今こそ、本音の人生を追求したい! ー建前ではなく、本音で生きていきたい人達に向けて

 

 本音の人生。

 今まで感じていた違和感の正体として、私はずっと本音を抑え込んでいたように思います。いわゆる建前の人生を歩んでいたということです。本音を言ってしまうと、周囲に顔を顰められるし、また心配もされてしまうのです。勿論ながら、社会で生きていく為には、ある程度の建前も必要です。本音ばっかり言っていたら、露骨すぎるといいますか、相手が引いてしまう為、しょっちゅうは言ってはいられません。

 けれど、これが自分の人生そのものについてだったらどうでしょう?本音をずっと抑え込んで建前だけで生きていくことは、果たして出来るのでしょうか?もちろん逞しい方や、器用な方は出来るでしょう。けれども、私自身は、不器用な方なので、限界を感じてしまうのです。

 建前ばかり言い続けるのは疲れた。だからこそ、今自分自身と向き合い、本音をきちんと確かめるべきだと思ったのです。だからこそ、今この本音の人生を追求しているのです。


・建前の人生と本音の人生とは?


 建前とは、この場合表向きのことです。例えば、大学卒業して立派な社会人になって、社会に貢献したい(もちろん心からそう思っている方も多くいることでしょう)とか、結婚したら子供を産んで幸せな家庭を築くこと、とか外側から見たときに立派だなあとか素晴らしいなあと思えるようなことです。

 その一方でよく裏に隠れる本音とは。例えば、大学卒業したらすぐに就職することでは、建前では社会貢献であっても、本音では卒業後フリーターになるのは体裁においても将来性においてもよくないので、きちんと福利厚生が整っていて安定している大企業で働いた方がいいよね、とか。結婚して子供を産むとことでは、建前は幸せな家庭を築きたいでも、本音としては稼ぎ頭の旦那と結婚して、子供を産むことでより確実に旦那をキープしておく、等。もちろんこれは具体的な誰とかの話ではなく、あくまで例え話です。

 このような、建前と本音で建て前中心で生きていく人生を建前の人生、本音中心で生きていくことを本音の人生といいます。


・建前の人生で息苦しく感じている人へ


 もちろん、建前の人生が悪いというのでもありません。たとえ本音は全然違っていたとしても、素晴らしい仕事や成果を出し続けていたりしていることは、すごいことだと思うし、またそのような人生も良いなあとも思います(これについては、建前とかお世辞ではなく心から認めていますよ!)

 見方は様々であり、建前で生きていくのもまた、立派な生き方の一つだと思います。

 けれども、私のように建前で生きていくことに限界を感じている人たちに向けては、無理して建前ばかりの選択をし続けるのは、正直辛いでしょうに、とも思うのです。本音を隠し続け、建前ばかり言い続けると、やがて耐えきれなくなってしまうでしょう。

 なので、そのような人たちは、一旦建前は置いて、本音をきちんと受け止める必要があるのです。なので、この記事は、主に私自身へと同じく建前ばかりで疲れている方へに向けたものになっておりますので、ご了承お願いします。


・建前ばかりの人生では、社会に出たときに挫折する危険性がある。


 学生の頃は、決められた通り一定以上の成績を取って単位を取れば、たとえ本音が立派な大人になる為、ではなく学歴をつけて潰しを効かせる為、であったとしても何も問題もなく、卒業することが出来ます。

 でも、社会に出たあとはどうでしょうか。

 社会人になれば、学生の頃とは違い、逆に私達が働いて会社や社会に貢献することが求められます。そして、その見返りにお給料という形でお金を渡されるのです。人に提供される側から提供する側へと移るので、主体的に行動することが求められるのです。ただ会社に行くだけでお給料を貰えるというのではありません。

また、社会人生活は、最近は転職する人が多くなったとはいえ、少なくとも10年は続き、また全体では定年まで働き続けるとなると、30~40数年と長~く続いていくのです。そう、私達の今まで生きてた年月と同じ長さまたはもっともっと長い時間を仕事生活に費やすのです。そう考えたとき、一時的に建前を言っていたとしても、果たしてそれを上手く言い続けることが出来るのだろうか?と問うのです。


 もっとも、その前に会社に入る為の面接の段階で躓いてしまうでしょう。建前と本音を上手に使い分けられる人は、まず本音を置いておいて、会社が求めているであろう受け答えをすることが出来ます。

けれども、それが苦手な人は?建前として例えば、御社のこれこれこういうところが素晴らしくて等と言っても、実際は本音とズレが生じていて、話している途中で違和感を感じてしまいます。そういうときに表情として現れてしまうか、あるいは言葉の調子が緊張のせい以外にどこかおかしかったりしてしまいます。すると面接官はそこを鋭く見抜くでしょう。さらにそのことについて突っ込んでくるのです。そうなると、ますます言葉が出ずらくなり、とうとう詰まって何も言えなくなってしまうのです。

 本音と建前で、そのズレを敏感に感じやすい人ほど、社会に出るときに挫折する危険が高くなりますので、注意が必要です。


・建前ばかりの人生を歩んでいたこと


 私自身は、建前ばかりの人生を歩んでいたように思います。学生の頃就職活動するために黒いスーツに袖を通したのも、立派な社会人になる為、社会に貢献したいから、という建前の理由があっても、本音としては周りが就職活動しろとうるさいから仕方なく。

 派遣社員として働き始めたのも、自らが望んでではなく、たとえ派遣社員であったとしても働いた方がお金入るし、何かしら得られるし、それが将来の就職につながるならなおさら良いよね、というような理由です。なので、実際仕事してみるとむしろ辛いことばかりだし訳わからないことも起きるしで、相談に乗ってくれる派遣会社の社員さんがいなかったら絶対に途中で耐えきれなくなっていたと思いますね。もうこんなことやってられないわ!という感じで。

 就労支援移行事業所に通おうとしたのも、建前の為でした。表向きは、ちゃんと職業訓練をして、みんなと上手くやっていって、社会に出て活躍出来たらいいなあという理由で。でも本音としては、カウンセラーの方が絶対いいよ!と推奨してくるのと、ネット上の評判が良いので何かしらのメリットが、たとえば就職に必要なスキルが付きやすいとか。あとは発達障害専門の事業所ということで、何かフォローしてもらえたらいいなあ、普通の職業訓練所と違ってオイシイところがたくさんありそうだなあ等。

 でも実際は、うわ!こんなハズじゃなかった!になってしまいましたけど。まあ、この場合世の中そんなに甘くないってことで良いのでしょうね!


・本音の人生を求めているからこそ、挑戦者として生きていく!

 私は、今は本音の人生を求めています。この挑戦についても、本音だからこそ出来ることなのです、今後どのようなことが起こるのであれ。


 自分は、本当のところは何がしたいのか?どのようにして人生を送りたいのか?これを問いかけ続けることが大事です。


 同じ俳優になりたい!でも本心からではなく、建前としてだと、なんとなくそうしなくちゃいけないという義務感からレッスンやオーディションを受けてしまう為、レッスンに身が入らなかったり、オーディションでは演技がぎこちなかったり、熱意のこもっていない義務的でかつ機械的なパフォーマンス等をしてしまいます。そうすると、ああ、この人はあまり俳優志望ではないのだな、とか、適当にやっているような感じがあるから、この人にこの舞台は向かないよなというように先生や審査員から思われてしまい、何度やっても上手くいかないという悪循環に陥ってしまいます。

 でも、本当に俳優になることを望んでいる場合には、レッスンにきちんと取り組むことが出来、またドラマや舞台で主役を勝ち取る!ということに意欲的にもなる為、演技力やダンス、歌の技術にさらに磨きがかかっていくのです。こうして、人の目に留まり、大事な役をもつかみ取っていくのです。


 挑戦者こそ、本音の人生を送るべきです!建前ばかりでは、その過程において必ずと言ってよいほどボロが出てしまうことでしょう。上記で申し上げました、面接での受け答えやオーディションでの演技の例のように。私達の心の内側にある気持ちは、意外にも隠し通すことが難しいのです。目は口ほどに言う、とはよく言われていますが、目だけでなく、行動や態度にも本心が表れてしまいます。体裁や外面の為に、と嫌々やっていると、それが周囲の人にも伝わってしまうのです。そうすると、ああもうこの人はこの仕事任せられないな、となってしまうのです。

 

・視点を周囲から自分自身へと向けて


 だからこそ、本音に目を向ける、自分自身の心に素直になることが大事なのです!もし、皆さんが、建前を言い続けることに疲れたのであれば、まずは周囲に対する体裁や規範的意識から一旦離れ、まずは自分自身と対話してみるべきです。そうすることで、本心が見えてくることでしょう。

 人に左右されたような人生ではなく、自分自身で決めた人生を歩みたい!そう思う人こそ、本音の人生を目指すべきですね!







 





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