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衛生観念の変遷

フランスの衛生観念

15世紀中期

 貧乏学生「プラッター」の手記より
「一部の下層市民と同じように、学生は学年に関係なく害虫がわくのであるが、その量がどれほどのものであるかは、おわかりいただけまい。~(中略)~特に夏はオーデル川の岸辺でよくシャツを洗ったものである。シャツを木の枝に干して乾くのを待つあいだ、服を掃除して、地面に穴を掘り、山のような害虫の死骸を埋め、土をかけ、十字架をかけた。」

16世紀中期

 当時の衛生指導書
「医学的な理由でどうしてもやむを得ない場合をのぞけば、入浴は不要であるばかりか、人体にとって大変有害である。」

18世紀中頃

 ジャカンの著作
「清潔を保つには、身体のいろいろな部分をひんぱんに洗うことが必要である。特に汗をかく部分を洗わずにおくと不快なにおいがする。そこに気を配ることは、健康と少なくとも同じくらい大切である。」

19世紀末ごろ

 アルク婦人の衛生論
「1.不潔にしていると悪臭がしたり、見た目によくないという理由だけとしても、清潔でいることは社会的に必要なことである。
2.精神の状態が身体の清潔の状態に影響される
3.身体を日々手入れするように義務付けることは、調和の取れた精神を育むうえで好ましい訓練法のひとつである。」


15C以前

風呂はあったが身体を洗う場所というよりはむしろ社交場

1520年代

ペスト流行
風呂に入ると毛穴が広がり、ペストの蒸気が身体内に侵入する

16C

政府は風紀が乱れるとして風呂屋の営業を禁止
 ・ルイ13世
  白い下着を規則正しく替え、身体はリンネルかスポンジでこする
  6歳で初めて足を洗う
  7歳で初めて湯につかる

18C

産業革命によってブルジョワジーが台頭する

19C

パストゥールが細菌のメカニズムを解明

その他

日本では、以前は僧侶が身を清めるのに使用。他は行水ぐらい。
江戸時代は公衆浴場(混浴)が一般化
3助という仕事もあった。三助とは銭湯でのお湯の準備や客の背中を流す男性労働者。
夏は毎日、冬は3回~週に1回
気候、宗教的要因

チベット高原の人々は子供のころは行水はするが、その後は入らない


以前は今と全く逆のことが信じられていて面白いなぁ。もしかしたら、数百年後には僕らが今、当たり前に思ってることが、異端扱いされるのかもしれない。ワクワク。

《参考文献》
ジョルジュ・ヴィガレロ『身体管理の文化史』



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