見出し画像

わずか1分ほどの


エスカレーター
雑踏
よれたスニーカー
白杖

今でも、ふと思い出す。
まだコロナ以前の夏のことだった。

「どちらの方向に行かれるのですか? よろしければ少しだけでもご一緒しましょうか?」
私は隣に立つ青年に思わず声をかけた。
二十歳前後であろう青年は白杖を持っていたからだ。

びっしり2列に並んだ上りエスカレーター。
上り切ると、多くの人々が目まぐるしく行き交う駅前広場。
盲人が一人で歩くのは困難を極めることが容易に想像できた。
青年は、私の聴覚障害がある息子に背格好、雰囲気がそっくりで、私は息子と青年を重ねてしまい、たまらなく心配になった。
私は、せめて少しの距離だけでも盲人であろうその青年を誘導したいと思ったのだ。

私の声かけに
「あ、ありがとうございます。あの、ぼく、いま、歩行の試験中なんです。一人で歩く試験で・・・、後ろの方で先生が見ているんです。」
と青年は言った。
「ああ、ごめんなさい。では、気をつけてね。」
わずかなやり取りで終わった。

彼の瞳は全体的にグレーで、おそらく全盲と見受けられた。
前歯は欠けて黒く、服とスニーカーは汚れてよれていた。

ほどなくエスカレーターの到着地点。
青年が、私が、人々が、次々に雑踏へ押し出された。
白杖を頼りに、たどたどしく歩き出す青年の背中を私はできるだけ長く見守っていたかったが、あまりの人の多さに、瞬く間に見失ってしまった。

無性に虚しいやら、さみしいやら、胸が締め付けられるような感覚になった。
ハンディを背負って巣立っていこうとする息子とその青年がどうしても重なり、私は親にして、なす術もない無力感に打ちひしがれ涙が込み上げてきた。

見えない青年
聴こえない息子
どちらの障害が不幸だろうかと、考えてしまった。
なんて浅はかなことだろう。
自己嫌悪がゾワゾワと襲ってきた。
幸も不幸も他人が決めることではない。
どんな状況でも、その人が不幸と思えば不幸で、幸せだと思えば幸せなのだから。

エスカレーターでその青年と言葉を交わし、雑踏の中に青年の姿を見失うまでのわずか1分ほどのできごと。

エスカレーター
雑踏
よれたスニーカー
白杖

今でも、ふと思い出す。

コロナ禍で、そうでなくとも生きづらいと感じる人々で溢れているであろうこの社会で、あの青年は今、どうしているのか。
歩行試験は合格しただろうか。
歯の治療には行けただろうか。
服やスニーカーの汚れを知らせてくれる人は身近にいるだろうか。

いやいや、
そんな心配は余計なお世話だと打ち消す。

そして、
ただただ、あの青年の幸せを祈る。

この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?