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聞くこと、話すこと。


尹 雄大氏の「聞くこと、話すこと。」を読み、とても衝撃を受けた。
私自身、言葉がうまく喋れないことに長年苦しんできた。
言いたいという衝動がある反面、思うように言葉にならないもどかしさ。

長年、インタビュアーとして沢山の方と出会われた尹 雄大氏の言われる言葉には、その関係性を通して普遍的なものを感じた。

私たちは言葉の前の意味にならない音を使ってかろうじて言葉として響かせている。だとすると、人の話を聞くというのは、とても不思議なことだ。音の連なりを耳で聞いて、それが意味に変換されるのだから。

聞くこと、話すことから一部引用


意味としての言葉ではなく、その人の身体が感じている音の響きを感じていくことで、表面的な言葉ではなく、その奥に存在するその人の真実の音のない声が伝わってくる。

きしくも先日、言葉の最後に、意味のない音を音を出さずに意識するというトレーニングを重ねている夢をみた。そのトレーニングを色々な場面で
重ねていくことで、それが確実なものとして内側に定着していくという夢の内容は本書とシンクロした内容であった。

また、この間、次男がいろいろと問題を起こし、それの対応に振り回された。辻褄の合わない次男の話に振り回されがちであり、改めて彼の話の内容が本当かそうでないのかという判断ではなく、感情的にならないよう、次男の奥に存在するものを感じていくことの大切さを認識させられた。
言葉としては本当のことは語っていない場合でも、何故、そのようなことを話さずにはおれない彼の衝動を感じていくことが大切であると感じた。
彼に振り回されることなく、家族がお互いに距離感をもって対応していくことを大切にしたいと思った。

本書の中に載せられているモノクロの道路や駐車場のどこにもあるような日常的な写真が、自己主張しておらず、本書の内容を象徴しているように感じた。

聞くこと、話すこと。 / 尹 雄大【著】《ユン/ウンデ》 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア (kinokuniya.co.jp)

本書の最後の「完全に聞くということ」という章の内容は、まさに現在の私と次男との関係性と見事に重なっており、強く響くものがあった。
一部抜粋して共有したい

怖れを大事にするとは、拘束感や圧迫感がやってくるのを避けるのでもなく、目を瞑ってなかったことにするのでもなく、積極的に受け身になって迎え入れることだ。敵ではない。それは私の中で解消されていない記憶なのだから、身体まるごとで対話してみるしかない。苦しいかもしれないけれど、それは苦しさと戯れるのだと理解することもできる
というのは、過去の記憶との和解に向けた話し合いなのだから。
自分に厳しく当たり過ぎて優しくなれなかった時代に置き去りにしてきた自分と手をつなぎ、遊ぶこと。それは自分の言い分を自分で完全に聞くことを意味する。

聞くこと、話すこと。から一部引用


尹 雄大氏もnoteに投稿されていることを今回、知ったので早速、フォローさせていただいた。大阪でイベントがあった際は是非、参加したいと思う。

聞くこと話すことベーシック&アドバンス|尹雄大 (note.com)




辻褄の合はぬ話を鱧の皮


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