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日々是妄想: 歴史に意識を向けること

歴史が苦手で嫌いな人は意外と多い。私も得意からは程遠い。とはいえ歴史に関わらずに生きることは難しい。全ては大なり小なりの歴史の積み重ねによって今があるから。
好きも嫌いもなく、歴史はそこにあって常に現在進行形、無視することは不可能だし賢明とは言えない。何かが起きる必然は大概、歴史の中にある。故に意識することが大事だとやっとこの頃は思える様になった。通信制の大学に入って割とすぐに買った『詳説日本史図録』『詳説世界史図録』は今も本棚にある。

美術史を学ぶこと
今は近代美術史についての講義を受けている。近代というからには産業革命以後、大体200年くらいというアバウトな概念…
この間、産業革命があり、世界大戦は二度起こり、それ以外にも紛争が絶えることはなく、技術革新は高速で進歩し、同時に社会変化も加速し続けた。最近ではpandemicによる世界同時多発的なカタストロフは日常に大きな影響をもたらし、芸術もその影響から逃れることはできない。これも全て歴史なのだ。
歴史を学ぶことは次の変化を想像することでもある。同時に自分が育った時代を改めて俯瞰することにも繋がる。特に60-70年代は歴史的にも個人的にも気になっており、その時代の芸術動向についての講義を振り返っておく。

テーマ: 日本の戦後の前衛芸術

前衛芸術を考える上で押さえておくべき視点・論点
憲法と刑法のせめぎ合い。
表現の自由は憲法で認められていても、取り締まりをする側のルールである刑法は政治とも絡み、解釈のズレや衝突が常に生じる。小林多喜二の様な犠牲者は少なくなかった。個人の思想VS国家の二項対立において個人の命は尊重されない。戦前の憲兵による取り締まりは死者を出すことも多々あったと歴史が教えてくれる。
戦前の時代背景を振り返る。
戦争へと時代が動き始めた戦前、文化工作、宣撫工作、皇軍慰問は政治主導による他国への侵略工作の側面がある。
武力の前に自国の文化を先に相手に伝え、警戒されない方法として美術を利用した。藤田嗣治は軍部に取り込まれ広告塔の役割を果たす。これが戦後にバッシングとなって藤田嗣治に大きな試練を与え、最終的に日本国籍を捨てることになるとは知るよしもなかった。その当時は…

藤田嗣治が描いた初期の戦争画部分。
作戦遂行の様子が描かれている。
国立近代美術館にて。

美術が政治に利用された事実は戦争画によっても知ることができる。そもそも戦争画は軍部による依頼であり、自国民に対するプロパガンダだった。敢えて大きなキャンバスに描かれたことにも意味がある。画家はその大きなキャンバスに、ドラクロアやベラスケスの様な戦闘シーンを描こうと意気込み、現地に赴いたのだった。

日本の戦後に美術史はない。

敗戦によってアイデンティティーを失った時点をゼロ地点とする。世情が落ち着き始める頃になって、あらゆるタイプの芸術動向が生まれては消えていった。完成した形として残ることを目的としない、一回限りのイベントなども多かった。
その後反芸術運動が過激化することで、芸術から社会変革を目論む動きも現れ刑法で取り締まられるケースも増えた。後の学生運動とも絡み芸術家=不逞の輩というイメージが作られた気がする。勿論、全部がそうではないにせよ、体制vs反体制のせめぎ合いはニュースでもセンセーショナルに取り上げられた。
特に反万博の運動は高度成長を目指す国策に明らかに逆らう動きであり、その歴史が芸術をきちんと取り上げる機会を奪った様にも思う。政治の季節に巻き込まれたまま、宙ぶらりんになっている…

敗戦という現実の重さに向き合う理性は脇に追いやられ、とにかく前へと進む腕力が求められた時代。高度成長期にはそういう側面があったと美術史を学んで気付かされた。これがあったからこうなった。歴史はその繰り返しだが、結果はひとつに回収されるとも限らない。そこがややこしい。
個人の歴史は大きな歴史と無関係ではないし、無関心でもいられない。自分ごとに引き寄せて考えることで、歴史は初めて意味を持ち、血肉になる気がしている。

そういうことだったのか。

美術史の講義でも、毎回何らかの社会情勢と歴史を知ることで理解の深さが変わる。社会と芸術は人を媒介として繋がるもの。作品の羅列と年代による分類ではそこまでの理解は難しい。

講義を聴きながら、三島由紀夫の東大安田講堂でのドキュメンタリーを思い出した。60年代後半、学生運動が激しくなりロックアウトされた安田講堂の映像はニュースでも流れた。三島由紀夫はその場所に単身で乗り込み学生と話し合った。精神の在り様を説き、自分の内をもっと掘り下げ見つめることを訴えた。革命は自分の内側に起こせ。全体主義に飲み込まれるな。不意にそんな解釈が浮かんだ。それはある種のデジャヴの様にも思えた。
“だって、大事なことは殆ど変わっていないじゃん!”

歴史を紐解き考察することが、今を生きることにも繋がる。時の忘れ物を探しに行くことも歴史なのかも知れない。忘れ物は多そうだなぁ…。
せめて足元の歴史に目を向ける意識は持っておこうと思う。正しいかどうかはともかく、目線はあっていいのだ。
とりあえず、山川の歴史図録は捨てずにおくか…。

過去を象徴する黒い太陽。その眼差しの先は…。
内部には進化の過程を描いた模型がある。

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