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『修羅の都』文庫化記念」特集 【歴史奉行通信】第八十二号


こんばんは。伊東潤です。

いよいよ2021年が本格的に始まりました。
コロナ禍という長いトンネルはまだまだ続きそうですが、それぞれの今年の目標を達成すべく、
気持ちを引き締めていきましょう。


それでは今夜も、歴史奉行通信 第八十二号をお届けします。


〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓


1. はじめにー新連載『天下大乱』と『鎌倉殿を歩く』

2. 『修羅の都』文庫化特集ー頼朝と政子の壮大な人間ドラマ

3. 『修羅の都』文庫化特集ー続編『夜叉の都』

4. 『修羅の都』文庫化特集ー『鎌倉殿の13人』に挑む

5. Q&Aコーナー / 感想のお願い / おわりに

6. お知らせ奉行通信
新刊情報 / ラジオ出演情報


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1. はじめにー新連載『天下大乱』と『鎌倉殿を歩く』

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さて、今年もいくつかの連載がスタートします。
まずそのオープニングとなるのは、「週刊朝日」2月9日発売号から連載が開始される『天下大乱』です。

本作は、徳川家康と毛利輝元のデュアル視点で関ケ原合戦を描いていくという趣向の作品です。
昨今、長足の進歩を遂げている関ケ原研究の成果を基に、徳川家康VS石田三成という従来の図式から脱却し、
文字通りの東西決戦という視点、すなわち三成の代わりに毛利輝元の視点を設け、家康と交互に描くことで、
東西両大名の駆け引きと対決という図式を構築しようという試みです。

必ずや新たな関ケ原合戦が見えてくると思います。


また神奈川新聞で、1月17日から月一の連載が始まりました。
タイトルは『鎌倉殿を歩く』。
この特集は全13回で、13人の宿老たち一人ひとりの紹介とゆかりの地と史跡を取り上げていきます。
歴史を学びつつ史跡めぐりにも役立ててほしいと思っています。

第一回は北条時政。「政治力に富むリアリスト」という副題が付いています。

「(時政が)頼朝と共に武家政権という新しい政治権力を創出し、三代実朝の時代まで鎌倉幕府の中心にあって辣腕を振るい続けたのは事実だ。
つまり時政は政治思想家ではないものの、政治力に富むリアリストだったのだろう」

という感じですね。
この連載は後々フォトブックになる予定なので、神奈川新聞を取っていない方は、しばしお待ち下さい。

またもう一つの連載も始まったのですが、こちらは一挙掲載のためのエアー連載になるので、題材などはオープンにできない状況です。
こんな感じで、今年もスタートしました。


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2. 『修羅の都』文庫化特集ー頼朝と政子の壮大な人間ドラマ

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さて今回は、この1月に文庫化が成った『修羅の都』特集です。
本作は2018年の2月に単行本が発売されたので、ほぼ3年後の文庫化となります。

本作は平家の滅亡から頼朝の死までを、頼朝と政子のデュアル視点で描いた長編ですが、
二人の残した鎌倉幕府という武家政権ほど、後世に大きな影響を及ぼした(手本となった)ものはありません。
すなわち、それまでの朝廷と公家による政治の主導権を武士が奪うことにより、武士の時代が始まったのです。

要は「無為徒食する公家たちから政治の実権を取り上げ、武士(開発領主)が政権を担う」ということですが、
これは世の中の仕組みを一変させるほどたいへんなことで、その中心としての役割を担った頼朝と政子も苦しみ抜きます。
頼朝自身が京都育ちということもあり、公家文化への憧憬とノスタルジーを抱えているので、朝廷と武士たちの板挟みになっていくわけです。
一方、為政者ではない政子にしても、頼朝の血統を守っていくことと実家の北条家との板挟みとなっていきます。

本作は怨念渦巻く鎌倉での謀略と争闘の日々を描きつつ、それでも武士の世を守り抜くために奮闘する頼朝と、
それを支える政子の苦悩と葛藤を描いた人間ドラマです。

頼朝一代では武家政権を確立しきれなかったのは事実ですが、
それだけ社会システムの改変というのはたいへんなことなのです。

当時の人々の寿命は短く、これだけの革命を完全にやり遂げるには、二代から三代の歳月が必要になります。
というのも京都には朝廷が健在で、朝廷そのものを滅ぼさない限り、しばしば揺り戻しが起こります。

中国や半島では王朝そのものを滅ぼすことで、極めてうまく政治体制の刷新が行われてきたわけですが、
日本の場合は朝廷を利用することで優位を確保し、また朝廷は利用されることで延命を図るという微妙な駆け引きが存在したため、
朝廷というものを残さざるを得なかったのです。

しかも朝廷の見事なのは、自らの権威を神格化し、それを崇め奉らせることで、
天皇や「治天の君」の神格化を成し遂げ、その下賜する官位官職によって多くの武士たちを平伏させたことです。

後半では、こうした朝廷すなわち後白河院の常套手段に、肉体的にも精神的にも衰えの見えてきた頼朝は踊らされます。
まさに平清盛の轍を踏まされるわけです。
しかし頼朝には、妻の政子とその弟の義時という強力な支援者がいました。
そのため頼朝の死後も鎌倉幕府は続いていくわけです。

ではなぜ、頼朝は後白河院に操られるようになったのか。鎌倉幕府はなぜ瓦解の危機を迎えたのか。
そして頼朝の死からさかのぼること約四年間の『吾妻鏡』がなぜ欠落しているのか。
それらの謎を一つの解釈として提示したのが『修羅の都』となるわけです。 

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