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#闘病レポ05[術後]。1週間の雑記録。自分の意志で動けることが増えると満たされる。

寝返り。座る。立つ。トイレに行く。歩く…。すべて術後にできなくなりました。当たり前にできていた日常動作ができないことに、自信喪失しました。
ただ、同時に日々の尊さも感じましたし、大事な気づきがありました。「"自分の意志"で選択し行動できることこそが、自己肯定感を充し、幸せに感じることなのだ。」ということです。

今回は術後1週間の体験を書きます。
私は「腹腔鏡下膵尾体部切除術」という手術で、腫瘍摘出のために開腹もしています。消化器系、特に胆のう・肝臓は似ている部分もあるかもしれません。術後1週間は正直辛かったです。同じ病気の方のために詳細も書いていきますが、かなりのニッチ情報です。

病気の詳細や手術時の記録などは以下「膵臓くんの闘病日記」へ↓

術後1日目。苦痛と自信喪失で生きる意味を考えてしまった。

午前の記憶はほぼありません。意識朦朧で辛うじて目は開くというレベルでした。お腹全体が痛むし、座ることすらできず。意識があるのが辛いので、眠っていたい、できるなら目覚めたくないと思いました。
痛みに加えて、自分の意志で行動できないことが大きな苦痛でした。「こんな苦痛が続くなら生きる意味ってあるのだろうか」と本気で考えてしまいました。生きるために腫瘍を取る手術をしたのに、ごめんなさい。でも辛かったんです。

一番辛かったのは吐き気と嘔吐。シーツとパジャマが緑のゲロまみれになった。
術後は歩くことが一番の治療と言われていました。胃腸などの機能が一時的に停止するので、外的な刺激を加えて機能を復活させるのです。

私も翌日から看護師さんのサポートのもと、歩行訓練の予定が組まれていました。ずっと寝ている状態なので、歩行までは「仰向け→ベッドの角度を30度UP→45度UP→直角に座る→地面に足をつける→ベッドサイドに立つ→その場で足踏みする→歩く」というステップを血圧測定しながら、ゆっくり進めます。
正直、体調がよくなくて無謀なのでは‥と思ったけれど、「他の高齢の方々ができるなら自分もできる」と思い、挑戦することにしました。

1回目のチャレンジは昼頃。少しでも身体を起き上がらせると気持ち悪くなり、足をベッドの下におろそうとした瞬間に嘔吐。
2回目のチャレンジは夕方。次は床に足をつけた瞬間に嘔吐。それを機に、横になっても嘔吐を繰り返し、最終的にはパジャマとシーツに緑色のゲロを撒き散らしてしまいました。着替えもシーツ交換も、ただ看護師さんにやってもらうのを寝て待つことしかできず、悲しくなりました。緑色の招待は胆汁とのこと。濃い抹茶味です。この日は歩く前に、立つことすらできませんでした。

先生によると嘔吐の原因は2点考えられ、起き上がったことによる血圧低下と麻酔薬の影響とのこと。術後は血圧が下がる傾向にありますが、私は元が80台なので頭を高くして急激に下がってしまった。硬膜外から注入する麻酔薬は人によっては吐き気を誘発するらしいです。吐き気止めも投与してもらいましたが、あまり効かなかったように思います。

寝たまま下はすっぽんぽん。ゴム便器のうえで情けなさがこみ上げて泣けてきた。
1日目の昼に歩くことができず、お手洗いは、ベッドの上で寝たまま、腰の下にゴム製の便器を置いてすることになりました。
看護師さんに下の衣類や下着をすべて脱がしてもらい、上からタオルをかけてもらうのですが、その図が情けなくて泣きたくなりました。なお、2時間ほど頑張ってみましたが、まったく出ませんでした。寝たままおしっこできないのは、精神的な影響が大きそう。寝たままするのは、インプットされていない感じです。
結局、夕方に尿のカテーテルを再度つけることとなりました。正直、歩行できるかを確認後に外してほしかったので、カテーテルは歩くのを確認してから外すことをおすすめします。涙。カテーテルをつけるのも恥ずかしいですが、もはや、ゴム便器はもっと強烈でした。意識朦朧としていてよかったです。

巨大な機械で寝たまま体重測定もレントゲンもできた。
動くことができなかったので、体重測定とレントゲンは病室でおこないました。巨大な機械を部屋にはこんでいただき、行います。布をはった量りにつられて、変な気分。体重は1kg増でした。絶飲絶食でしたが、術後は、点滴や手術中にお腹を洗った水で体重が増えることが多いようですよ。

術後2日目、歩けたことで尊厳の回復はできたが、別の辛さが増えていった。

2日目、ついに30歩くらい歩けます。小さなことだけれど「自分の意思で行動ができることが、これほどまでに素晴らしい」、それを実感。
一方、意識がはっきりしていくと、痛みもはっきり認識できるようになり、胃のあたりに異変を感じ始めました。内臓たちがゴロゴロいっている…。

麻酔薬を減らして頭をあげて過ごすことで、歩けるようになった。
歩くためには立てなくてはいけないので、吐き気を減らす対策をしてもらいました。具体的には、日中はなるべく頭をあげて過ごすこと。硬膜外の麻酔薬の量を減らして別の痛み止め薬に変更することです。すると、吐き気は徐々に薄まっていきました。そして午後、ベッドサイドに座って、地面に足をつけた後、その場で足踏みできるようになりました。

お腹が痛いので腰は伸ばすことはできず、45度の深いお辞儀以上はのばせませんでした。歩くときは、点滴棒につかまり、すり足でゆっくりと。ついに、トイレまでの10m程度の距離を歩くことができました。歩けて、自分でトイレに行けることの尊さに気づきました。自分の意思で動くことこそ、幸せなんだと感じた瞬間でした。

ちなみに、同じ病室の方々は、次の日からスタスタ歩いている人もいました。人にも手術の内容にもよるみたいで、胆嚢を取った人や胆石、尿管結石などの方はとてもスムーズそうでした。低血圧なのと、膵臓というのが、やっぱりダメージが大きいのかな。。

内臓たちの居場所がさだまらない。麻酔とは別の吐き気に見舞われた。

術後2日目から痛みとは別の違和感を感じはじめました。胃のあたりが気持ち悪い感じです。内臓がグルグルゴロゴロ向きを変えているような感覚です。これが気持ちが悪くなり、寝返りは打てませんでした。先生に聞くと、全員ではないけれど手術で膵臓と腫瘍、脾臓をとる人はお腹の中に空間ができてしまい、お腹の中で内臓たちがゴロゴロと向きを変わるのを感じる人がいるようです。

ちなみに、手術前のお腹の中は想像以上にぎゅうぎゅうすし詰め状態だったようでした。胃カメラでは腫瘍が胃を圧迫して、胃が変形していました。取り出してみると、脾臓も肥大化していました。脾臓の肥大化は、腫瘍で血流が邪魔されてうっ血した影響です。改めて、腫瘍の大きさを感じました。

この痛みや吐き気は術後2週間程度続きましたが、知らないうちに治っていきました。

術後3〜6日目、1本目のお腹の管を抜いて、痛みの種類が変わってきた。

痛みで声を出すことができなかったので、コソコソ話するように小声で会話をしていました。3日目からご飯は開始になりましたが、まったく食欲がありません。膵臓食Ⅰという離乳食のような粒がない食事が出るのですが、一口くらいしか食べられません。まずいということではなく、身体が受け付けないという感覚でした。胃腸が動いてなかったのか、手術で胃の血管を切ったからなのか、2週間以上、この不調が続きました。

5日目、お腹の管2本のうち、横隔膜の腹水を排出する太い方を抜きました。直径1cm程度のドレーンを抜いた瞬間に、左下のお腹の痛みが軽減されて、手術後からの重だるい左肩痛がなくなりました。ごくまれに、左脇腹の痛みが左肩に表れてしまう人がいるようで、拡散痛と呼ぶそうです。

3日目以降、手術直後と比べると、吐き気と痛みは弱くなっていきました。腰と背中を丸めてゆっくり一歩ずつ点滴棒に頼りながら歩ける状態です。ただ、次は38度の熱が出るようなりました。鎮痛剤を点滴で投与して下がるのですが、また翌日は熱が上がってしまう。変だね、と医師と話をして、血液検査をすることになりました。

術後7日目、発熱で発覚した合併症。カビキラー並みのアルカリ性液体・膵液漏れとの戦いの始まり。

血液検査でcrpという炎症の値が想定より下がっていないことが分かりました。これでお腹の中に膵液が溜まってしまい、炎症を起こしていることがわかり、原因特定のため、CTを撮影しました。この結果、お腹の中に膵液が溜まり、それが膿となっていたことがわかりました。
今思えば、5日目くらいから痛みの場所が変わり、左脇腹のあたりになったのですが、開腹した傷も、ドレーンの管も痛いし、その変化も説明ができずにいました。
ここから、長い膵液瘻との戦いがはじまりました。膵液はタンパク質や脂肪を溶かします。カビキラーと同じくらいのアルカリ性の液体です。お腹の中に溜まってしまうと、自分の身体を自己消化してしまうのです。つづく。。

まとめ

人に迷惑をかけて情けなくなる前提で、仕方ないって思っておく。
手術後、痛みも辛いですが、一人でできることがほぼありません。ゲロまみれもトイレに行けないのも情けなくて、涙が出そうになりました。座ることすらできない上に、着替えることもできない。人にも迷惑をかけて、自分で処理もできない。自信を失うし、とにかく周囲に申し訳なくなりました。ブログを読んだり、周囲病室の方の様子を見ていると、上記に書いた辛い症状は重い方だと思いますが、こんな事例もあると頭の片隅に置いていただくと、自分を責めなくていいかもしれないです。

自分で決めて 、自分で動くことが幸せに繋がる。
人にお世話をしてもらうというのは、申し訳なさもありますし、自由が利かなくてストレスが溜まりました。日常生活ではなかなか感じ取るのが難しいですが、日々、歩くのもトイレも寝るのも、意思決定して自分で行動しているのだな、と感じたのです。極端な環境に身を置いて気付いたことは、日々においても「自ら決めて実行した数」を増やせると、充実感が増すのではないかということでした。自分が意思決定できているかを意識すると、より幸せだと感じられるのではないでしょうか。

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