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心の産ぶ毛

日本の代表的な精神科医である中井久夫氏(以下、中井先生)のことは恥ずかしながら全く知らなかった。
今年の八月八日に次男は、知人の紹介でこの中井先生の下で学ばれたS先生のクリニックに急患として受診した。
まさにその受診した日に中井先生は八十八歳でお亡くなりになった。
そして先日、S先生を紹介してくれた知人が中井先生の新聞記事とNHKのEテレの「100分で名著」のことを知らせてくれた。

名著125「中井久夫スペシャル」 - 100分de名著 - NHK


本書を読み始めると中井先生が阪神大震災時に大学の医局の総力を挙げて被災者のケアに当たったとあり、次男を診察していただいたS先生も被災者のケアに当たっておられたようだ。

私たちは「とにかく治す」ことに努めてきました。今ハードルを一段上げて「やわらかに治す」ことを目標にする秋(とき)であろうと私は思います。
かつて私は「心の産ぶ毛」ということばを使いましたが、そのようなものを大切にするような治療です。

中井久夫著 最終講義より

中井先生の「心の産ぶ毛」という表現に、中井先生が弱い立場の患者さんと向き合う際に患者さんと同じように繊細な意識をもたれて向き合ってこられたことが伝わってくる。


中井先生が編み出した「風景構成法」は十個のアイテム(川、山、田、道、家、木、人、花、動物」を治療者が1つづつ読み上げて、患者はその都度枠の中に描き入れ、さらに足らないと思うものを描き加えて風景として完成させるものは、誰が描いても普通の絵になるように、患者の健康なものを引き出すように工夫されているようだ。
風景構成法を通した患者の絵に触れた中井先生の以下の言葉がとても印象的である。

何よりもまず驚いたのは、これまでの「患者の絵」として発表されていた、生気がなく、硬く、時には装飾過剰で、総じて奇妙な印象を与える絵とは全く違う絵が描かれたのです。それは自然な絵でした。時にいじけた絵ではあっても、すべて、”感じられる絵”、じっーとみているとわかってくる絵でした。 (中略) 絵のかたわらで患者のことばが次第に育ってゆきました。それは私の精神科医としての生涯の中でもっとも感動的な、快い驚きでいっぱいの体験でした。

中井久夫著 最終講義より


「絵のかたわらで患者のことばが次第に育ってゆく」ということは、まさにイメージ、シンボルに触れて感じることでエネルギーが生まれており、そこにはその人だけの物語が存在していることと重なるに違いないだろう。
実際、体験したことはないが、言葉を使わず動物や人形などを用いる河合隼雄氏の箱庭療法とも相通じるものがあるように思う。

自分が世界の中心であると同時に世界の一部であるという認識が、急性期の妄想に支配されているときは自己中心モードになり、回復期になると自己を抑え過ぎて周囲に助けを求めにくくなる傾向にある、矛盾するものの間で折り合いをつけ、両立させられるかが回復や精神健康の度合いを知るポイントになる。

中井久夫著 最終講義より


次男の症状が現れて薬物を服用するにつれて、初期の症状とは異なる状態(チック症状や身体の無意識の動きや過食、むくみ等)は、症状なのかそれとも薬物服用に伴う副作用なのか精神科医でも見極めが難しいようだ。

中井先生の概念の中である個人にしか該当しないような精神疾患として「個人症候群」という考え方を提示された。それまでは普遍的症候群として、うつ病や統合失調症といった全世界で共通する普遍的な診断名で分類されてきた。次男の場合も急性期に幻覚や幻聴が生じたが、通常の経過パターンでは考えられない過程を経てきた。
そういう意味でも、普遍的なパターンで処方される向精神薬を処方されるとおりに服用していくことで状態が混沌としていくような感じがした。

ナカムラクリニックに訪れ、ナイヤシンアミド等のサプリメントと減薬に向けてのアドバイスをいただき、処方された向精神薬を減薬していった。
次男の治癒の過程を身近に感じつつ、普遍的な治療での再発防止のために向精神薬の位置づけの影響は極めて強く、サプリメントを服用しつつ家族で留意しながら減薬・断薬を進めていくということにはさまざまな不安と葛藤が生まれた。
そんなときに中村先生からは主治医よりも日常、患者を観ている家族の方が本人の状態を適切に把握しているのは間違いないので、睡眠障害の有無を意識して家族の判断を大切にして下さいとおっしゃっていただいたことは大きな励ましとなった。

そして、次男が体力が回復し、アルバイトができるようになり、そして来春には専門学校に行くことになったと伝えた際に、本当によかったと我が子のように喜んでいただいた姿勢に、中村先生の誠実さと患者に対してのまさに心の産ぶ毛のような優しさを感じた。

戦争と平和というが、両者は決して対称的概念ではない。前者は進行してゆく「過程」であり、平和はゆらぎを持つが「状態」である。

戦争が「過程」であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから非常にわかりにくく、目に見えにくく、心に訴える力が弱い。

中井久夫氏戦争と平和より


 中井先生は慢性化した精神疾患の時期を状態ではなく、寛解の可能性を含んだ過程に読み替えることで、諦めと惰性になりがちだった慢性期の治療に希望を与えたという「寛解過程論」を発展させて戦争と平和を過程と状態ととらえてそこに働き民衆および支配者の意識構造にも言及している。まさに国が民衆の意識をコントロールしていく心理構造などは、戦争がとどまることがないまさに今の時代において切れ味鋭く言葉が突き刺さってくるように感じる。


右半分明日に残す冬林檎





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