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2018年に書いた記事

2011年 僕は結婚2年目で 相当な苦悩の渦中にいた.

これは今から7年前 僕が独立する2年前の話。

当時所属していた株式会社リブセンスは最年少上場目の前だった.

当時僕は嫁の実家の近くと言うことで, 神奈川県横浜市鶴見に住んでいた.

毎日 仕事しかしなかった

土曜日も日曜日も仕事した

俺が上場させてやるんだ

そういう気持ちだった

でも皮肉かな かなしきかな

僕が毎日仕事をすればするほど

新婚生活は直ぐに

色味の無いものになっていった.

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僕は仕事しかしなかった

上場前のベンチャー企業 給与は低かった

前職から年収を100万円以上下げて 僕はその会社に入社していた

今の金じゃない

経験を買うんだ

嫁にはそれは伝わらなかった

ある日 言われた

こんなに安い給料で って

年収1,000万円貰っている人も 普通にいるよ

まるで僕が 社会に価値がない みたいな風に言われたように聞こえた

むしろ俺は社会を変革してやるんだよ 今それをしているんだよ

その言葉は彼女には

届かなかった

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僕は生まれて初めて 屈辱的な思いを経験していた

惨めだった辛かった

とても

軽井沢で挙げた結婚式には 社長役員陣全員来てくれた

リブセンスの未婚現役社員が結婚するのは

僕がはじめてだった

某芸能人もわざわざ来てくれた.

北海道から来てくれた リウマチの難病と闘っている母は

さめざめと

泣いていた.

僕も人目をはばからず 声を出して みんなの前で泣いた

僕の結婚を1番喜んでくれていたヒトは間違いなく僕のお母さんだった。

あのやんちゃで 言うこと聞かずで自分勝手だった潤が結婚するんだ

お母さんのあの日の涙はとても綺麗で

上京する日に見た涙と同じ色をして

僕には眩しく見えていた。

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僕はお母さんを裏切られなかった

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結婚して半年もすると 僕はもう 続かないと思った

でも 北海道のお母さんには言えない

別れるだなんて 口が裂けてもお母さんに言えない.

僕は毎日疲弊していった

ご祝儀をくれた社長にも言えなかった.

岡ちゃん 籍入れたの?

毎日聞かれた.

いや まだですけど, 大丈夫です 直ぐに入れますから.

そのど真ん中にいた時, 同じ会社の同じ社長室にいた青年がいた. 彼は京都大学卒で 本当に頭がキレた.

リブセンスの役員も言っていた.

あいつはリブセンス史上最高に頭が良い と.

その彼と呑んだ時, 彼が僕に言った.

岡山さん 占いって信じます?

え?占い? いや 信じるわけないでしょ笑

いやそうですよね 岡山さんは占いを信用する人じゃないと思う. でも岡山さん 京都にめちゃくちゃ当たる占い師が居ます. こいつは本当に当たるんですよ.

彼は京都大学在学時 大学の仲間うちでその占い師の元に行ったらしい. 彼も元々は占いなんて信用しなかった それが認識が一変することになった.

彼は本当に当たります. 本当に当たるんですよ. 嘘だと思って行って欲しい.

リブセンス史上 最高に頭が良いと言われたそいつがそんなに進める.

その当時 僕の中には どう考えても どれだけ考えても 出ない答えがあった.

ひとつは嫁と別れるかどうか.

もう一つはリブセンスを辞めるかどうか.

最年少上場直前の会社であったが, 僕はもう目的を失っていた.

そもそもその会社に入ったのは, 前職で得られなかったITの知識を身に付けたい という事と, 上場を経験したい という事.

僕が1社目に入社した会社は2000年に上場していた. 僕が入社したのは2006年 実に上場から6年が経過していた.

ある日 1社目の会社で2年目くらいの時かな, その会社の先輩と飲みに行って言われた.

お前は上場を経験してないからな.

なんだその捨てゼリフは と思った?

は?入社年度の差の話か?

僕はそいつよりも全然仕事が出来ると思っていた. 誰よりも成果をあげた. でもその先輩は お酒が入っていたこともあって 僕にそういった.

その人は上場のストックオプションも得ていた.

これは越えられない壁だった.

高校の頃 よく父親に言われたな.

社会に出てないからわからないんだ って.

それも同じ論理.

現実的に不可能なことを言われても仕方ない.

だって社会に出てないもん つうかそんなの時間の問題でしょう と 相応の歳になったら社会に出るし そしたらわかるだろ と それを物理的に不可能な対象に言うのは反則だろ と思っていた.

サラリーマンとして 上場は経験しなければならない.

そうして僕は転職活動をし, 上場フェーズのITベンチャーに絞って面接を受けた.

ドンピシャで当たったのがリブセンスだった.

正直 内定を得た時は 人生あがったな と思った.

リブセンスに転職が決まって 当時のインテリジェンスの社長だった高橋さんに連絡して 転職することになりました飲みに行きましょうって言って 男気の塊 高橋さんはそんな若手のイチ社員だった僕を飲みに連れて行ってくれて,

恵比寿のバーで 高橋さんは僕に お前が行くのはベンチャーじゃないよ ベンチャーって言うのは明日もどうなるか分からない会社を言うんだよ

なんて言ってくれて 高橋さんも笑ってくれていた

僕の人生は順風満帆に進んで行くはずだった

少なくともその時は 僕はそう信じていて 疑わなかった。

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上場直前の2011年 僕は関西に出張を入れた.

当時僕が立ち上げた事業の大阪のクライアントに会いに行くためだった. 表面上は.

実は僕のメインの目的は 京都の占い師に会いに行くことだった.

どうしても出せない答え

嫁と別れた方が良いのか

リブセンスをやめた方が良いのか

大阪で数件アポイントの後 僕は真っ直ぐ京都に向かった.

京都駅近く シャッターが閉まった呉服店街の真ん中に彼はいた.

階段を登るとその親父は座っていた. 長めの黒髪 ヒゲを生やして ハチマキを巻いていた. 年の頃50-60歳といったところか. サムイを来て, 本だらけの個室でそいつは待っていた.

座れ

トイメンに僕が座る

デコを見せろ

右手で前髪をあげると彼はこう続けた

お前の生年月日を教えろ

僕が生年月日を教えるや否や マシンガンの如く その親父は大きな声を張り上げて立て続けに僕に言った

生年月日と名前しか彼には伝えていないままに

彼は 喋り始めた 30分ばかりずーっと ずーっと 彼は喋り続けた 僕のオデコを見ながら

お前は周りの人間を楽しませることが使命だ 周りを明るくするのがお前の仕事だ 決して人前で辛い顔を見せるな そりゃあそうだろ周りを明るくする奴が凹んで居たら周りが元気にならないだろ 兎に角人前で明るくしていろ

お前の色は赤だ 赤いモノを身に付けろ

住むのはなるべく中心に住め 人が集まる場所だ お前の周りにはヒトが集まってくる なるべく真ん中の4F以上に住め

そうして

お前は起業するために生まれてきたお前は必ず起業する 陽の当たらなくなった場所に陽を当てるのがお前の仕事だお前はそれで起業する早くて35歳 今はまだお前に能力が足りない 組織を作る事を学べ そうすればお前は起業できる 例えばここに来るまでに呉服店のシャッター街を見ただろ

例えばそれだ 江戸時代からこの辺りは呉服産業が栄えていた それが今は見る影もない 例えばだが京都の呉服産業を再生させる それがお前がやる事だ

嫁と別れるかどうかを聞いた

親父は言った

嫁とは別れるな お前の嫁は前世でお前に借りがある 前世はお前は中国にいた お前の今の嫁は前世のお前のお母さんだ 父親は女を作って蒸発した お前は長男だった 5人兄弟の長男 お前が一家を支えたんだ まだ15歳だったお前は働いて家族を助けたんだ お前の嫁はお前と別れたら一生結婚しない お前はヒトに合わせられるんだ お前の嫁は自分の世界を持っている お前が合わせてやるんだ

リブセンスをやめるべきか聞いた

今すぐ辞めろ

と親父は言った

いやでも、上場が、、

と僕が言いかけた時に 親父は僕を怒鳴りつけた.

いつまでぬるま湯に浸かってるんだ!!今すぐ辞めろ!!!!

衝撃的だった.

その親父は全て答えてくれた.

その時僕は 29歳だった。

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結局その2年後 リブセンスが東証1部にあがるまで 僕はリブセンスに籍を置いた.

リブセンスを辞める時 嫁とも別れることになった.

その時僕は鶴見にいて, 1人暮らしをしようと

家を探して.

僕の原点のひとつだった西早稲田に戻ろうと思った.

まだリブセンスが雑居ビルに入っていた頃.

インテリジェンスを辞めて 僕はリブセンスから徒歩3分のところに引っ越した.

思い切り働こうと.

平日でも夜中の2時 3時までオフィスに居たこともあった. 家に帰って3-4時間寝て また出社して.

夢と希望に溢れていたあの時を思い出そうと.

引っ越しの時 僕は京都の親父に電話した.

お久しぶりです.

実は嫁と別れることになっちゃいました.

そうか それは良い. お前は新しい道に行け.

家を探しているんですが 新宿に住もうと思うんですが どうでしょう.

新宿はいいぞ. ど真ん中だ.

それからは 何か 自分だけでは答えが出せないことがあると その親父に聞こうと思っていた.

あいつ なんでも知っているからな.

リブセンスを辞めて 西早稲田に住んで リクルートで働き始めた頃, 孟友山が死んだと聞いた.

あの京都の親父.

ネットで情報がでてくるだけだから真意はわからない.

ただ 親父が言っていたこと.

あれは 孟友山の遺言だったんだなと.

それまでは赤色は好きじゃなかったけど 今は赤い色を好んで身に付けるようにしている

人前で辛い顔も見せないようにしている なるべく

家も西早稲田の次は 麻布十番に来た

あいつが4F以上に住めと言っていたから メゾネットの4Fと5Fに住むようにした.

今は一旦 麻布の家を引き払って 気づけば日本を旅したりしていたけど やっぱり東京に戻って来た.

東京の拠点は麻布十番だな.

4F以上で.

赤い靴を履いて 赤いソファーに座って.

あの親父の遺言だったからな.

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