見出し画像

遺伝と努力〜言ってはいけないー残酷すぎる真実ー/橘玲

血の滲むような努力により成功を勝ち取ったと言うストーリーは、何時の時代も人の心を動かします。
抽象化して考えると、世の小説や映画、漫画も結構な割合、このストーリーに準じていますよね。
そういったコンテンツに刺激を受け、自分に喝を入れてひたむきに何かに打ち込むこと、それはそれで素晴らしいことだと思います。
自分だって、自己啓発書は小説、映画を見て(一時的にかもしれませんが)刺激をもらうこと、よくあります。

一方で、人に個体差・能力差があることはみなさんも実感として感じているところかと思います。自分なんて仮に生まれた瞬間から努力し始めたとしても、硬式球を160km/hで投げることはできず、100mを9秒台で走ることはできなかったでしょう。
ただ、スポーツについては受け入れやすいこういった「限界」ですが、頭脳・頭の良さによりなんとかなる、という風潮が強いように思います。

そもそも、日本全体が「教育の機会は平等に与えられていて、本人の努力次第でどうにでもなる」というのが暗黙の了解かと。自分も、明確に意識はしていなかったものの、そう思い込んでいました。
高校・大学時代にバケモノみたいに計算が早かったり、暗記能力が高い人は数名おりましたが・・・。

本人の努力に全てを押し付けること是非

最近、会社で少し教育や人事に関わる仕事をやらせてもらっています。
そのような業務に携わっていると、いろんなことを考えます。

・もっと会社なり部門全体のことを考えて仕事をしてくれないかなぁ。
・文句は言うけどどう改善したらという建設的な意見はいってくれないな。
・自由応募の魅力的な講義があるに、なぜこんなに応募してくれないのか。
・あんなに何度も伝えたのに、全然理解してくれてない・・。
・なんでこんなに視野狭窄なんだろう。

いわずもがな、もちろんこちらの能力不足による部分はたくさんあるものの、人には個体差があり、やる気も能力もばらばらだなというのを改めて痛感させられます。
詳しく本書に譲りますが、現在社会的に成功するために重要な要素となっている知能は、遺伝的要素と環境要因の両方が影響しており、大体半々、とのこと。

環境要因の影響が少なからずある、ということは後天的に努力でなんとかできる部分があるという意味では、これまでの日本の教育におけるスタンス=機会は平等、あとは本人の努力次第 というのは強ち間違ったものではない、ということを示しているとも言えます。
一方で、遺伝的要素があるということを無視してよいか、といわれると別問題だと思います。
結果だけではなく、頑張る・努力をするプロセス自体にも価値がある、ということはあると思います。
しかし、少なくとも自分は日本に限っても教育、ひいては社会的影響が自分の努力だけでなんとかなる、失敗しているのは努力が足りないからだという考えはすこし違うんじゃないかな、と思い始めているところです。

こういった、遺伝か環境かという話を聞くまでは、自分は努力の成功要因ん大半は努力による、頑張ってないとダメというような偏った認識が少なからず持ってしまっていました。
本書を読むことは、そんな偏った考えを一歩引いてみる機会となりました。

本書には頭のよさ、だけではく身長と体重、美醜(ルッキズム)に関する内容で、世間一般にはタブーとされていることもエビデンスをつけて述べられています。
もちろん、エビデンスがあるからといって全てが正しい、とは言えないものの、努力と遺伝という二軸は人を考える上で大事なことのような気がしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?