核兵器と安全保障

日本は世界で唯一の核被爆国です。

戦後75年経って改めて核兵器について理解をしてみたいと思います。

先の大戦末期に日本に核兵器が使用され多くの犠牲者がでました。

核兵器は単に戦争に勝つ兵器以上の威力がある事を人類は知る事になったのです。

最初に理解しなければならない事は、核兵器を使用する事は人類にとって非常に危険な事だと世界中の人が理解したことです。

ではなぜこの危険な兵器を所持する国があるのでしょう?

それは、自分の安全を確保したいからに他なりません。外敵がどんな方法で攻めて来ても最終的に莫大な威力を持つ核兵器を使えば相手を殲滅できるからです。

攻める方も相手が核兵器を持っていると簡単に攻め込む事が出来なくなります。だって攻め込んで勝てそうでも相手が核兵器を使って攻撃されたら帰る国が無くなってしまうからです。

人間の最終的な喧嘩の決着方法は「相手を殺して排除する」です。これは人類が生まれてから全く変わっていないのです。

この相手が攻めてきたらこっちは相手を皆殺しに出来る兵器をお互いに持つ事で「お互いに攻撃をする事が出来ない」状態となります。これを言い換えればお互いに攻める事が出来ないので安全だとなるのです。

イメージ的に言えば、落ちたら絶対に死ぬ高所に張られた2本のワイヤーロープにそれぞれが乗ってお互いが落ちないように1本の棒の両端をお互いが持っていると想像してみて下さい。

どちらかが棒を手放せば、両方が落下して死にます。生きるためにお互いが絶対に棒から手を放すことが出来ないのです。棒をお互いが持っている限りお互いは安全である。これが核のバランスなんです。

合理的に考えれば、そもそも高所のワイヤーロープに乗らなければ良いだけなんですが、乗らないと喧嘩になったとき「相手を殺して排除する」法則が繰り返される事はお互い回避できないと理解しているため「危険なワイヤーロープに乗っていた方が乗らないで殺し合いを繰り返すより平和を維持できると考えるのです。

これが核保有国の安全保障なのです。

人間が進化して理性で究極的な争いも解決できる様になれば危ういバランスの核兵器保有の安全保障を止められるかもしれませんが、今の所は難しい状態です。

このバランスゲームに最近参加した北朝鮮は一定の安全確保に成功したと思います。北朝鮮がどんな野蛮な国家であろうが、喧嘩になった場合に最終的に喧嘩した相手国は核攻撃されるリスクがあるのです。もし追い詰めて自暴自棄になって核攻撃されたら広島・長崎と同じ事が起こるのです。

好きか嫌いかの問題では無く現実的に考える必要があると思います。日本は被爆の経験から核兵器や核の力による安全保障など受け入れられない国であるのは理解しますが、現実ではこの仕組みによって世界は動いている事も事実です。

もし、他国から侵略される事態が起きた時、現在は米国が助けてくれる約束になっているのですが、本当に助けてくれるのかはその時になってみないと誰にも解りません。状況が変われば米国から侵略される場合だって100%無いとは言えないのです。

日本は民主主義の独立国家ですから、日本人の総意として「我々は国が滅ぼされたり侵略されて奴隷になったとしても決して戦争及び核兵器を保持しない」とするなら従いますが、状況によっては核兵器を保持する事によって安全が保たれるのなら保有もやむなしと言うのが私の立場です。

核兵器の威力や使用された後の悲惨な状況、製造目的が人を殺す道具という道義的問題などで核兵器保持反対・核兵器禁止を訴える人たちの気持ちも理解しますが、核無き世界が戦乱の殺し合いの世界となる場合もあるのだと考えて欲しいと思います。

理想は核兵器も無く、それ以外の戦争も無く人が平和に暮らせる世界が一番良いと思います。

人類が現在までに行き着いた人殺しの決着を止める方法は「相手を皆殺しにできる武器をお互い所持して争えない状態を作ること」なのです。



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