柏木純子

神戸市垂水区出身/日芸演劇演技コース/大阪大学演劇学研究室/宝塚北高校演劇科講師/日本…

柏木純子

神戸市垂水区出身/日芸演劇演技コース/大阪大学演劇学研究室/宝塚北高校演劇科講師/日本大学歯学部兼任講師/日仏演劇協会運営委員/模擬患者団体アッサンブレ委員

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イヴ・サンローランのミューズたち:I. カトリーヌ・ドゥヌーヴ

 イヴ・サンローランには、彼の創作に欠かせないミューズたちがいました。今回は、フランスの大女優のひとり、カトリーヌ・ドゥヌーヴについてです。  カトリーヌ・ドゥヌーヴ(1943ー) は10代より映画に出演しはじめ、1964年のミュージカル映画「シェルブールの雨傘」で主演し世界的なスターになりました。これまで数々の映画賞を受賞してきた人物です。  サンローランと彼女の交流は1960年代初頭から始まっていましたが、より交流が深まったのはルイス・ブニュエルが映画化した「昼顔」(

    • イヴ・サンローラン:万人におしゃれを(人へのオマージュII)

       1966年、この年はイヴ・サンローランの歴史の中で最も大きな改革が行われた年です。おしゃれを万人のものにするための第一歩がこの年に踏み出されました。オートクチュール界から初めて“左岸”に prêt-à-porterプレタポルテのブティックをオープンさせたのです。  その名も“リーヴ・ゴーシュ”。コレクション名、一号店の場所、手に取る人たち、全てが左岸と結びついていました。オートクチュールコレクションが“右岸”を連想させることから、プレタポルテのモチーフを“左岸”にするのは

      • イヴ・サンローラン:パリの人々(人へのオマージュI)

          パリはセーヌ川を境に大きく二つの地区に分かれていいます。セーヌ川の北側を“rive droite右岸”、南側を“rive gauche左岸”と呼んでいます。“右岸”は元々ブティックや劇場が多く、ブルジョワが集まる場所で、“左岸”はカフェで知識人や学生、芸術家が語り明かす中流階級が集まる場所でした。パリの人々はこの“右岸”と“左岸”にこだわりを持っていて、どちら側の人間なのかということをはっきりと区別していました。今でもそのなごりが残っています。  当時、“右岸”の人たち

        • イヴ・サンローランのラブストーリー

           ある女性が、サンローランに「現実の暮らしの中でおしゃれをどのように楽しめばいいか」と尋ねました。すると彼は次のように答えました。  あなたは編み物ならできますね。黒い毛糸を買って、セーターを編んで下さい。次に黒いタイトスカートを作るのですが、あなたがきれいな足をしていれば短めに、そうでなければ長めに仕上げて下さい。それから黒いハイヒールを一足。ご主人に頼んでベージュのウールのオーバーを買ってもらいましょう。できれば、革のベルトも買って、そのコートをベルトでしめます。(参考

        イヴ・サンローランのミューズたち:I. カトリーヌ・ドゥヌーヴ