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母の入院ドタバタ日記前編

母の様子がおかしいと、実家にいる姉から仕事場へ電話があったのは、昨年末だった。

昼ご飯を食べていたら、母が急に「左手の感覚がない」と言い出したらしい。呂律も回らなくなっていたが、10分ほどで回復したと。
念のため、かかりつけ医に行こうと姉が医院に電話したところ、すぐに救急車を呼ぶように言われたそうだ。
うちではなく脳外科専門医に診せたほうがいいと。

え?そんな状況なんですか???

と、慌てて119番して、救急車が到着。

「今、この段階で電話している」と。
「搬送先を探してもらっていて、今、家の前に救急車が止まっている」と。

こういう時、姉はかなり冷静な口調になる。
慌てた様子は全く感じさせず、ストーリーの始めから話し出す。
「母と昼ご飯」から始まって、「今、救急車が家の前にある」まで、順を追って、やっとたどり着くのだ。

一番大事なことから言えばいいのに。

「病院が決まり次第また連絡する。
それまで、あなたは出かける用意しといて」

と、電話が切れた。

身体がすう~っと冷えてゆく感覚に陥る。
最後に話したのはなんだったっけ?
私、冷たい言葉とか言ってなかったっけ?

母は91歳。
何が起きても不思議じゃない年齢だが、今の今まで病気らしい病気はしたことがない。我が家で入院も手術もしたことがないのは、母だけだ。あと100年くらいは生きそうなのだ。

たぶん、入院になるだろうと姉の言葉に、冷蔵庫はカラにすることにした。
今度、この仕事場に戻れるのはいつなんだろう。

搬送先は、予想していた仕事場近くの総合病院ではなく「○○脳神経外科病院」だと連絡があった。車で20~30分かかるところだ。

タクシーを飛ばして搬送先に辿り着くと、外来の廊下に姉がいた。

「意識がなくなったわけではないから、あまり深刻に考えていなかった。かかりつけの先生に相談しなかったら、このままやり過ごしていたと思う」
と、姉が言う。

「ごめんね」

いやいや、謝るのはこちらのほう。
大事な時に留守にしていて、ごめん。

診察室から母が出てきた。普通に笑顔だ。
これからMRIを撮るという。

「びっくりしたでしょ?」

と、母。

「びっくりしたよ~」

と、私が答えると「私も~」と母が笑う。

大丈夫そう。

「MRIの結果はなんの問題もありません。一過性脳虚血発作です」

と、一回では覚えられそうにない病名を語った先生は、姉、私、母がずらっと並ぶ診察室で説明してくださった。完全に私よりも若い。はつらつとし、患者の質問には丁寧に説明してくれる。MRI画像を見せながら、

「脳梗塞ではなく、一時的に細かい血管に血液が行きわたらなくなった状態だったのでしょう」と。

「今回、救急車を呼んだことは大変良かったです。すぐに治ってしまったと言って放っておくかたがいるのですが、のちに再発とか脳梗塞を起こしたりする可能性があります」

母も一緒に話を聞いている。
「経過を見るため、一週間ほど入院していただきますね。きっちり治しましょう。何もなければそれで退院できますから」

よかった。
よかった。

昨今の事情で家族であっても病室へは立ち入れないし、お見舞いもできないと言う。

大丈夫かな、母。
人生初だもん、入院。

入院手続きを急いで済ませ、母を見送る。

たった一週間だからね。

と、母にも自分にも言い聞かせ、手を振る。

「じゃあね」と姉と私の声に振り向きもせず、母はあっけなく入院病棟へと消えていった。

まあ、なんとなく様子が変だったのは、人生初の入院というイベントに動揺しているからだろう。
常に自分のことより家族のことばかり心配している母らしからぬ別れに、少々気が抜ける。


「さっきね、救急車が思っていたより早く来たの」
姉が帰りのタクシーの中で搬送時のことを話し出した。

「戸締りとか、持っていくものとかまとめていたら、なんと母のほうが準備が早く終ってしまったの」

おお、母らしい。
そして、姉らしい。

「ピーポーと聞こえてきて、最初に玄関に出て行ったのは、私ではなく母だったの。玄関から元気よく出てくる母を見て、救急隊員のかたは、患者さんはどちらですか?と、聞いたのよ。母以外のだれかだと思ったみたい」

すかさず、

「私で~す!」
と、元気よく答えた母に、救急隊員さんは驚いたそうだ。
脳梗塞の疑いと聞いていた患者が、元気よく歩いてやってくる。

91歳ですよね?ポテンシャル高いですね!

場は笑いに包まれたという。

なんじゃ、それ。
ポテンシャルって、なんの?

ともあれ、搬送時がシリアスでなくてよかった。

これから一週間、無事、戻ってきてくれることを祈る。

そう、何事もなく。
なんの騒動もなく。


そして、それから長くて短い一週間を過ごすことになる。

つづく。





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