じゅんこ

とあるセラピーお勉強中。NLPマスタープラクティショナー。日々の思いつきや、自分の内側…

じゅんこ

とあるセラピーお勉強中。NLPマスタープラクティショナー。日々の思いつきや、自分の内側から湧いて出てくる言葉を日々つづっていくnoteです。

最近の記事

愛はほんとうはすでに存在している だけど・・・

わたしのきづき 愛とは いのち と いのち が 共に存在するとき そのあいだに、もうすでにあるもの あたりまえに そこにあるもの ただそれを両者ともに 受け取らない とか ないものとして扱おうとする とか 信じられない とか そんなふうに、おしだしている。 なぜ おしだしているかというと それはじぶんのなかにある“勘違い“から。 この世にそんなものはないのではないか あると思ったら突然なくなるのではないか 得るためにありのままでいられないのではないか ち

    • 子育てで必要な、たったひとつのこと

      そのままのあなたを愛しているよ、 たいせつに思っているよ それをつたえること ただそれだけなんだけど でも、それをできないときがある いつもいつもできるひとなんていない 心からするのがむずかしいこともある それに気づいているならば  親であるわたしたちが、癒されることが もっともっとたいせつなことだったりします こどもにたいして一生懸命なにかするよりもさきに まずはじぶんのそのままを見つめて じぶんをたいせつにすることを いちばんにするほうが 実はすごくこどもさ

      • 自分のありのまま 他人のありのまま 両方を認めながら共に生きていく、そんな「在り方」

        記事としては、 とても久しぶりの投稿になりました。 「やり方」よりも「在り方」を探求する日々。 わたしだけかな? 湧き起こることを文章化するときに 思考優位になってしまうので そうするとBeingからDoingに切り替わってしまいやすいんだな そんな自分に気づいています。 自分のありのままを認めること これって、どんな人にも当てはまるテーマなのではないかなと思います そして 自分のありのままを認めること 誰かのありのままを認めること    どちらも実現し

        • なんなんでしょう… 夜中にむくっと起き上がったときに、 「今すごく重要なメッセージを受け取った。忘れないうちにすぐにメモしないと!」と思ったんだよね。 翌朝、なんだったかな〜と思ってKeepメモ開くとコレ。笑

        愛はほんとうはすでに存在している だけど・・・

        • 子育てで必要な、たったひとつのこと

        • 自分のありのまま 他人のありのまま 両方を認めながら共に生きていく、そんな「在り方」

        • なんなんでしょう… 夜中にむくっと起き上がったときに、 「今すごく重要なメッセージを受け取った。忘れないうちにすぐにメモしないと!」と思ったんだよね。 翌朝、なんだったかな〜と思ってKeepメモ開くとコレ。笑

          真の意味での「心に寄り添う」をやりたかったんだ

          わたしは 真の意味での 「心に寄り添う」 をやりたかったんだな そして、その方法をいま、学んでいる。 こんなことが、 体系化されて学ぶことができるだなんて そして、それに出会うことができるだなんて 生きてきてよかったと 心から思う。

          真の意味での「心に寄り添う」をやりたかったんだ

          「対等さ」というキーワード

          人間関係でモヤッとして、 でも何にモヤッとしているのか 言葉にできないことも多々あります。 「対等さ」が関係していることが もしかしたら多いかもしれないと 今日ふと思いました。 わたしたちは、 いくら年齢差があったり 社会的立場、置かれている環境などが ちがったとしても、 人として対等であるべきです。 モヤッとしたときには、 「対等かどうか」 に少し意識を向けてみようと 思うのでした。

          「対等さ」というキーワード

          湧き起こるじぶんの望みや願いを「じぶんで」叶えてあげること、それが生きるということではないかな

          湧き起こるじぶんの望みや願いを じぶんで叶え続けてあげること、 それが生きるということではないかな とわたしは思うのです。 それが、この世に「わたし」として 生まれてきたことの目的であり、 それ以上でもそれ以下でもない。 これは、何も人間だけじゃない どんな動物も植物も。 じぶんの命をただ、 その命のかぎり じぶんとして生きるだけ。 望みや願いに忠実に。 だからこそ、 わたしたちは自分の中の 「本当の望み」や「本当の願い」に ただ、気づいている必要があります。

          湧き起こるじぶんの望みや願いを「じぶんで」叶えてあげること、それが生きるということではないかな

          自分のペースで、自分の好きなように、ただ伸びていきたい

          安全なかんきょうで じゅうーぶんな安心感につつまれていれば、 じぶんの中の “叡智(えいち)“にしたがって 自ら成長していく力を みんなが持っています。 ただ、それに気づくのが難しいくらい、 みんないつも 「こうすべき」 「してはいけない」 に動かされていて、 じぶんの中の “叡智(えいち)“に アクセスする暇も無いのが現状かもしれません。 ほんとうは、どんな人も… いや、この世のどんな生き物も植物も じぶんのペースで、自分のすきなように、 ただ伸びていきたいだけ。

          自分のペースで、自分の好きなように、ただ伸びていきたい

          言葉を介すからこそ、わかりあえない事がたくさんある

          わたしたちは 言葉を使ってコミュニケーションをとっていますが 言葉だけを頼りにしていると なにか、とても大切なことを見落としてしまうことも あると思います。 なぜなら、 自分の本当に感じている事を そのまま言葉にできている人は意外と少ないからです。 表面的にはとりつくろって 「大丈夫」 という言葉を発しているけれど、 本当は 「辛い」 って感じている。 自分の中に「辛い」があることにも 気づきにくくなって… 外側と自分と、内側の自分が バラバラになってしまいます。

          言葉を介すからこそ、わかりあえない事がたくさんある

          何かに優れなくても。何もしなくても。何も持っていなくても。そのままのあなたで、価値がある。

          子どもの三者面談がありました。 学校の先生と話すたびに、 子どもを褒められることに なぜか抵抗が生まれるのですが それがなぜなのか… 言語化できずに モヤモヤしていたことが 今回、すっきりしました。 学校はそういう評価をするところだけど 本当は評価するという行為がナンセンス。 何かに優れなくても。 何もしなくても。 何も持っていなくても。 そのままのあなたで、価値がある。 ということを 子どもにメッセージとして伝えたい。 そう感じている事に気づきました。

          何かに優れなくても。何もしなくても。何も持っていなくても。そのままのあなたで、価値がある。

          「自分について、気づいていないこと」が多すぎるものだと思いました。

          人は 「自分自身のことなんて、 当然分かっている。 だって自分そのものなんだから。」 と思っていると思います。 そりゃそうですよね。 24時間365日、一緒にいる(?)わけですから。 ところがですね、 一緒にいる(?)時間が長すぎるが故に 見えていないことの方が実は多い と思います。 自分に起きていることは 自動的にプログラムされていることばかりで 当たり前にやっていること、 「それが自分」だからこそ 他人から見ると 「〇〇さんってこんな人だなぁ」 という明らかな部分

          「自分について、気づいていないこと」が多すぎるものだと思いました。

          選択の自由がないとき、人は苦しくなる。何がそうさせているかというと、自分自身だったりする…

          人が苦しみを感じるのは、 選択肢が少なかったり 選択の自由がないように感じるとき。 だけど、 本当は無数にある選択肢を 狭めているのは、 自分自身の思い込みだったりします。 それも無意識に… 自分の気付かないうちに 本当はあるはずの選択肢を、見ないように 無いことのようにしていることが、あるのです。 無意識に起こっていることに まず気付くことはとても大きな一歩です。

          選択の自由がないとき、人は苦しくなる。何がそうさせているかというと、自分自身だったりする…

          「自分に一致するための努力」と「自分と不一致になっていく努力」がある。

          努力が絶対だ! とも 努力なんて必要ない、 とも わたしは言わない。 一番たいせつなのは、 その『方向性』だと思う。 本来の自分と一致するための努力… たとえば自分と向き合うことは怖い。 でも自分のためにその怖さを乗り越えることや、 本当になりたい自分になるために必要な努力。 それと逆なのは、 本来の自分が望んでもいない方向性への努力… それは他人軸の価値観に自分を合わせようとして 本当はなりたくもない姿を、目指している努力。 これは自分と不一致になっていくた

          「自分に一致するための努力」と「自分と不一致になっていく努力」がある。

          もっとも生産性のある行いは、「自分と向き合い」「自分を大切にすること」なのではないかな

          もっとも生産性のある行いは、 「自分と向き合い」「自分を大切にすること」 なのではないかな そう考えています。 自分と向き合っているようで 向き合えていない人は多いです。 本当の意味で自分と向き合ったことがなければ 本当の意味で自分を大切にはできません。 自分と向き合うことには 怖さを感じるかもしれません。 安心感に包まれた場所でこそ 本当の意味で自分と向き合うことができるし、 そうなると、 自ずと叡智がはたらき、 自分自身のことをあなたに教えてくれます。

          もっとも生産性のある行いは、「自分と向き合い」「自分を大切にすること」なのではないかな

          あなたが「自分自身を生きること」について、何人たりとも咎めることは許されないのです。

          わたしたちが、 自分の人生を、 自分の望みを叶えながら生きていくことについて 他人からとやかく言われることは あってはならないことです。 まずは、そのことを知りましょう。 それでも、 とやかく言ってくる人は存在します。 だけど、それに対して その意見を受け入れるのか? 「受け入れる必要のない意見」とするのか? どちらを採用するのか わたしたちは選択することができます。 ただ、今の世の中では、 本来の自分で生きようとすることに 「苦しみ」や「恐れ」が伴う場合が ま

          あなたが「自分自身を生きること」について、何人たりとも咎めることは許されないのです。

          他人には多少の嘘をついてもいいけれど、自分に嘘をつくのはよくない

          「我慢して生きるほど人生は長くない」 という本に書かれていた一節です。 このフレーズには深く頷いてしまいました。 今なら「その通り!」と思えますが ほんの1〜2年前のわたしは 自分が自分に嘘をついていることに 気づいてすらいませんでした。 もしかしたら、 気づかないふりをしていたのかもしれません。 そうせざるを得ないほど、 周りを優先することが染み付いていたのです。 「我慢して生きるほど人生は長くない」 これも本当に、その通りだと思います。 いつまで我慢を続け

          他人には多少の嘘をついてもいいけれど、自分に嘘をつくのはよくない