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伝わらない、お互いに。

このようなお言葉をいただきました。

「間違えたら修正していきたいとか言ってたけど
人の価値観とか人の感想とか人の話、否定しかしないし聞く気があるとこ1回も見たことないから
もうほんとに何言ってるのか全然わかんなくなった」


「間違えたら修正していきたい」

これを常に言っていることは事実です。


人の価値観、人の感想、人の話

否定しかしない。


確かに、この方の考えや思ってることを聞けば、それは否定的な言葉になってしまうことが多かったように思います。

否定しかしない、に関しては、誇張して、「それは違う」と言えます。

"しかしない"はずがないし、これは本当に違います。

聞く気があるところ1回も見たことない、に関しても、絶対に違います、聞いたし、傾聴したし、
確かに自分が話すことの方が多かったですが、気づいたらそうなってたので、

「俺は今、話したいことを話したいだけ話すよ」

と言ったこともあるし、その上で本人がそれを納得した上で聞いていたはずです。

このあたりの嘘は、本当にご勘弁ください。


ただ、尊敬しているところは尊敬していて、それは言葉にもしていたと思うし、伝えたい感謝は伝えさせていただいていたと思います。

いただいた、この2つの言葉について、
自分なりに曲解なく、自分の思うことを言語化させてください。


「間違えたら修正していきたい」

自分は偶然、やりたいと思ったことを、やりたい時に、やりたいだけやろう、と思えるので、
あくまで比較的ですが、数多く、色々な場所に、向かえる範囲で向かい、多くの人とも出会ってきたような気がします。
当然、人と会う数が増えれば、嫌な言葉を聞くことも、見たくないものを見ることも増えます。

なにより、「嫌われること」が、当然ですが増えます。


そのリスクは当然、承知の上です。
もちろん、傷つく時は傷つきます。
ただ、これも偶然ですが、大切にしたいと思える人との出会いの方が多かった。

自分とは違った考え方を話している人と出会い、「確かにそうだな…」と感じた瞬間の学びというのは、とても貴重に思います。

「自分は勝手にこう思っていたけれど、実は違うな」

自分にも捉われている固定観念はあり、それを捨てることはとても難しいですが、感情の折り合いもつけながら、自分の大切な過去すら、否定する覚悟で、

「今、それが正しいと思ったことは、素直に受け止めたい」

と思えるようになり、
気づけば簡単に、自分自身が変わるように、勝手になった気がします。

「確かに、その通りだわ…。。」

これ、僕の口から聞いた方は必ずいるはずです。
簡単に変わるという実感はあるのですが、
簡単に変えてくれる人と出会えることは、
どんどん少なくなってきているように感じます。




人の価値観、人の感想、人の話、
否定しかしない。


否定的な言葉を選んでしまう機会は、確かにとても多くあります。
特に、「価値観」というもの、これについては、「価値観」自体が「そもそもない」と思える人から、僕自身が、否定的な言葉を投げかけられることはとても多く、それはつらいです。

人、特に大人から教わったこと、たくさんあります。

ただ、自分なりに、取捨選択しながら、経験を通しながら、
「自分はこう思う」を探してきたし、今でも答えなんて到底わかりません。

この過程をしていない人からは特に、
「それ、もうとっくに言い尽くされてるし、それできっと苦しむ人多いし、自分自身も苦しんでるじゃん…」
みたいな感想が僕の中では裏付けとしてありながら、
否定しかされてない気がします。

「変わり者だよね」
「なんか変わってるよね」

これらの言葉が象徴的です。


感想を否定、これも、それが、誰かを傷つけると自分が思うものであれば、否定はしてしまったかもしれません。ただ、その理由は伝えていたように思います。足りなかったかもしれません。


人の話、この部分については、もう上記で事足りると思いたいので、割愛させていただきます。


いずれにせよ、この2つの言葉をくださった方とは、自分なりに向き合ったつもりで、思ってることもすべて話した上でなので、正直、後悔はありません。
ただ、向き合うほど、自分にとっては否定せざるを得なかった言葉が確かに多かったような気がします。


唯一、僕の中で、体験を通して自然と生まれた教訓なようなものを残させてください。聞いた方も、たくさんいると思います。


他人事を他人事にしている限り
自分事も他人事にされて当然


この言葉が、今の自分の考えを裏付ける上で、とてもしっくりきます。

そういえば、突然思い出しました。
とある方と会話してる時に、自然と会話の流れの中で、この言葉を伝えたタイミングがあり、
その際に、

「うわぁ、刺さりすぎて、つらい」

と言ってくださったこと、
偶然、今の自分に染みついた言葉が、
どんなカタチであれ、何かが伝わったような体験をし、
僕は嬉しかったです。

「否定しかしない」

と言われてしまい、それがそのまま、ある種の噂話のようなカタチで誰かに伝わり、

「あいつ、否定しかしないらしいよ」

となるのは、もう、

めんどくせえ

と思い、言語化するのもめんどくさいけど残しました。

否定するのであれば、その理由や、その理由が持つパワーみたいなものは、たぶん、とても強いです。

正しいかどうかはわからないけれど、
自然と身を任せながら生きてきて、
偶然、今それが自分にとっては正解"だと思う"くらいのことです。

押し付けません、任せます、当然です。

昨夜、久しぶりに会った友だちと、
確かに、あそこまで本音を話したのは初めてだったように思い、

「準貴のことこう思ってたけど、話したら全然違ったわ。」

と言っていただき、どういう意味で違ったのか、それが悪い方向であれ、お互いの中で、

「話すって大切だよね。」

という、至極当然の結論に至りました。

以上です、ありがとうございました。

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