最後まで行っちゃったら後戻りはもうできない。


センセーショナルな物言いをするんだけど「最後まで行く」は個人的な今年ベスト作品だと思う。
ベストはちなみに複数ある。世界一かわいいが複数あるのと一緒だ。このベストは「他にどんな素晴らしいものが来ても揺るがないよさ」を表象する言い回しなので、序列ではなく絶対評価であることは念頭に置いていただきたく…

藤井道人監督のファン、いやストーカー(?)として今作は情報解禁された半年前からずっと楽しみにしていた。映画の情報リリースが半年前なのはムビチケの販売状況とおそらく無縁でもないのだろうけど、こちらからすれば元気に半年「待て」をさせられているようなものである。
日本一有名なマーシャルアーツの師範と孤独の表象が服を着て歩いている名優の邂逅、私が綾野剛さんの過激派クソオタクじゃなくても絶対見にいくが? いやこの映画を観に行かなくて映画好きを名乗ってるやつはモグリだモグリ。他の追随を許さない、純度の高い個性の殴り合いが展開されているのは間違いない。仮に2000円に値上がりしていたとしても行きたい映画。レイトショーにもつれこんででも日曜日のうちに見ておきたい映画。形容の仕方は色々ある。そしてそれらの極限まで上がりきった期待値に見合う真正面からのエンタメで私は甚く満足した。藤井道人監督が現役でバリバリ映画監督やってる時代に生まれて来れて良かったあ。神に感謝親に感謝。サンキューマイマム。

あらすじ
地方署の刑事・工藤は親の死目を看取るために急いでいた。だが悪天候と焦りが災いして人をはねてしまう。雨天の中を死体とドライブ、なぜか異様に早く現場に来る監察、巨額の金、そして最愛の娘の誘拐。迫り来る年の瀬、人生最悪の四日間が幕をあける…

先に言っとくとネタバレなのでネタバレ★うふふオッケー☆という人も含めて未視聴勢はここで帰ってほしい。あと藤井道人作品に関しては容赦なく引用するからそのへんもぜひご視聴ください。
多分この作品に関して言うならネタバレは一切排して見た方が5千倍おもろい。なんとなく展開に予想がつく勘の良いお友達もどうかそのフィクション慣れしたセンサーをオフにして頭空っぽにして見てほしい。
結論から言うと綾野剛演じる監察官矢崎がマジでクソヤバくて、今まで綾野剛の「やばい」役といえば代名詞だった「亜人」の佐藤、「リップヴァンウィンクルの花嫁」の安室などが挙げられるのだが、それらとはまた一線を画する「勝手でどうしようもねえ野郎で間違いなくヴィランで人としてやべえ要素しかねえのに生き汚なさが人間離れしててクソ怖い」という意味でのやばい男になっている。どうやばいかは実はTikTokの広告で流れてくる「監察官矢崎のここがダメ!」というショート動画によくまとまっていた。狂気でしかないので是非ご覧いただきたい。あの動画知らん人に宣伝する気あるんか?(褒めてる)

基本的にこの映画は監督も言っていたけどコメディである。多分「ヤクザと家族」を想定して行くとえらい目にあう。おそらくその切り口を用意して見た方がいいのは「ヴィレッジ」である。ヴィレッジはヴィレッジで神作なのであれも個人的にはベスト入りしている。今年は現段階でベストが3本あって完全に序列をつけられない。
「最後まで行く」最大の見どころはやはり各国でリメイクされた話の筋書きのシンプルな面白さだと思うが、加えて個人的には日本特有の地域性だったり社会構造の妙だったりするんだろうと思っている。(警察組織の善性が他国に比べて段違いの日本警察における)悪徳警官の際立ち、保身と出世のために手段を選ばないながらどこか綻びも見え隠れするささやかな純粋悪の監察官、もしかすると作中で最も真っ直ぐかもしれない死体、何も知らずに最悪の形で巻き込まれる同僚、同じく無知なのに幸運を体現して生き残る女、そしてそれら若者を唆し甘い蜜を独り勝ちする老獪な悪人。ひとりひとりのキャラクターの充実が唯一無二と言えた。中でもあの柄本明、柄本明はなんだ。メフィストフェレスを見た。結局はあの人物の掌で踊らされているのかもしれない。
この映画は岡田准一演じる工藤の愚かしさを存分に嘆き、綾野剛演じる矢崎の自己愛に忸怩たる思いを抱き、最終的に柄本明演じる仙葉の底知れない恐ろしさに震え上がるように出来ている。地獄へ堕ちる者と、現世の蜜を啜る者という対比は極めて仏教的な世界観で、「寺の蓄財」がキーになる本作にとっては皮肉な流れである(たぶん意図して組まれている)。

本邦のヒット映画は(と言うと一般化が雑かもしれないが)主人公の善性をきちんと打ち出してくるのが一般的なので、今作のように主役も準主役もまあまあシンプルに悪いやつなのはヨーロッパの映画ぽくて個人的には好みだった。もしかしたら見る人によってはすっきりしないかもしれないが、ぽーんと一線を超えてしまう人間を見られるのは映画の良さである。上手く言えないが、個人的に映画とドラマの線引きはそうあるべきかなと思っている。映画は観る人が「観るぞ」と気合を入れて見に来るものなので、感情移入を必要以上に煽る必要はないし、それだけ視聴者の受容レベルを高く見積もって作られている。映画を作る側が「高いレベルを要求してますよ」と言うことはないだろうが、観客の読解力を要求されてるなあ…というのは月に何本も映画を見ながら毎回思う。小説と同じだ。たぶん世にある映像コンテンツの中で、言葉を選ばずに言うならば、映画は最も難しいコンテンツなのだろう。だからこそ考えざるを得ないし、解釈も何通りもある。本作のラストだってそうだ。私はあれを地獄までの渡河だと思ったが、わからないといえばわからない。見た人の数だけ答えのあるエンドだったと思う。
エンタメに振り切り、度外視すれば愛と呼ぶほかない強すぎる執着を示し、まさに文字通り「最後まで行く」映画。今年ベストと呼ばずして何と呼ぼうか。最後の満身創痍で笑う2人の名優は紛れもなく恐ろしかった。向こう側へ行ってしまった人間の凄みがあった。ああいう振り切れ方を表象できる役者はやはりそう多くはない。

トカゲの比喩は作中何度も出てくる。這いつくばり、太陽を恐れて日陰を探す厄介なトカゲは、工藤であり同時に矢崎でもあり、2人の人間のいやな類似点をこれでもかと強調する。この「よく似ているが決定的に違う人間」がお互いを殺し合う構図は手塚治虫あたりが好きな構図で何度か見た。「火の鳥」とか「アドルフに告ぐ」とかがそうだ。出会い方が違えば莫逆の友になったかもしれない人間が、主義信条や己のバックボーン、置かれた立場の違いからどうしようもなく殺し合う。そこには敵愾心とヘイト、承認と希求のような感情が複雑に重層的に絡み合っていて、純粋な「己が生き残ろう」とする心とは別の趣が働いてしまっているように感じる。残された家族はたまったものではないが、結局こういう人間は家族を見てなどいない。徹頭徹尾自分が大事で、自分にしか関心がないのだ。いっそ清々しいほどに。作中では新婚の矢崎の保身が殊更そのように描かれていたものの、工藤もおそらくは大概のものだと思う。親と一緒に殺してしまった人間を焼いてしまおうとする心に何が去来したかは非常に興味深い。本質的に似た人間同士だ。どう出会うかというのは実に大事だと思った。仏教的観念、言うなれば業のようなものを感じる。似た因縁は「インフォーマ」でも似たものがあったし、「ヴィレッジ」にもあった。あの言葉にできない悲哀が今作ではややエンタメに振り切っていて、それでいても逃れられない宿世の難しさを感じる。

というわけでヒーローの岡田准一、ヒーローの綾野剛を志向する人は苦笑いするしかないだろうが、ヴィランやダークな世界観を志向する人にとってはもうご褒美でしかない、ご褒美という他ない素晴らしい作品だった。まだ映画館でやってるうちに見に行ってほしいし、ラストの渡河シーンの形相に心底怯え切ってほしい。まさに地獄変という形容が相応しい。
あと劇場限定グッズがかわいい。ポーチはぜひゲットしてほしい。
個人的な話をすると矢崎はわりと好きなタイプの綾野さんでした。やらかしたことに気づいてからの披露宴における苦虫を噛み潰したような顔、綾野さんこんな引き出しもあるのねぇ、すごいわ、の顔で見ていました。笑顔のレパートリーが多くて素敵!()

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