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アルツハイマーが奪うもの

 母がアルツハイマー型認知症と診断されてから、数か月。アメリカから遠隔で色々手配出来ているのは、母の妹である叔母のおかげです。

 ようやく施設に入居できても、1日目から「長くは預かれません」と言われてしまうなど、問題は山積みです。不安や自分の自由がきかない状態にイライラを暴走させる母の怒りの矛先になってしまい、疲れ切ってクタクタになってしまった叔母と話していると、この病気が奪っていくものは母本人の幸せだけでなく、周囲の自由や心の安らぎであるということを痛切に感じます。

 母は典型的に「片づけられない」人間。アメリカでは主人まで出てきて散々お願いしていたにも関わらず、全く片付けをしなかった母の部屋とガレージは、まるで「ゴミ屋敷」状態でした。日本からこちらに移住する際にも「いらないものは捨ててね。同居するには荷物をすべて背負ってはこれないよ?」と頼み続けてはいたのですが、いざ荷物をあけると何十年も前の謎の広告(しかも大量)や、謎の古いお菓子の空箱の山、ハサミが40本、虫眼鏡20個と「なぜこんなに同じものが必要?」と思えるものがたくさん。

 その一つ一つに、母にしか分からない思い出があるのかなと思いつつ、心にフタをし、あえて何も感じないよう努め、とにかくどんどん捨てました。誰にもきっと見られたくないようなものまでチェックされ、まるで「片づけ」を第三者がやらざるをえなくなって、「強制終了」でもしたかのような形で人生を片付けられてしまう――「断捨離がここまで支持される理由は、こういうことなんだ!」と、妙に納得するばかりでした。

 数週間かけて、段ボール箱12個だけにまとめられてしまった、母の「すべて」。その小さな「すべて」の意味さえも、きっともうすぐ分からなくなるんだろう……

 人生で起こることには全て意味があると思いますが、「なぜこのタイミングなの?」という疑問に回答が出ることは、きっとずっと先になるのかもしれません。今年に限って主人はドイツに赴任、今年に限ってドイツから戻った途端にバージニアに引っ越し。私と子供は子供の学校の関係で、ワシントン州に居残り。日本と勝手が違うので、子供は学校に一人で行ってくれない。義理の母は同じ州には住んでいても、体調が悪いからサポートは無理(むしろ私がサポートしなければならない)。そんな状況で、アメリカから日本に戻り、子供を放置し母の世話をすることは、到底不可能に近い。それに加え、老後の準備をちゃんとしなかった母は、お金もない……。

 私に出来ることは「出来ることは何か」を、ちゃんと見失わないことだろうと思います。出来ることはもちろん母のためにしてあげたいし、そうするでしょう。けれど出来ないことまでしようとしたら、すべてがアルツハイマーに奪われることになってしまう。特に、子供が何かを奪われないようにしなければならない。神様が「このチャンスから人生の在り方を学びなさいよ」と言ってくださっていると思い、深呼吸を忘れず、俯瞰して自分の状況を見ていこうと思います。

 



 

 


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