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Why?から始める生活と仕事<5>お金を払う価値のあることへ。

春はもともと大好きな季節ですが、今年は文字通りにも比喩的にも暗くしんどかった冬を乗り越えて、とても幸せなシーズンになっています。

いやあ、健康って本当に嬉しく幸せなことですよね。いま、黄金週間の真っ最中ですが、長期休暇の過ごし方としては自分史上ベストなものになっています。毎日早寝早起きして、無理も無茶もせず、マイペースで楽しむことができています。

基本的に転勤先のアパートで過ごしているのですが(ときどき出かけてもいます。家で座りっぱなしは体にも気分的にもよくない)、この休暇中は、オンラインをフル活用しています。オンライン英会話のレッスンを毎日受講し、先日はアメリカのスタジオから配信されているZUMBAのレッスンにオンラインで参加。また遠く離れている友人や仕事の同期たちとビデオチャットも楽しみました。

一昨日は大学時代からの親友とビデオチャットで3時間ノンストップでお喋りしました。いろいろな話で盛り上がり、大いに笑い、大いに楽しんだのですが、その会話のなかで、ふたりして気づいたことがあります。
「人間、手間暇を惜しむと浪費してしまう」ということ。

具体的な内容は避けますが、周囲が自分の無知やリサーチ力の無さから大金を支払おうとしていたなか、友人は自力でより安価なサービスを見つけたという話を聞いたわけです。

話が若干逸れますが、いまの私はお金を使うことにとても意識的になっています。もっと早くそうすればよかったとも思いますが、これまでの浪費は勉強代ということにするつもり(でないと悲しすぎる)。あと、人間、切羽詰まらないと、こういう意識改革は起きないですよね。実は、17歳になる愛犬が寝たきりになり、介護と通院費にお金がかかるようになったので、必然的に節約せざるをえなくなっています。

お金。たかがお金、されどお金。いや、決して「たかが」ではないですよね。お金で買える幸せって確実にあるわけですから。

私たちは、自分の頭で考えたり、足を運んだり、リサーチしたり、自分で作ったり、という手間暇を省くことで、実にさまざまなことにお金を使いますよね。究極的には、そのためにお金はあると言ってもいい。でも、自分でどうにかすることをさぼっていたら、お金はいくらあっても足らないですから、そこはできる限り、自分でやってみることが必要になってきます。自炊なんて、その典型です。

この黄金週間中、私は、とてもいいお金の使い方ができたと思っています。自分でお料理を楽しんだし、オンラインを利用した楽しみはお金が全然かかっていないし、やれることは自分でやろうとしてみたからです。

ちゃんとメリハリもつけました。たとえば、先日、故郷にちょっとだけ帰省したとき、車を持たない私は駅からタクシーを利用したときもありました。でも、歩ける距離(徒歩30分くらい)は歩きました。おかげでその日、2万2千歩以上歩きました。時間のある休日だからできたことでもありますが、いい運動になったし、歩きながら、新しいお店を見つけたりもできました。

その日の晩ごはんは友人といただきました。地産地消の素材を使っていることが有名なお店で、私がいただいたのは、地元ブランドのローストポーク。素晴らしく美味しくて、これは自分では作れない、とお金を払ったことに価値を見出しています。昨日はひとりでオムライスのランチ。これも、素晴らしいボリュームと味で、「正しい外食」だったと思っています。ほら、カフェ飯って、お洒落だけどボリュームが足りないイメージがありませんか?このお店は、よい例外でした。そして、よいお店というのは、こういうことだな、としみじみ思いました。

で、昨日の晩ごはんのパンは耳でした。パンの耳。朝行った近所のパン屋さん、400円以上買い物すると、レジ脇に置かれたパンの耳をいただけるんです。タサン志麻さんのレシピにあった「チーズパン」を、この耳で作りました。ふつうの食パンで作るレシピでしたけれど、耳でまったく問題なく、美味しくいただきました。

そうか、気持ちよくお金を使うって、こんなに健全で楽しいことなんだな、と遅ればせながら実感している毎日です。この気持ちを大切にしながら、お金と上手につきあっていきたいです。

そういえば、書くこともお金のかからない楽しみですね。ラップトップさえあれば、あるいは紙とペンさえあれば、いくらでもひとりで遊べるこんなことが大好きな自分で良かったです。


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