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『これからの「正義」の話をしよう』

はじめに

『これから「正義」の話をしよう』を読みました。
筆者は、ハーバードで政治哲学を教えるマイケル・サンデル教授であり、一般公開されてNHKでも放送するほど大人気だった講義「Justice」を元に書いた本です。

最近読んだ本で、一番内容が詰まっていて、一番面白かったです!
倫理観、正義感に関するいろんな主張を、イメージしやすい例を交えて、丁寧に説明し、最後には持論を展開しています。
読んだ後、自分の普段の正義に関する考え方が整理され、新しい視点が生まれた気がします。
内容の濃い本なのですが、なるべく忠実に、わかりやすくまとめて見ようと思います(`・ω・´)ゞ

目次

・正義への3つのアプローチ
・幸福の最大化
・自由の尊重
・美徳の涵養
・まとめと感想

正義への3つのアプローチ

次のような、仮想的な状況を想像してください。

あなたは、崖の上に立っています。
崖の下を見ると、路面電車が時速百キロで疾走しています。
進行方向を見ると、線路上に五人の作業員が見えました。
路面電車のブレーキは壊れて効かないようです。
このまま進めば、五人の作業員は必ず死にます。
ふと、横を見ると、身長2m体重200kgの大男がいます。
大男を少し押せば、確実に線路上に落ち、大男は路面電車に轢かれて死に、五人の作業員は救われるとします。

選択肢は、
大男を落とす
何もしない
の2つのみです。

ここで、いくつか仮定を置きます。
・どんな選択をしても、一切の報酬も、法的責任もない
・あなたが決断するまで、時間が止まるため、じっくり考えられる。
・決断はあなたがするため、「関与したくないから、何もしない」という理由は成立しない。

さあ、あなたならどういう理由で、どの選択が正義だと思いますか?



正解のない難問ですね(笑)

このような「公平な社会のあり方」、「正しい個人の振る舞い」などについて考えるとき、私たちは、幸福の最大化(①)自由の尊敬(②)美徳の涵養(③)の3つの異なる観点から考えている、とマイケルさんは言う。
路面電車の事例における、それぞれの観点から生まれる意見を見ていきましょう。

より多くの命を救うため、大男を突き落とす。
「一人の命<五人の命」ということですね。

大男の意思に反して、犠牲になってもらうのは良くないので、何もしない。
男が自分の意思で飛び降りるのは自由だが、それを強制してはいけない。

人を殺すことは道徳的に許されないので、何もしない。
本来死なずに済むはずの大男を、どんな目的があろうと殺してはいけない。

なんとなく、違いをお分かりいただけましたか??
この3つのアプローチの強みや弱み、それぞれの考え方の対立を例を交えて説明していきます。

結論を先に言ってしまうと、マイケルさんは、特に政治においては、③のアプローチを取るべきだと考えているため、①、②のアプローチに否定的です。

幸福の最大化

1つめのアプローチは、最大幸福原理、あるいは、功利主義です。
功利主義の原理を確立したイギリスの哲学者ベンサムによると、
誰もが快楽を好み、苦痛を嫌う。
そのため、道徳の至高原理は、「苦痛に対する快楽の割合(効用)」を最大化することである。

シンプルで分かりやすいですね。
この考え方は、今日の経済学の「効用」という考え方に強く根付いていますよね。

でも、以下の2つの反論があります。
個人の権利
功利主義は満足の総和だけを気にするため、個人の権利を踏みつけてしまうという。2つ事例を出してみましょう。

キリスト教徒をライオンに食べさせる
古代ローマでは、キリスト教徒をコロセウムでライオンに投げ与え、庶民がそれを楽しんでいた。
功利主義の計算では、十分な数の人々が快楽を得ていれば、一人の地獄のような苦しみは、正当化されてしまう。恐ろしいですね。

テロリストの娘を拷問する
また、仕掛けた時限爆弾の場所を吐かせるために、テロリストの目の前でその無実な5歳の娘を拷問する場合はどうでしょう。
純粋に功利主義的な考え方をすれば、沢山の人の命を救うためなら、何も知らない5歳の女の子を拷問することは正義なのです。
(テロリストを拷問するのはまだしも、その娘を拷問するのはさすがに、、、(-.-;))

価値の共通通貨
現実には、いろんな種類の快楽や苦痛がありますが、同一基準で測ることはできない、という反論だ。
実際には、いろんな国や会社で費用便益分析が行われていますよね。
そこでしばしば、寿命や命を金銭的な指標で評価していることが問題になっています。

チェコ共和国のタバコ会社を例に挙げます。
喫煙による医療費増加を懸念したチェコ政府はタバコ増税を検討し始めました。そこで、あるタバコ会社はそれを阻止するため、「タバコは寿命を縮めるため、結果的に医療費を減少させる」という結果の費用便益分析をしました。
人々は激怒し、その会社のCEOは謝罪したそうです。

しかし、功利主義的な考え方をすると、命の価値をお金で測るのは何も問題がないのです。


自由の尊敬

2つ目は、個人の権利を尊重するというお馴染みの考え方ですね。

この考え方を一番体現しているのは、自由至上主義者(リバタリアン)です。
リバタリアンは、「体、命、人格、財産が自分自身のものであり、他者によって侵害されることは許されない」という自己所有権に基づいて、
他人の権利を侵害しないかぎりは、どのように行動しようと自由である」 と主張しています。

一見、正しいことを言っているように思えますが、以下の2つの事例を考えてみてください。

腎臓売買
アメリカでは、臓器の無償提供は認められるが、その売買は許されていない。しかし、自己所有権的な考え方をすると、自分の臓器を、自分の意思で、合意のもと、人に売るのは何も問題はありません。
この意見には賛成する人は少なくないでしょう。(僕も賛成です!)
でも、仮に買い手がただの変態で、買った臓器を部屋に飾る目的だった場合はどうでしょう?(笑) この目的のための臓器売買を許容すべきでしょうか?
また、お金のために、2つ目の腎臓を売ってしまう(=死ぬ)ことも許容すべきでしょうか?
これらのケースでも、自信を持って賛成できますか?

合意による食人
2001年、ドイツのある男が、「殺されて、食べられたいと希望する人を募集する」というインターネット広告に応募し、広告の内容が現実になってしまった。(金銭的報酬はない。)
自己所有権に基づいたリバタリアン的な考え方によると、自分の体は自分のものだから、自分の好きなように使っても構わない。(殺され、食べられるという選択を国家は禁止すべきではない。)

徳の涵

3つ目は、「望ましいと考えられた美徳がまず存在し、その美徳に沿った行動が正義である」という考え方だ。
このアプローチと、功利主義や自由至上主義との最大の違いは、価値観に対して中立ではないのです。(ココ重要です)
マイケルさんは、現代社会で大きな論争の種となっている2つの問題を例に挙げ、私たちが無意識のうちに、価値観に基づく美徳に沿って物事を考えていることを気付かせてくれます。

同性婚
同性婚の反対派で多い意見に、「キリスト教の教義に反し、結婚の意味を汚す」というものがある。これは、明らかに価値観に基づいた美徳による判断ですよね。
一方、同性婚の擁護派はどうでしょう。「本人たちの自由だ!!」と主張している人たちは一見、価値観に中立的な、リバタリアン的な主張に思えます。

しかし、本当にそうなのでしょうか。
仮に、本当にその主張を信じているのだとすれば、一夫多妻や一妻多夫も許されるのではないでしょうか。

結局、同性婚の論争の根源は、結婚に対する価値観の違いであり、「生殖としての結婚」と「独占的で永続的な関係としての結婚」のどちらを美徳とするかであるという。

妊娠中絶
政府による妊娠中絶禁止に賛成する人たちは、「受胎の瞬間から、胎児は人である」というカトリック教会の教えに基づき、中絶は人殺しだと言っている。
一方、反対派は、「中絶するかどうかは、親に決めさせるべきだ」と主張します。
いかにも自由の尊重に基づいているように聞こえますよね?
でも実はこれ、無意識のうちに胎児は人間ではないという価値観を反映しています。
(でなければ、人殺しを容認していることになっちゃいます)

同性婚と同様、妊娠中絶に関しても、結局は対立する価値観どうしの衝突であるという。

まとめと感想

このように、正義に関する問題、特に政治的な議論においては、価値観や美徳を避けては通れない。
そのため、無理に中立を保つ政治よりも、美徳や価値観に向き合い、対立する意見を積極的に議論させ、互いに敬意を払い、学び合う場を設ける政治のほうが、公正で明るい社会を作れるとマイケルさんは結論づけています。



幸福の最大化自由の尊重美徳の涵養という3つの考え方が、上手く混ざり合って普段の考え方に影響しているなあと実感しました。
マイケルさんは政治的な観点では否定していましたが、幸福の最大化も自由の尊重も、普段の生活においては、とても重要な考え方だと思います。
また、どの考え方も極端すぎるとサイコパスになっちゃうんですね(笑)


マイケルさんは、政治においては3つ目がいいという意見ですが、ちょっと理想論に近いと思いました。
政治が価値観に踏み込んでしまうたびに、マイノリティが差別され迫害されてきた結果、たどり着いた最適解が価値観に対する不干渉なのかなあと思いました。


3つの観点の紹介がメインだったため、政治的な議論をばっさり割愛しちゃったので、興味ある方はぜひ読んでみてください!(^_^)

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