とある宗教の親に育てられた自らの半生⑧

先日、機会あって今まで飲んだことの無いお酒を飲ませていただいた。個人的にあまりお酒に強くないので、たくさんの種類を少しづつ頂いたのだがどれも一級品で、味わい深かった。

この歳になって、ウイスキーに目覚めてしまったかもしれない。現に既にその時に気に入ったボトルを1本購入してしまった。あまり自分の人生において触れてこなかった世界だけど、お酒のたしなみもなかなか奥が深くて、楽しいものだ。程よく人生を彩るスパイスとして今後、いろいろ勉強してみたいとも思った。

さて、このシリーズももう8回目の投稿になる。自らの宗教2世としての実体験を綴っているわけだが、なかなか世間一般の人に理解されるまでには時間のかかるものだと思う。独特の言い回しも然り、専門用語、ニュアンス、その時々に受けた感情など同じ境遇にいた人でないと、共感するに至るまでには難しいものがある。本シリーズは一般の人にも分かりやすく伝えたい、というコンセプトで進めているつもりだが、もし分かりづらいところがあったら是非コメントなどで指摘して頂きたい。

今回は高校時代の話。高校時代は、わたしのエホバの証人としての人生において、最も情熱と時間をささげた時代と言って間違いない。

1998年の4月から、わたしは通信制の高校に進学した。どういうシステムなのか簡単に説明する。スクーリングと呼ばれる登校日は、月に3~4回。日曜日、月曜日、火曜日の3日間同じプログラムの授業が組まれているので、そのうちの都合のいい日に登校すればよかった。一般的には、何らかの事情で高校に行かれなかった社会人が高卒の資格を取るための高校なので、圧倒的に日曜日に登校してくる生徒が大半であった。しかしながら、日曜日はエホバの証人にとっては、集会のある曜日。火曜日も野外奉仕活動があるので、必然的に同級生になるエホバの証人の生徒たちは、月曜日に来ることになる。そこでわたしは10人程度のエホバの証人の同級生たちと出会った。初めて学友と呼べる人が同じ境遇の子たちということもあって、とても居心地がよかったし、もう表裏のある自分を取り繕わなくてよくなったので、初めてありのままの自分でいられる気がした。特に仲の良くなったのは2人くらいだったと記憶しているが、お互いの会衆を行き来して、彼らの集会や野外奉仕に参加したり、互いの家に泊まってゲームをしたり、語り合ったり、初めて親に後ろめたさを感じない友達付き合いが出来て、本当にうれしかった。

月に3~4回のスクーリング以外は何をしていたかというと、ほぼ宗教活動である。高校に入学してから半年間連続して、補助開拓奉仕と呼ばれるものに携わっていた。これは、野外奉仕活動に月に60時間費やすことを意味していた。野外奉仕活動には、家から家へ戸別訪問してベルを鳴らし、組織が刊行する雑誌を配る活動。雑誌を受け取った人や少しでも関心を示してくれた人に再訪問をして、聖書に基づく教団の教えを説くこと。さらに関心を示した人に信者になるためのサポートをする聖書研究会などを司会することで、その60時間というノルマを達成していくのだ。もちろん、この60時間に金銭的な報酬は一切生じない。月30日として、60時間といえば1日2時間である。1日2時間無報酬で毎日働かなくてはいけないとなると、結構な負担であることが容易に推察できるであろう。

しかし、わたしは意気揚々とその半年間の補助開拓奉仕をやり続けた。そして半年後には、晴れて正規開拓者に任命をされた。補助から正規にいわば昇進した。

正規開拓者は、年間ノルマを課される。年間で1,000時間、ボランティア奉仕活動を要求されるのだ。月間に換算すると、84時間ということになる。補助開拓と比べたらさらに負担が大きいことはよくお分かり頂けるであろう。

大抵の正規開拓者は、年度末にあたる8月に80時間以上野外で奉仕するのは相当キツいので、月間90時間を目標に年間スケジュールを組み、夏での負担を減らすようにしていた。

さらに奉仕だけではなく、週に3回は集会があるのだ。それぞれの集会の予習もしなくてはいけないし、年に3回は週末を使って遠出をして、大会に行かなくてはならない。普段週末に奉仕時間を稼いでいる人にとっては、なかなかの負担であったと思う。さらにさらに、個人の霊性を高めるための個人研究、毎日の聖書通読。ほぼほぼ休みなくこの宗教のために身を捧げるのである。

何度も言うが、これらの捧げる時間は全くの無報酬である。仮に今の時給で1,000円換算したら月間9万円タダ働きしているのと同じである。今考えても非常に時間を無駄にしたと言わざるを得ない。

しかもわたしにとっては、2度と戻ることのないいわゆる青春時代である。普通に高校に行っていれば、部活に励むこともできた。バイトに精を出すこともできた。勉強を頑張っていい大学を目指すこともできた。友達とカラオケや映画やゲームセンターに行くこともできた。恋愛も楽しめたかもしれない。毎日生活指導の先生に髪型を注意されるかされないかのギリギリのヘアスタイルを楽しめたかもしれない。

そういった誰しもが経験してきたであろうハイスクールライフをほぼ全てこの宗教活動に捧げてしまったのである。

こんなのお金で解決できる問題ではない。
いくら積まれてもあの時間、あの季節はもう2度と戻ってこないのだから。

献金問題どころではないであろう。人生そのものを奪われたと同じである。お金は最悪返ってくるけど、人生は返ってこない。

この罪は相当大きいと考える。この感覚を世間一般の方々に周知、理解頂きたいと心から思う。

今回はこれくらいにして、次回はさらにさらにこの宗教に堕ちていく人生を綴りたいと思う。

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