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対話企画:障害者雇用の『ここっておかしいよね?』 #5汐中 義樹さん

障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会を実現する会社、Connecting Pointの阿部潤子です。

対話企画「障害者雇用の『ここっておかしいよね?』」の5回目は、汐中 義樹さんです。
汐中さんとは、2023年に知人の紹介で出会うことが出来ました。小学校や特別支援学校の先生という立場で長い間、キャリアを築かれてきた汐中さんが、障害者雇用のフィールドでなぜ起業しようと決意されたのか、そのあたりの想いも含めて、今回、「『障害者雇用』のここっておかしいよね?」について語って頂きました。是非、最後までお楽しみください。

まずは、汐中 義樹(しおなか よしき)さんのプロフィールから:
株式会社レオウィズ 代表取締役。広島市出身。千葉大学教育学部、大学院教育学研究科修了。教育学修士号取得。小学校教諭を経て、特別支援学校に着任。児童生徒への指導、若手教員の育成や近隣校へのコンサルテーションに従事。「障害者雇用」という社会課題を知る中で、教員の枠を超えて社会課題解決に貢献したい想いに至り、レオウィズを設立。現在は障害者雇用のコンサルティングや教育研修を行う。プライベートでは美容室経営の妻と2人の娘、2匹の猫に囲まれつつ9歳から始めた空手に勤しむ。

(対話相手:汐中義樹さん)

①汐中さんのご経験に基づく、「『障害者雇用』のここっておかしいよね?」とその理由を教えてください。

汐中:障害者の方を雇用する企業には、「企業は社会の公器だから」と考えて取り組まれる企業もあると思います。そして、それを国として後押ししている部分でもあると思うのですが、福祉的就労も含めて障害者雇用は、一部の人たちだけの課題になりやすいと感じています。

特定の人たちだけで、障害者の方の働く方法を考えよう、解決していこう、というのはどうなのだろう…

と思っています。

阿部: 「一部の人」というのは、企業の中の“一部”の人たち(例えば、人事部の人)だけの話になってるということか、もしくは、企業でも雇用義務が発生する企業(従業員を43.5人以上の企業)しか対象にならない、といういう意味での一部ですか?

汐中:なるほど。2つ意味があって、1つは、どちらかというと、前者の意味合いが強い部分かなと。1つの企業の中でも障害者雇用に関わる人は限定的になりやすい。企業内に、3%弱しか障害のある方がいないので、関係する部署であったり、関わらない人たちが一定程度出てきてしまうのは仕方のないことであると思います。ただ…。

阿部:ただ?

汐中:部署や部門、職種で、仕事の内容が変わるというのは、組織上の役割分担でもあると思うので、仕方のないことかもしれないですが、障害の有無で、その人と関わる、関わらないかが決まるというのは、ちょっとおかしな話なのかなと思っています。

阿部:たしかにそうですね。障害があるか、ないか、の前に同じ“人”ですよね。

汐中:2つ目に、法的な条件(従業員を43.5人以上の企業が雇用義務の対象)があることで、法定雇用率の対象企業に属さない人たち、我々みたいな一人起業家で仕事をしている人たちには関係のない話になっていますよね。

阿部:そうですね、理解しました。

汐中:障害者雇用に関わらなくて“済む”人たちもいる訳です。

“済む”という言い方がすごく良くないのですが、関わる必要のない人たちもいる訳ですよね。法律があることによって、逆に責任を逃れているというか…。
そういった人たちが、存在していることが、不思議な感じがしますよね。

阿部:「みんなの問題」になってないってことですね。

汐中:そうです。おっしゃる通りですね。当事者意識というか、社会全体の課題として考えられないのはその辺が理由なのかな?と思います。

阿部:法律・ルールがあることで、障害者雇用が「みんなの問題」になりにくくなるというご指摘は、その通りだと思いますが、それ以外にも、「みんなの問題」になることを阻害している要因はありそうですか?

汐中:なんだろう…そもそも「(障害を)知らない」ということがあるのかなと思います。
我々は、その領域の人なので、障害者雇用について一定程度の知識も持っていますが、そもそも自分自身の教員時代を振り返っても、特別支援学校に着任してなかったら、グレーゾーンの子ども達との関わりはあっても、障害者の方と関わる事ってほとんどなかったです。なので、「(障害を)知らない」ということが、「みんなの問題」にすることを阻んでいるのかなって思いますね。

阿部:私も、大学時代に知的障害のある子どもたちと関わるまで、「(障害を)知らなかった」です。汐中さんは、なぜ「障害のある人」を知らなかったと思いますか?

汐中:なんでだろう。分かりやすいところで言うと、「周りにいなかった」ってことかなと思います。周りにいらっしゃらなかった。聴覚障害の親戚の人はいましたけど、本当に身近にいなかったと思います。
あと、特別支援学校に通うぐらいの障害のある人たちとの交流が無かったですね。
もしかしたら、同じ学年、同級生で、近所にはいたのかもしれないですけど、生活自体が分けられていたのかなと思います。関わるきっかけとか、場面というのがなかったような気がしますね。

阿部:そうですよね、障害者は、毎年夏に放映される某テレビ番組の中の人、という印象ですよね。

汐中:本当にそうですよね。そういうところじゃないと分からないし、あえて、テレビの中の人の課題に突っ込んで考えようとは、なかなか思えない。

阿部:うんうん。触れてはいけないもの、という印象もありますよね。

汐中:これってすごい問題ですよね。「この社会課題に自分が関わりたい!」と思うこともなくなってしまう。

阿部:確かに思えないですよね。

汐中:障害のある人=別世界の人、みたいに思ってましたね。

阿部:そうですよね。結果として、社会の課題にならない、というのは影響が大きいですね。

汐中:それが、「障害者領域の課題=一部の人が取り組めばいい課題」っていうような風潮に繋がるように思います。

阿部:障害者雇用の文脈であれば、企業人事の方々、さらには障害者雇用を担当する一部の方の課題になってしまう。

汐中:はい。例えば、新しい部署に障害者の方を採用する場面で、抵抗勢力が必ず出てくるものだと思っています。それによって、人事の人は頭を抱えてしまう。そもそも社内の理解啓発からスタートしなくてはいけない状態ですが、早い段階で、その環境が整っていれば、もっとスムーズに行くんのではないかなとも思ったりします。

②その「おかしい」ポイントは、なぜ変わらないままなのだと思いますか?

阿部:障害者雇用が、「みんなの問題」にならないから、当事者意識がもてず、社会の変化が起こりにくいというのは仰る通りだなと思っています。
先日、大分県にある「太陽の家(太陽ミュージアム)」に見学へ伺ってきたのですが、中村裕先生が活躍されていた時代から50年以上が経過する今、社会はどこまで変化できたのだろうと疑問に思いました。
汐中さんが仰るように、障害者雇用や障害者領域の課題は、一部の人たちが取り組めばいい課題になっているから、社会に大きな変化が起こらないのかなと思っています。
なぜ一部の人の課題のまま、なのでしょうか?

汐中:障害者雇用という文脈から大きく反れてしまうのかもしれませんが、良いですか?

阿部:はい、是非。

汐中:かつてのイケイケドンドンで経済成長して、火の玉になって頑張ろうみたいな時代の日本に、現在のような法定雇用率制度であったり、合理的配慮の枠組みが組み込まれたら、どうなっていたのかなと思ったりします。

阿部:面白いですね。

汐中:個の時代になって、行き過ぎた部分があるのかなと思うのです。

一人ひとりの生き方や価値観を大事にしていく姿勢だったり、そのような生き方が称賛されはじめた。そして、そのような生き方をしている人が、情報化社会の中で、誰かにとってのロールモデルとして簡単に取り込める時代になってきた。しかし、個を尊重するあまり、他者との違いを認め合うインクルーシブな生き方、働き方が難しくなっているところもあるのかなと感じています。

阿部:あぁ逆に。

汐中:おそらく当時は、障害者の方に対する差別的な意識が、今よりも強くあったと思います。集団から取り残される人は、個人の責任なので、放っておくといった意識もあったかもしれません。しかし、一方で、制度を固めた上で、その時代の「右へ倣え」の風潮が、うまく合わさる可能性も有ったのかなと思ったりします。

阿部:知的障害者の雇用が義務化されて、特例子会社でいっきに知的障害のある人の雇用が進んだ時代に近いものを感じています。

汐中:なるほど。

阿部:かつての日本の「強み」を最大限生かせる雇用のスタイルだったのかなぁと思ったりしています。

汐中:組織力といのうか、集団思考が強い時代っていうのは、この人たちをどう生かせば、自分たちの戦力や能力を高められるのか、みたいな視点も、今よりあったのかなと思ったりします。
ただ、もちろん制度的なバックアップがなかったので、障害者の方は雇用されないし、そもそも除外された存在だったので現実離れしていますが、もしその時代に今の障害者雇用制度が組み込まれていたら、どんな実践が生まれていたのかなぁと考えたりします。

阿部:もっと考えてみたいですね。

汐中:つまり、今は個の生き方や個の価値観っていうのを大事にしながらもインクルーシブに…というところが、変われない、混ざり合えないような気もしています。

阿部:個が強すぎで、インクルーシブになれない。興味深いご意見です。個がなければ、インクルーシブな社会にはなれないだろうと思いますが、インクルーシブになる過程は、超えていくハードルが沢山ありそうですよね。

汐中:そうですよね。自己理解ばかりが深まってしまって、他者理解をしようとしなくなるイメージです。
本来は、他者を含めての「自分らしさ」、相対的な「自分らしさ」であるはずですが、絶対的な存在として「自分らしさ」を考えてしまう人が少なからずいるので混ざり合いにくいのかなと思います。

阿部:そうですね。他者があっての自分ですよね。しかし、それがあまりにも自分にベクトルが向きすぎると、自問自答で終わるみたいな感じですね。

汐中:はい、仰る通りです。

阿部:自分第一主義、みたいなイメージですね。

汐中:そんなイメージです。

阿部:結果として、逆に周りに関心がなくなる、ということもありますよね。承認欲求の塊というか。

汐中:そうですよね。本当そうだと思います。自分が認められるために、どうするかみたいな思考になってしまう。

阿部:つまり、中村裕先生の時代から、障害者を取り巻く社会の課題が大きく変化していない、というのは、自分スポットライトの強い人達が集まってきた、ということも一つかもしれないですね。

汐中:中村裕さんの時代に比べて、法定雇用率とか、障害者の方を理解するというような社会的な情勢は高まってきてはいると思いますが、それとは異なる方向性で、「自分らしさ」を大事にしましょうね、という風潮…言い方が悪いですが、自己中心主義が横行してきたのかなとも思います。

阿部:個人主義が強まったということでしょうか。

汐中:そうですね。まぁ私みたいに急に起業するのも、だいぶ個人主義ですけど(笑)。

阿部:それを言ったら、私も同じです(笑)。ただ、そうやっていろんなキャリアを築けるようになったっというのは、すごく多様性がある、だけどさ…ってことですよね?

汐中:そういうことですよね。

阿部:私もこの対話企画をしながら、社会には、障害者雇用に熱い想いをもって、さまざまに面白い活動をされている方がいらっしゃるのだなと感じます。まさに多様性です。
でも、“個”の力だけでは、社会を変えるような大きなうねりにしていくことにも限界があって、結果、“一部の人たち”の課題で終わってしまうのだろうとも思います。つまり、個人主義の色合いが濃くなるならば、それと同じくらい、繋がりや連帯感が大事なのかなと思いました。

汐中:そうですよね。あ、コネクティングポイントがないとダメですよね(笑)。

阿部:あっありがとうございます(笑)。

汐中:私みたいに、新しい働き方とか、新しい生き方を自分でつかめるということは、すごく良いことであると思います。ただ、やっぱり社会の中で生きる上では、社会の課題を認識するとか、社会の課題を自分なりに理解する、解釈する、知ることが大事なのかなと思います。その土台の上に、自分らしく生きるとか、自分らしい働き方みたいなのがないと、独りよがりになってしまうのではないかと思っています。

阿部:私たちは、独立した一つの個であるとともに、社会の一人の構成員でもある、ということですよね。

汐中:おっしゃる通り、そうですね。

阿部:すごく面白い対話をありがとうございます。

汐中:家庭に置き換えて考えてみると、家庭の問題は見てないけど、「自分らしさ」は…みたいな。「家のことは知らない、俺は俺だ!」と言っているような感じかなと思います。

阿部:ああ、一番嫌われるやつですね。

汐中:そうですね(笑)。

③「おかしい」ポイントは、どうしたら解決できると思いますか? 解決に向けて、汐中さんがこれまで取り組まれたことがあれば教えて下さい。

阿部:今のお話が、次の質問にも繋がっていきそうな感じがしますが、社会や企業の中で、障害者雇用の課題が、一部の人たちの課題になりやすい状況をどうやったら超えていけそうですか?

汐中:さっき阿部さんが言われていたような、どこかで繋がる部分というのがあると、お互いの存在を知って、お互いが手を取り合うような「きっかけ」を得られるのかなと思います。

せっかく「自分らしさ」があるのであれば、「自分が何者なのか」をみんなで対話しながら、お互いを知り合う機会やきっかけがあるといいのかな?とは思いはありますね。

阿部:いろいろな人と共有したい話の種がある、といった感じですね。そのためには、自分自身のことを棚卸していないと、話の種なんてない!という感覚に陥る方も出てきそうですね。

汐中:確かに。棚卸が大事ですね。

阿部:それぞれに、「自分らしさ」という種があるから、対話すれば分かりあえるところと、分かり合えないところがはっきりしてきそうですね。

汐中:そうですね。例えば、学校と企業に置き換えた時に、特別支援学校と企業って繋がってるようで繋がってないところがあるなと思っています。

阿部:というと?

汐中:学校は、障害者の方、障害のある生徒を育てて社会に輩出するみたいな役割を担っていますが、学校の先生が、企業側の課題については理解しきれないと思います。やっぱりその場に身を投じてないので、本当の悩みどころとか、本当の現場っていうのは分かり得ないじゃないですか。

阿部:そうですね。

汐中:逆に、企業の人も、企業に就職する以前の学生の姿や段階というのは、知る機会がないですよね。私が、特別支援学校の高等部で働いていた時も、「中学部でこんなことも習ってないんだ!」みたいなことって結構あります。

それを外部に置き換えた時に、企業と学校も分断されている面があるのかなと思います。
そして、その架け橋になれるような人が少ない、という事実もあると思うので、少なからず私はその領域で貢献したいなと思って、いま学校とも関わらせてもらっています。
それぞれの存在意義や存在価値、役割は違うと思いますが、そこがつながっていくような動きが、小さくても出来る人が増えていけば、社会の課題に気づくきっかけみたいなのが増えてくるのかなと思いますね。

阿部:架け橋となる人たちが発信していくと、社会が変わっていくってことですよね?

汐中:そうなると良いなと思っています。

阿部:汐中さんの仰る「架け橋」の意味、イメージを膨らませていました。 それが、お互いを知りあうということで、「おかしいポイント」への1つの解決策になるのではないか、ということですね。

汐中:そうですね。

④「おかしいポイント」を越えた先にある社会/障害者雇用の姿は、どのようなイメージですか?

阿部:では、障害者雇用が、一部の人たちだけの課題になっている状態から、みんなが関心を持ってくれるような状態に変化できたら、社会や障害者雇用は、どのような変化が起こりそうですか?

汐中:ちょっと脱線するかもしれないですが、私の教え子に脊髄性筋萎縮症の生徒がいて、麻痺もあるので手足を動かせる範囲が限定的です。それでも、タッチペンとかを駆使して、私のイラストを描いてくれるような人もいらっしゃるわけですよね。

阿部:はい。

汐中:私は、自分の会社をスケールさせるつもりは全くなくて、細々とやっていきたいと思っています。ただ、教え子のような人たちに仕事を発注出来るようにはなりたい、とは思っています。別に、自分自身がいい恰好をしようとかではなく、世の中にこんな能力をもった人がいる、才能を持った人がいる、「障害者」のイメージを変えていく存在の人がいることを社会に示したいなと思います。

「当事者であっても、自分で稼ぐ力のある人達っておるんだ!」

ということが分かってくると、そこにまた新たな仕事やお金とかが発生する可能性があるのかなと思っています。必ずしも、「雇用」という形態ではなくても、「働く」ことが実現するのかなと。

阿部:大事なことですよね。

汐中:「架け橋」としての私の発信も大事なのですが、当事者が当事者の能力を発信することも大事になりますよね。やっぱり当事者不在のまま、私たちがいくら動いても限界が有るのかなと思います。

阿部:絶対大事ですよね。両プレイヤーが必要だと私も感じています。

汐中:発信していくことも大事になってくるし、それによって、社会課題を解決したい!と声を上げてくれる人も増えてくるのかなと思っています。

阿部:本当にそうですね。

汐中:私の教え子の中に、全身の筋力が少しずつ弱まっていく進行性の病の人がいます。呼吸器系も筋力で動いているので、年齢を重ねるにつれて、生きることも大変になりそうだな…ということが事前に分かるようなんです。

そのような状況にいる子どもに出会った時に、すごく悲しい話ですけど、そもそも持っている人生の物差し、もって生まれた物差しが違うのだなと思ったことがあります。きっと、時間の感じ方も私とは違うのだろうなと思ったりします。

もし、マジョリティと呼ばれる人たちが、社会には、私の教え子のような人がいるということを知れたら、「私も何か力になりたい」という気持ちが高まるのかもしれませんが、そのためには、その存在を知る機会が必要ですよね。だからこそ、私たちが発信して、社会に働きかけるだけでなく、本人たちが、表現することもやっぱり大事だろうなあと思いますね。

阿部:そうですよね。結局、私たちは分からないことだらけ、ですよね。私も今回、こうして皆さんのお話しを伺ってて、疑似体験させてもらっています。

汐中:本当にそうですよね。分からないことだらけです。
先ほどお話していた「自分らしさ」は、「自分らしさ」を表現できたり、自分らしい生き方を選択できる人たちの特権になっているのかなと思います。

障害が無いから、自分らしさを表現できている、

とも言えるのではないかと思っています。

阿部:そう思います。

汐中:障害っていう言葉の捉え方もそうですけど、社会に壁があるからこそ、「自分らしさ」を表現したくてもできない人、というのが一定数はいらっしゃると思います。その人たちが自分らしい生き方であったり、自分らしい能力の発揮の仕方であったり、自分らしい働き方というのも表現出来るようになると、本当の意味での「自分らしさ」なのかなと思うんです。

言い換えれば、障害のない人たちが、自分たちは、壁を感じることなく自由な立場で、”自分らしさ”を表現出来ていただけだったと気づいてもらえた時、すべての人たちが本当の意味での「自分らしさ」を実現できるのかなと思います。

阿部:それが、一部の人の課題になりやすい障害者雇用、障害者領域の「おかしいポイント」を超えた先に見える世界観ですね。

汐中:そうですね。今まで「自分らしさ」を表現してこれなかった人たちが、表現できる社会みたいなところですね。

阿部:少し頭の整理をさせてください。
障害のある人は自分らしさを表現したくても、様々なバリアによって表現出来ないという状態がある一方で、いわゆるマジョリティである障害のない人たちは、特にバリアを感じずに、自分らしい生き方を追求することも出来ている。その結果、マジョリティの人たちは、自分のことに興味や関心が向かいやすく、個を尊重する風潮も相まって、障害のある人たちの置かれた状況を想像することが難しい。

汐中:そうです。

阿部:だからこそ、障害のある人たちも発信をして、「私は、XXXができるんだ!」とか、「XXXをやっていきたいんだ!」と世の中に自分の能力や想いを表出していくことが必要になる。そして、その発信がマジョリティとされる人たちに届いた時に、一人ひとりの個が、「自分には何ができるのか?」と考えられるようになるかもしれない。そうなれたら、お互いにとって、「自分らしさ」とは何なのかを考えたり、表現できるようになるということでしょうか。

汐中:はい、まさにそういうことだと思います。

阿部:きっとマジョリティの中にも、「自分らしさ」を表現できない人はいらっしゃいますよね。ただ、それは、自身の価値観や興味を含めて棚卸が出来ておらず、結果として、自分が進んでいく方向性を指し示すコンパスを持てていないのかなと思います。
そして、障害のある人の中にも、一定数、自分自身の棚卸が出来ていない、という意味で「自分らしさ」を表現出来ていない人もいらっしゃるのかなとは思います。もちろん、異動希望を出しても異動が叶わない、とか、明らかなバリアで自分らしいキャリアを表現出来ていない方もいらっしゃいますが…。

汐中:確かにそうですね。自分らしさを表現できない背景は違いますが、「(自分らしさを)表現できない」という現象としては、みんなが抱えているものかもしれないですね。

阿部:そうですね、そう思いました。

汐中: 期せずして、来月出版する私の本の最後に書いたことを思い出しました。

阿部:どんなことでしょう?

汐中:法的な規制があるにせよ、雇用率の高まりによって、障害者の方が一定数、組織の中で増えてきますよね。そうした時に、もしかしたら、「自分とは何か」ということを、多くの人が考え始めるのかなと思っています。

阿部:なるほど。

汐中:法定雇用率は、決して自然な形ではないですよね、無理矢理な感じがします。
しかし、障害者の方々が一定数、社内で働くとか、一緒に存在することによって、こういう人たちが世の中にいるのだなあ、ということをマジョリティの人たちが目の当たりにした時に、「そもそも人間って何だろう」、「自分ってなんだろう」みたいなことを考え始めるのではないかと思っています。

阿部:法律によって、半ば強制的に進められた障害者雇用であったとしても、それによって自分や他者を考えたり、感じられたりする機会が生まれるということですね。

汐中:そこで周りの人が、「自分らしさ」とか障害者の方の存在に気づきはじめてくれると、本当の意味でのダイバーシティに繋がるのかなと思います。

阿部:もう少し教えてください。

汐中:例えば、コミュニケーション。障害者の方々と関わっていく上で、今までの自分のコミュニケーションの取り方では通用しないなと気づいた時、「あっコミュニケーションスタイルって、目の前の人たちに合わせていかないとダメなのだな」と初めて知って、自分のスタイルを変えつつ、目の前の人の存在を受け入れていくのだと思います。

これまでは、「自分らしさ」を表現できて、それを理解してくれる人たちだけで交われば良いと思っていたけれど、それは通用しないのだなと気づく瞬間ですよね。目の前の存在を受け入れて、この人たちに合わせたやり方が必要なのだと気づけたら、対話も深化していくのかなと思います。

阿部:これまでのお話を伺っていると、架け橋となる人や当事者の人たちの発信があって、それを受け止める人がいるということが、ダイバーシティの入口なのかなと感じています。そして、その入口から一歩踏み出して、一緒に働く中でよりDE&Iが進化していくのかなと思いました。いまは、その一連のプロセスを「一部の人たち」が取り組んでいるイメージですよね。

汐中:そうですね。

⑤目指す社会に向けて、汐中さんは、何をしたら今の仕事をやり遂げたと思えそうですか?

阿部:これまでお話して下さったすべてが、汐中さんが描かれている世界観なのだろうと感じていますが、何を成し遂げたら、自分の仕事はやりきったと思えそうですか?

汐中:いまは、企業支援という形で障害者雇用に関わらせて頂いてますが、将来的には、グループホームを運営しつつ、そこで暮らす人たちが、稼いでいけるような場所を作りたいなと思っています

阿部:グループホーム!とても驚きました。

汐中:障害者雇用・就労といった枠組みに当てはまらない人たちが、社会にはやっぱりいらっしゃるので、その人たちが、自分でもこういうやり方、こういうところだったら稼げるんだ、と実感できるような場や機会を作りたいと思っています。

阿部:グループホームは暮らしの場ですが、その中で、働ける場も作ってみたいということですね。

汐中:そうですね。働く場…?作業所的なイメージではないかもしれませんが、在宅でも出来るような仕事を私から提供して、対価を支払う環境を作りたいですね。その金額が多いか少ないかは、ちょっと置いといて、ですが、自分の力で稼げるんだな、と分かってもらえるような経験や場を提供できればいいなと思います。

阿部:壮大なビジョンですね。

汐中:それが良いのかどうか、分からないですけど、やっぱり教え子たちの様子を見て思ったことなのです。私は、最初は就労継続支援B型事業所とかを作ってみたいな、という思いがあったのですが、B型にすらあてはまらない人がおるんだなと思ったときに、それならば、暮らしの場でもあって、かつ働ける場でもあるような空間を作りたいなと思って。

そのためには、やっぱり私自身が、稼ぐ力を身につけないといけないので、いまは法人相手に仕事をしています。私が発注できる立場になりたいのです。

阿部:そこがまず第一なのですね。

汐中:はい。まずは、私自身が教員という立場で、稼ぐことに疎い業界にいたので、もし私が稼ぐ力を身につけたら、それは絶対、グループホームにいる人たちにも知見として与えられるだろうなと思います。自分自身が、全然稼ぐ力がなかったのに、こういうことをしていったら稼げたよ、といった感じです。そうなれた時、グループホームで暮らす人たちも稼ぐ能力が高まって、私から発注する仕事以外も受けれるようになるかもしれないなと思ったりします。

阿部:まずは、汐中さんご自身の成長がスタート、ということでしょうか。

汐中:はい。まずは、私から伝えられることがあれば、伝えていけるといいなと思いますし、そのためにも、まずは私自身が力をつけないと、という思いです。

阿部:ありがとうございます。汐中さんの想いをこうして、じっくりお伺いする機会がなかったので、今日はとてもいい時間になりました。

対話を終えて:
「自分らしさ」を表現しようとすると、自然と自分だけにフォーカスがあたってしまうものかもしれません。自分は何が好きで、何を大事にしていて、何が得意で、といったように。しかし、「自分らしさ」を考える時こそ、他者との関係性の中で「自分らしさ」を定義してみると、いっきに視界が広がるなという感覚を持っています。「娘、息子」としての自分であったり、「職業人」としての自分であったり、「夫、妻、パートナー」としての役割も含めて考えると、自分自身の中に、既に「多様性」が存在するなと感じてます。その多様な「自分らしさ」を他者と対話しながら深めていくことで、他者の違いに興味をもてたり、想像力を働かせることが出来るのかなと思いました。

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