備の相手は大人の父。自分よりもフィジカル、スピード、全てで上回っている父を相手に何百回、何千回と勝負を挑んだ。1対1の局面、ドリブルの楽しさ、何度も試行錯誤をして相手を交わした時の達成感はこの時期の感覚が原点になっている。

中高では静岡の東海大翔洋で6年間サッカーに打ち込んだ。ほとんどグランドでの思い出しかないくらいに毎日、もちろん休みの日もみんなでグランドに集まりボールを蹴ってたという。
そんな中でも8泊10日でハワイに修学旅行に行ったりと高校生らしく青春できる時期も多少はあったと振り返る。

そんな彼がJAPANサッカーカレッジを選んだ理由のひとつがアルビレックス新潟シンガポールに興味があったからである。
アルビレックス新潟シンガポールはシンガポールプレミアリーグに所属するプロチームである。また、J1リーグに所属するアルビレックス新潟の下部組織にあたる位置付けでもあり、JAPANサッカーカレッジとも繋がりの深いクラブである。
1年目、2年目としっかりとトップチームで試合に出て自分を磨いたのち、もともと海外でプレーすることに憧れていた彼は3年目にシンガポールへの道を選択する。

言語や文化も全く異なる異国の地に1年間身を置いた。天候や環境なども日本とはまるで違い、スコールが多く練習や試合が中断することもあったという。
もちろんサッカーのレベルも高く、Jリーグで活躍した選手や現地の選手、海外の助っ人選手などと日々しのぎを削り、ポジション争いを繰り返した。
そんな厳しく、成長できる世界で1年間を過ごした彼は4年目の今年、シンガポールでの契約の話しもあった中でJAPANサッカーカレッジでプレーすることを選んだ。海外での濃い経験を色々な面でチームに還元し、個人としても飛躍の年にしたいところ。

そんな彼の注目ポイントは、ドリブル。左サイドからのカットインからのチャンスメイクはチームの得点源のひとつである。相手ディフェンスからすれば、中を警戒すれば縦に突破されてクロスを上げられ、2人マークに行けば間を突破されるというお手上げ状態である。
また、突破するドリブル、相手を剥がすドリブル、時間を作るドリブル、状況に合わせて変幻自在にコントロールできる。まさに「変態ドリブラー」である。もちろんこのドリブルは幼少期の父との練習の中でのサッカーを「楽しむ」ということが根源にある。

チームの目標であるJFL昇格を果たすために彼がどんなドリブルで相手を翻弄してゴールに絡んでくるのか、ぜひ注目してみてほしい。

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