勉強(努力)=富という発想

最近見た動物のドキュメンタリーで獲物を狙う熊と熊から逃げたおこぼれ(獲物)を狙うキツネの話がある。結局熊は獲物にありつけず、おこぼれを待っていたキツネが獲物をゲットするわけだが。皮肉で面白いものだと…
日本人はアリとキリギリスのようにこつこつとした努力から成功を掴むという構図が染み着いているようで
成功するために勉強して高学歴になり、やがて、大企業への就職あるいは弁護士とか医師とかみたいになることが成功者であるかのように刷り込まれている。安定>自由という発想。そういう自分だって、周りの公務員や営業に就いた友人の稼ぎに就職先間違ったのかなと何度も悩まされた。たまに今もそうなるのだが…
だが、ロバートキヨサキさんは成功者が必ずしもそうではないと語っている。
本田健さんやロバートキヨサキさんに触れ自由に暮らすためには“お金”と“自分”を知りしっかりプランニング出来ることが大事なのだと思うようになった。
大企業に入れた後のことは誰も教えてくれない。少し前のニュースでは高学歴な人でさえ就職浪人を味わうと流れていた。だとしたら本末転倒ですね。モラトリアムとかアイデンティティーが重要視されるようになってお二人が説くような努力して就職するまでがゴールではなく、生き抜くまでがゴールという考えが重宝されるようになったのかもしれない。瞑想とか禅とか本来少しオカルトにされてしまいがちなものが“マインドフルネス”と言葉を代えて出てきたのもそういうことかもしれない。まあ、個人的にはマインドフルネスという言葉が好きではない。流行に乗って出てきて、定義がぼやっとしているからだ。

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