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対話企画:障害者雇用の『ここっておかしいよね?』 #10長瀬 陽介さん

障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会を実現する会社、Connecting Pointの阿部潤子です。

対話企画「障害者雇用の『ここっておかしいよね?』」の記念すべき10回目は、長瀬 陽介さんです。長瀬さんとの出会いは、2023年9月に長瀬さんが勤務されている会社のダイバーシティイベントにてご一緒する機会を頂いたことがきっかけです。イベントにて、長瀬さんも「身障者としてのコミュニケーション」、「障害のある人から、障害のない人への歩み寄り」という印象に残る言葉で、ダイバーシティとは何かを語り掛けていらっしゃいました。そこで、今回は、長瀬さんに「『障害者雇用』のここっておかしいよね?」について語って頂きます。
是非、最後までお楽しみください。

まずは、長瀬さんのプロフィールから:
8ヶ月の早産で未熟児として生まれ、その影響で両下肢に機能障害が残る。歩行の際には不安定かつ大きく揺れるので目立つが、よく言えば周りに覚えてもらいやすい。14歳ではじめたアマチュア無線の影響もあり、学生時代は通信工学を学ぶ。専攻はあくまで通信工学だったが、幼少期から続けているピアノにも大きく影響され、音楽文化が豊かなヨーロッパに惹かれて大学院ではドイツのミュンヘンに留学する。音楽と工学の掛け合わせで人の役に立ちたいと考え、新卒で今の会社に入社以来、オーディオ系商品の開発設計に携わっている。

(対話相手:長瀬 陽介さん)

① 長瀬さんのご経験に基づく、「『障害者雇用』のここっておかしいよね?」とその由を教えてください。

阿部:早速ですが、長瀬さんにとっての「障害者雇用のここっておかしいよね?」について教えていただけますでしょうか?

長瀬:正直、僕はあまり障害者雇用に詳しくないので、詳細な現状は把握できていません。ただ、今の会社に入社してから幸いにも障害者雇用関連のイベントで、お話する機会があり、入社してから障害者雇用について考えたり、感じたりする機会が多くありました。

阿部:入社する段階では、“障害”を意識されなかった、ということでしょうか?

長瀬:はい、私自身は、海外大学・大学院を卒業する学生向けの就活イベントを経て入社した経緯もあり、障害者雇用という枠組みを意識せずに入社しました。なので、会社にDE&I推進をする部署があることさえ、当時はよく知らなかったです。

阿部:なるほど。特に障害のある人(学生)を対象にした就職説明会に参加して入社に至った訳ではないということですね。

長瀬:はい、私の場合は、特に障害にフォーカスした採用面接ではなかったです。ただ、一般的に、会社では、障害者を集めて就職イベントとかをやりますよね。私が「おかしいよね」と一番に思うことは、「障害者と健常者に分けることなく、採用活動の段階から一緒に活動したいよね」ということです。
私自身もそうですが、学生/求職者側も「障害者だけ集められて、就職イベントに参加する」というのはどう思うのだろう…と考えたりします。分けられた環境を望む人は良いのかもしれないですが、その環境を望まない人もいるだろうと思います。障害の程度等によって、分けることが必要なこともあるかもしれないですし、会社の規模によって、当然、サポートできる人数やその質を含めて対応の仕方は変化すると思います。しかし、少なくとも「障害者雇用を推進してます!」といったメッセージを発信するような会社に対しては、「では、なぜ入社に至る前段階から障害者と健常者を分けているの?」と疑問に思っているところがあります。

阿部:長瀬さんにとっての「おかしいよねのポイント」は、会社に入社する前段階の採用活動から、障害者と健常者を分けてしまう現状に対して、ということですね?

長瀬:はい、そうですね。少なくとも、対外的には分けるべきじゃないなと思います。

阿部:対外的?

長瀬:例えば、応募者の中に「障害のある人が、XX人いる」という実数を社内で把握して、採用人数を調整するのは良いと思います。

私の感覚的には、「性別」に近いかなと思います。最近、女性の役員やエンジニアが少ないから、女性を積極的に採用することがありますよね。同じように、会社の内部で「数」を調整して採用するというのは良いのかなと思います。しかし、応募者の人たちに対して、「はい、こちらが障害者枠です」と枠組みを設けるのは本質的ではないかなと思います。

阿部:そもそも、なぜ分けるのでしょうか?

長瀬:少なくとも、間口としてはまずは分ける必要はないと思います。間口は分けずに、採用プロセスの中で、障害が重度だから通常の給与テーブルでは難しいよね、という話に至るのかなと思います。

あとは、給与体系等も、貢献度の度合いによって、給与額が決まっていくのが自然だと思うので、本来は分けるべきではないと思います。その前提には、社員が仕事をする上で必要なサポートを、企業側が可能な限り提供するということが必要ですし、その上でのアウトプットが、障害を理由に十分に出せない人がいるのだとしたら、それは少しの給料で我慢するというのが筋ではないかなと思います。しかし、どうしても同じ給与テーブルに乗れない、という人の場合は、別途、その人たち向けの給与テーブルがあっても良いと思いますし、入社後に、そのような形で別のルートをアレンジするというのは良いと思います。

阿部:なるほど。

長瀬:なので、私は、やっぱり最初の入り口から「あなたは障害者枠ですね」といって対応するのはどうなのかな、と思います。

阿部:その人が実際にどんな仕事をするのか、その成果を見ることなく、入口から分けてしまうのは、どうなのか?ということですね。

長瀬:最初の段階では、おそらく障害の等級や医師の意見書等で「あなたはこっちのコースで」と分けられやすいと思うので、その現状への疑問があります。それよりは、本人の意思で選んでみて、もしくは会社側も採用、配置してみて、仕事をしてみた結果をもとに対話しながら考えるというのが良いのかなと思います。やっぱり「枠」として分けてしまうというのは、どうなのかなと思いますね。

阿部:そうですよね。枠として分けることが一般化してる。

長瀬:一般化してますね。

② その「おかしい」ポイントは、なぜ変わらないままなのだと思いますか?

阿部:一般化しているからこそ特例子会社制度も生まれてきたと思いますが、一般化したまま変わらないのは、なぜだろうと思いますか?

長瀬:理由はあると思っています。結論としては、「身近さ」がないですよね。
障害って分けて扱うものだよね、という前提が、双方にある気がします。意識の問題というか。おそらく健常者にとっては障害者と接する機会は限られていて、障害者雇用を含めて、障害者ワールドというのは、基本的に別世界のものという感覚はどうしてもあると思います。

阿部:障害者ワールドですね。

長瀬:ただ、それは仕方がない、というか触れる機会がなかったら当然そうなるかなとも思います。接する機会がないから、自分とはちょっと別々のもの。個人レベルでもそうですし、組織としても別扱いになるのかなと思います。

阿部:なるほど。

長瀬:あとは、障害者の側にも、健常者と自分たちは別の括りであるという意識の人が結構多いとは思います。だから、障害者同士でのコミュニティにずっといることで、どうしても甘えが出てきてしまうという側面はあると思います。

阿部:甘えが出るとは?

長瀬:そうですね。人それぞれ程度の差があるので、表現が難しいですが、必要以上に周囲の人を頼ってみたりとか、傍から見るともうちょっと自分でチャレンジすれば良いのにって思う人もいますよね。一方で、もうちょっと周りを頼れば良いのに…頑なに拒否する人もいらっしゃると思います。

阿部:では、障害のある人同士のコミュニティにいることに居心地の良さを感じる人と、そのコミュニティだけに依存せず、うまく2つの世界のバランスをとられている長瀬さんのような方と、割合的にはどのぐらいの比率なのでしょうか?

長瀬:障害者で、かつ私と付き合いがある人というのは、基本的に外に出てくる人なので、おそらく全体の割合とは全く異なるとは思います。その上で、私の感覚としては、半々程度なのかなと感じています。

阿部:半々。当事者コミュニティに限らず、さまざまな人との関わりを持たれる当事者の方は、意外と少ないのだなという印象です。

長瀬:そうですね。障害者同士のコミュニティでさえ、そこに参加される方は、勇気を持って来ている人も多いです。私が、学生時代に、障害者のコミュニティに参加したときにも、参加メンバーの何人かは、そのコミュニティに参加するか、しないかを迷って、やっとの思いで参加出来たという方が結構いました。
もちろん、物理的にアクセスが難しくて参加出来ないという方もいます。

阿部:物理的なバリアですね。

長瀬:そうですね。たしかに、障害の程度が重いが故に、ハード面を考えるとコミュニティに参加するのが難しいというのは理解できます。ただ、一定のところを超えてしまうと障害の程度はあまり関係ないようにも思います。サポートしてくれる方もいらっしゃるし、行きたいという気持ちさえあれば、参加する方法はいくらでもある。その中で、やっぱり自分の気持ちとして、ちょっと外に出られないという方が、当時、私が参加した当事者コミュニティ内にいらっしゃったのは印象的でした。

阿部:お一人おひとりのマインドセットにも関わるのでしょうか?

長瀬:はい。引きこもってしまっている人、自分の中にこもってしまっている人は多いなと感じますね。
例えば、会社の障害者向け就職イベントに参加される方は、比較的、人生を積極的に生きている方が多いと思います。それでも、やはり30人集まったら、その半分は、自分をまず受け入れるところに課題があるなと感じる人がいる印象を持っています。なので、やはり自分の世界から一歩踏み出すことは、なかなかハードルが高いのかなと思いますね。

阿部:長瀬さんのように積極的に外部に参加される方がいる一方で、気持ちの部分で、様々な人との交流が出来ずにいらっしゃる方もいると思います。その違いはどこにあると思いますか?

長瀬:障害云々関係なく、一般の方も一緒で、自己肯定感をどれだけ持てているか。小さい成功体験をどれだけ積み重ねてこれているか、なのかなと思いますね。あとは、もちろん認めてくれる人、対等に話ができる人が周りにいるか、という環境はすごく大きいとは思います。

阿部:なるほど。「~してあげる/~してもらう」という関係性の中にだけいると、卑屈になりますよね。

長瀬:そうだと思います。「与えられる(やってもらう)ばかりで…」という気持ちは理解できます。
「障害者」と言われる立場にいると、基本的に、街に出たら「サポート対象」として扱われてしまいます。それは仕方のないことなのですが、障害者が人に何かを与える(やってあげる)立場には、なかなかなれないですよね。

阿部:たしかにそうですね。社会の障害者に対する認知がそうさせますよね。面白いです。

長瀬:障害者であっても、社会の目を気にせず、与える人は与える側に回るんですけどね。例えば、おじいさんに席を譲ってみるとか。何でもいいですが、障害者は人の世話をやいてはいけない、という訳ではないですよね。なので、自分から動いていけば、自己解決できるところもあります。

阿部:とても面白いです。長瀬さんは、気にせず世話をやくタイプですか?

長瀬:私は、比較的世話をやくタイプです。だいぶお節介な方なので(笑)。

阿部:確かに、自分のマインドに関係なく、社会に出た瞬間から自分がサポートされる対象になってしまうというのは、私にはない経験で興味深いお話でした。

長瀬:おそらく、自分が少しでも人をサポートするような体験ができたら、自分に対する劣等感は無くなっていくのかなと思います。

阿部:そうですよね。長瀬さんは、幼いころから、人のお世話をすることが好きでしたか?

長瀬:はい、世話好きでした。私は、小学校から通常級に通っていたので、中学高校時代、そして大学に入学した頃は、私の周りに「障害者」と言われる人が身近にあまりいませんでした。そのような環境も理由の一つにあるかもしれません。

阿部:そのお話も興味深いです。いまの日本の教育制度を考えれば、とてもレアなケースかもしれないですね。

長瀬:そうですね、レアだと思います。たまたま実家近くにあった小学校の校長先生が、柔軟な方で、それが私にとっては恵まれていたのかなと思います。当時の私は、今よりも出来ることが少なく、階段も昇れなかったです。

阿部:そうだったのですね。その中で、学校側の配慮があったということでしょうか。

長瀬:はい。当時は、小学校も階段に手すりが設置されておらず、私の入学にあたって、手すりを設置して下さいました。私の場合、手すりさえ設置されていれば這ってでも階段を昇れるので、それだったら受け入れても良いのではないか?という話になったようです。私自身も幼かったので、詳しい経緯は覚えていませんが、融通を利かせて頂いて入学が出来たのだろうと思います。でも、その時間があったからこそ、私自身は、健常者との繋がりの作り方みたいなことを、小さい頃から実践できたのだろうと思います。

阿部:確かにそうですよね。環境の与える影響は大きいように感じます。

長瀬:道徳の時間のたびに、自分の話題になったりしました(笑)。
特に私の場合は、見た目が目立つから、子どもってみんな真似しますよね?
子どもに対して、「真似するな」と教えるのは酷かもしれないですが、そうやって真似することは、あまり良いことではないんだよといった話を道徳の時間で先生がしていました。

阿部:それって、子どもながらにどう感じましたか?

長瀬:私は、あまり嫌な感じはなかったですね。最初の頃は、真似されたり、馬鹿にされるという機会は当然、多いですけど、そんなもんだよねという感じだったと思います。

阿部:すごいですね。ご両親の愛情や周囲のサポートがあってこそ、なのだろうと感じています。

長瀬:そうですね。小学校に入ることも含めて、両親がサポートしてくれたというのは大きいとは思います。両親は健常者なので、障害のある人の気持ちを理解する過程では、色々と葛藤もあったとは思います。でも、そのおかげで、おそらく10歳になるまでの間に、健常者との繋がりの作り方を学べたところが良かったのかもしれないです。

阿部:長瀬さんの揺るがない感じがすごいですね。同級生にどんな対応をされても、別にそういうものだよねと受け流せるところがすごいです。

長瀬:おそらく心が揺れてたのは1・2年生ぐらいまでかなと思います。小学校中学年以上になったら、障害を理由に落ち込むとか、友達に怒りたくなるというのはなくなっていましたね。

阿部:それがすごいです。「受け入れられている」という感覚があるからこそ、そう思えるのでしょうね。

長瀬:そうですね。だから、私はいつも思うのですが、私よりも周りがすごいと思います。特に私の場合、見た目が派手だから、周囲の人は、最初は「ぎょっ」とされると思います。私自身、ショッピングセンターの鏡に映る自分を見て、びっくりすることがあるぐらいです。

阿部:そうなんですか(笑)。

長瀬:私は、自分の姿が見えないから気にならないですけど、たまに見るとすごいなと思ったりしますね。やっぱり見た目って重要だと思うので。その観点で、同じ障害者でも、内部障害の方と外見で分かる私のような障害者とは、悩みが180度違います。

阿部:たしかに違いますよね、きっと。

長瀬:会社に入ってからも内部障害の方と話す機会があって、お話をするとやっぱり全く違っていて面白いです。内部障害の方は、逆に「周囲にどう伝えようか?」という葛藤があると聞きました。私の場合は、もう見た目で分かるので、そこを葛藤しても仕方がないし、言うしかないみたいな感じがありますよね。悩みどころが違いますね、という話になります。

阿部:なるほど。体験の違いの共有って面白いですよね。
さて、ここまで「分ける」ことが一般化されてしまう背景に、健常者、障害者双方に「身近さ」があるだろうか?と考えてきました。もちろん、障害のない人たちが、障害者を身近に感じてこなかったが故に、あえて、分けることがある一方で、障害のある人たちは、分けられて育ってきているからこそ、その境界線を越えていくことに対して、心理的なハードルを感じてしまうというのは、とても納得感がありました。

長瀬:障害者が、自分のことを「障害者」と認識してしまっている側面がありますよね。

阿部:あぁ面白いですね!だから、自分はケアを“される”対象で、ケアを“する”側にはならない、というのも刷り込まれてしまうところがあるのでしょうか?

長瀬:そうだと思いますね。例えば、会社の面接に来ても、まず「私は、障害者なんです。」というところから入る感じです。もちろん、私も気持ちはわかります。でも、本当に伝えたいことは、そこではないと思います。

阿部:その部分が、先ほど仰って下さったような「甘えてる」という表現に繋がるのでしょうか。

長瀬:そこに至るまでには段階があるので、「私は、障害者です。」と最初に申し出る人が、みんな「甘えている」訳ではないです。ただ、話していて疲れない人たち、障害へのコンプレックスが全くない人たち、健常者と対等に話せる人たちというのは、多分、自分が障害者であることをコミュニケーションの中で忘れている人たちだと思います。私の隣の部署にも、障害のある人が働いていますが、障害者感がまったくないです。むしろ、その人たちは、自分の障害をも強みにしてるぐらいの勢いですね。だからもう障害を特性の一つとして考えていて、障害を持つことによって考えが多様化したり、深くなったという経験があるので、そういう自分の体験をうまく活かしていますよね。

阿部:それはすごいですね。

③ 「おかしい」ポイントは、どうしたら解決できると思いますか? 解決に向けて、長瀬さんがこれまで取り組まれたことがあれば教えて下さい。

阿部:それでは、「会社への入社に至る採用活動の段階から、障害者と健常者を分けてしまう現状」に対して、どのような解決のアプローチがありそうですか?

長瀬:結局は、障害者を身近に感じてもらうしかないと思います。
まず一つに、障害者の立場から言うと、こちらから一生懸命、その輪を広げていくしかない、というのはありますよね。
おそらく私だけの経験ではなく、この会社で障害者と一緒に働いてる人たちは、障害者に対する心のバリアが全くないと思います。フィルターを通さず、障害者だから…という認識はなくなっていると思います。やっぱり、そういう人たちを増やしていくことが大事だなと思います。そのためにも、やはり障害者枠として別枠で設けるというのは良くないなと思います。

阿部:きっと、長瀬さんのような当事者の方がいるから、周りの人も“障害”に対して垣根を感じることなく、一緒に働けるのだろうと思います。
当事者の方が、「私は障害者なので」というスタンスで職場に入ってきたら、その垣根は消えそうにないなと思います。

長瀬:そうですね。そのままでは垣根は消えないですね。その職場に障害のある人と関わることに慣れた健常者がいると、また全然違うと思います。きっと慣れている人は、障害者を障害者として扱わないと思うので、そういうフラットな人が職場にいると全然変わってくると思います。

阿部:やっぱり双方向ですね。健常者側が、たとえ障害のある人との関わりに慣れていなくても、当事者の皆さんが、その境界線を気にせずに、柔軟に健常者と関わってくれると、健常者側の心理的なバリアも壊れていく。
逆に、障害のある人が、健常者の世界に入ることに壁を感じていたとしても、健常者サイドに障害者と対等に関われる人が一人でもいれば、歩みよりが始まって、障害者と健常者の間にある壁が消えていく、ということですね。

長瀬:はい。「気づき」ですよね。1人の人がいることによって、お互いが成長できるところがあると思います。そこに気付くことが出来る「気づきの場」を増やしていけると、「おかしいポイント」を乗り越えられると思います。

阿部:双方のプレイヤーが大事になりますね。「障害者」と「健常者」の間にある壁を破って、障害のある人もない人も、お互いが対等に付き合える、交わっていけることが大事だなと思いました。

長瀬:めちゃくちゃ大事でですね、

阿部:長瀬さんのように、当事者の方が、その間にある壁を感じずに自ら交わっていけるようになるには、やはり健常者側の働きかけが必要なのでしょうか?

長瀬:それはたぶん、健常者でも障害者でも良いから、その境界、バリアを超えてる人と付き合うしかない、と思います。

阿部:なるほど。

長瀬:考え方自体が、おそらく全く違うと思います。だから、決して強制する訳ではないけど、交流する中で、エッセンスは共有していけるのかなとは思いますよね。

阿部:ロールモデルですね。

長瀬:そうですね。一旦、障害者側がそのバリアを超えることができたら、その人が、周りの健常者が抱えている「何となくのモヤモヤバリア」を取っていくことは簡単だと思います。

阿部:何となくのモヤモヤバリア…(笑)。先ほど仰っていた障害者のコミュニティで、自宅から出ることにもハードルを感じていた人たちには、ロールモデルのような存在が身近にいなかったということでしょうか?

長瀬:そうだと思いますね。ただ、身近にいても、やっぱりそれなりに密に接さないと難しいと思います。

阿部:密に接するとは?

長瀬:本音トークですね。必ずしも、物理的に密になる必要はないと思います。それよりは、メンタルの近さが大事かなと思います。職場で考えれば、メンタルの距離を近づけられる余裕のある職場なら良いのかなとは思いますね。

阿部:やっぱり双方向が大事になりますね。DE&Iの取り組みになると、健常者、マジョリティの歩み寄りを促進する施策が多い感覚です。「まずは、障害を知ることから始まる」といったフレーズも耳にしますが、一方で、障害当事者の人たちをエンパワーするような取り組みも大事になりそうですね。

長瀬:そうですね。本当は、「お互いを知る」ってことですよね。障害者も相手のことを知らないといけないですしね。あとは、障害者だから、障害者を理解出来ているとも限らず、分からないことが多いです。

阿部:「障害を知る」という言葉自体に何だか違和感を感じますね。

長瀬:そうですよね。男性は女性の気持ちが分からない、と同じかなと思います。障害を知るというよりも、「その人のニーズを知る」という方が近いかなと思います。当たり前ですけど、障害者一人ひとりニーズ・不自由な部分は違うので、考える方向性が違います。だからこそ、お話をするのが楽しいですよね。

阿部:なるほど。

長瀬:私は、これまで「自分に障害がなかったら…」とか考えたことがなくて、どちらかと言うと、「障害をもって生まれてきたからこそ…」という方向に考えてきました。
障害を受け入れるとは相反するように聞こえるかもしれませんが、私は、身体障害なので、自分の症状を良くしようとする努力は大事だなと思っています

阿部:症状を良くする努力?

長瀬:障害をネガティブに考えると、健常者への憧れや妬みに繋がってしまうので、障害を事実として受け入れることはまず大切だなと思っています。その上で、諦めるのではなく、何かしら今の状態を良くする方法を考えたいと思っています。

例えば、世の中のテクノロジーがどんどん発達していくと、これまでなかった便利ツールがどんどん出てきますよね。すると、私たちのQOLも上がっていきますよね。

阿部:はい、そうですね。

長瀬:最近、電動車椅子を買ってみました。今まで車椅子は使ってこなかったので、全然考えたことがないのですが、年齢が上がるにつれて、もしかしたら車椅子を使うことになるかもしれないなと思って。あと、最近になって、性能の良い車椅子が販売され始めているんですよね。

阿部:カッコイイ車椅子ですか?

長瀬:はい。その存在は知っていたのですが、私が実際に使うことになるとは思っていませんでした。でも、いざ手に入れて使ってみたら、すごく良いです。

阿部:どんなところが良いですか?

長瀬:今まで私の場合は、広い公園をずっと歩いていると疲れていましたが、電動車椅子を使うと、通常の車椅子では難しい砂利道やガタガタ道でも、スムーズに進んでいけるんですよね。そして、疲れない(笑)。

これは人生の質を上げるレベルで、面白いなって思いました。ただ、頼りすぎると足が動かなくなったり、拘縮が進むとか、いろいろと影響もあるのでバランス感が大事ですが、使い時に使う、というのは大事だなと思いました。

阿部:車みたいなものですよね。

長瀬:まさしくそうですね。昔は江戸から大阪まで歩いてたのを、今は電車とか車で行けるというのと一緒ですね。自分なりにアンテナを張っておいて、その便利なものを使ってみると、意外とQOLが上がることがあるのだなと、最近改めて感じています。

阿部:さっき仰っていた「症状が改善する」というのは、見る視点を変えれば、その人の「成長」とも考えられるのかなと思いました。あと、電動車椅子でQOLが上がる、という体験も、成長とは違うかもしれないけれども、楽しむ選択肢が増える、世界が広がるという感覚を持ちました。

長瀬:そうですね。楽しむ選択肢も増えるし、車椅子の人の気持ちもよくわかります。今まで気づかなかった気づきってありました。例えば、在来線に乗るより、特急線に乗車する方が大変なんだなとか(笑)。

阿部:なるほど、新たな経験ですね。

④ 「おかしいポイント」を越えた先にある社会/障害者雇用の姿は、どのようなイメージですか?

阿部:長瀬さんのお話を伺いながら、障害のある人も、マジョリティの中に自然と溶け込み、障害のない人たちも壁を作らずに、歩み寄っていける社会を想像しています。その時の世界観を、長瀬さんは、どのようにイメージされていますか?

長瀬:「自然」っていうのが一番なのかなと思います。
よく道端でティッシュ配ってる人いますよね。

阿部:はい、いらっしゃいますね。

長瀬:ティッシュ配りをしている人たちは、多くがアルバイトで、若い人が多いと思いますが、私が歩いていてもティッシュを差し出してくる人は少ないです。

阿部:配る人が少ない?歩いているのを邪魔してはいけないかな?といった気配りでしょうか。

長瀬:何を思って下さったのか、その気持ちは色々だと思います。歩くのが大変そうだから配るのをやめておこうとか、目線を送るのはやめておこうとか。逆に、まったく気にせず配ってくる人もいます。ただ、実際、ティッシュを配ってくる人は少ないです。

阿部:そうなんですね。

長瀬:なので、「自然」になるというのは、 そういう態度の違いがなくなるのかなと思います。

阿部:長瀬さんならではの視点で、とても面白いです。そういう場面に出くわすと、「あっこの人、配らなかったな」とか考えてしまいそうですね。

長瀬:そうなんですよね。私は、そういうことを考えるのが好きですが、考えることに疲れてしまうから外に出たくなくなる気持ちも分かります。でも、それはその人の性格なのだろうとも思っています。

障害は触れてはいけないもの、見てはいけないものといった健常者側の感覚が薄れていくことが「自然」になる、ということかなと思います。ただ、人によっては、逆に哀れみの目線で接してくる方もいますよね。

阿部:哀れみの目線?

長瀬:駅のホームとかで、おばあちゃん、おじいちゃんが「大丈夫だよ、希望はあるから頑張って!」と声をかけてきてくれる方もいます。

阿部:えっほんとですか?!

長瀬:そういう方もいらっしゃいます。

阿部:悪気なく仰っているのでしょうが…。

長瀬:はい、むしろ親切心です。私は、「希望はありますよね。ありがとうございます。」と受け応えていますが、気にする人はきっといるだろうなと思います。でも、声をかけてくる人たちは、良かれと思って声をかけているので、色々な人がいて面白いですよね。

阿部:長瀬さん、すごいですね。私には、到底ない出会いです。私が駅で同じように声を掛けられたら、そんなに暗い顔していたのかなとか思ってしまいます。

長瀬:いや、私も健常者だったら気にすると思いますよ。

阿部:長瀬さんのお話を伺っていて、長瀬さんは、社会から求められる障害者像を演じることも苦なく出来る一方で、本来の自分らしさというか、障害者像を壊していくこともされていて、そのバランスのとり方がとても上手な方だなと思いました。

長瀬:その橋渡しをする人間は必要だと思っています。障害のあるなしに関係なく、言葉にするのが苦手な人もいるし、得意な人もいるという意味では、私の場合は、人とコミュニケーションを取るのも苦手ではないし、むしろ、得意な方であると思うので、橋渡し的な役割は積極的にやっています。
相手からアクションがあったときに、自然と相手の思いを考えたり、相手がどんな思いで、この言葉を発したのかなと考えることは、障害に関係なく考える癖がついてるので、むしろ楽しんでるところはありますよね。

⑤ 目指す社会に向けて、長瀬さんは、何をしたら今の仕事をやり遂げたと思えそうですか?

阿部:最後の質問となりますが、「自然に交わる世界観」に向けて、長瀬さんは、何をしたら今の仕事をやり遂げたと思えそうですか?

長瀬:これは、個人的な話になりますが、人が素直に、自分のポテンシャルを発揮できるようなサポートをしていきたいです。

例えば、今の仕事であっても、会社のパーパスに「クリエイティビィティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」があります。そこに個人的な解釈を入れると、目の前にいる人を感動させるだけではなくて、その先に、その人が自分だけではなく、誰かの喜びのために生きられるようにしたい、というのが私個人の生きる目的であると思っています。

阿部:長瀬さんのパーパスですね。

長瀬:はい。その人のQOLを良くすることに留まらずに、その人自身が思いやりを広げていけることに貢献したいなと思います。一対一で目の前の人が良くなるだけでは、その数だけで完結してしまうので、そこから“広がること”を求めていきたいなと思います。

阿部:その広がりを生み出す上で、何が一番大事になりそうですか?

長瀬:これは、自分自身への言い聞かせみたいなところもありますが、一つは、直接的な対価を求めすぎないことかなと思っています。

阿部:直接的な対価とは?

長瀬:例えば、私が、誰かに対して何かしました(Give)、そして、その人が喜んでくれました、という時に、その相手から必ずしもTakeが返ってくるとは限らず、paid it forwardの考え方で、目の前の人はもちろん、その先に繋がる人のことも考えて接したいなと思っています。

阿部:素敵ですね。そう思われるようになったのは、何かきっかけがありましたか?

長瀬:やっぱり私の周りで、この人すごいなぁと思う人は、繋げていく力がすごいですよね。人と人を繋げ、しかも、ポジティブな方向にみんなを連れていく、という感じです。あとは、もちろん1対1の場合は、人数に限りがあるので、その周りの人にも波及できるようになると、その人自身も充実した豊かな人生になるだろうとは思いますね。

阿部:長瀬さんらしいなぁと思いました。

長瀬:そうですね。仕事に関係なく、どんなことも、生きる目的を念頭に置いてやりたい、という気持ちはありますね。

阿部:素敵です。障害者雇用のお話をしているようで、そのお話をしていない感覚もあって面白かったです。

長瀬:そうなんですよね。少し俯瞰すると、障害者雇用だけの話ではなくて、本質的には一緒だと思っていますね。

阿部:だからこそ、「自然になる」ですね。今日は、貴重なお話をありがとうございました。

対話を終えて:
長瀬さんとのお話は、障害当事者の方との対話であることを忘れてしまう程にフラットで、長瀬さんならではの体験から紡ぎ出された言葉の一つひとつが、とても魅力的でした。「「障害者」と言われる立場にいると、基本的に、街に出たら「サポート対象」として扱われてしまいます。」というお話は、私たちの無意識の偏見に気付かせてくれるメッセージだったと思います。障害のある人とない人が、ともに生活し、コミュニケーションを取りながら、お互いの世界を広げていくためには、「障害者」という前に一人の人として、目の前の人が何を必要としているのか、想像力をもって対話していく姿勢が大切であると改めて感じています。
長瀬さん、本日は、ありがとうございました!

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