見出し画像

Just for YOU: トイストーリー4のWoodyは僕であり、あなただ

長くお伝えしてきたトイストーリー4の考察もあと2回。前回のBo, Buzzと続き、ようやく主人公の登場。

Woodyの物語

トイストーリー4はWoodyの物語だ。これまでもそうだ、と思うかもしれないが、これまではWoodyを通した「Toy Story(オモチャの物語)」だった。今回は、正真正銘「Woodyという個人」の物語だ。Woodyの4における存在は「親」「老人」そして「人としての幸福」。これはそれぞれForky、GG、Boとの関係性で描かれるメッセージだ。
Bonnieに必要とされなくなったWoodyはもはやオモチャの中で主役ではない。しかし「オモチャは子供に愛される為にある」というこれまでの価値観を大事にする余り、暴走するが、その愛が故に、Bonnieを通じてForkyを産み出す。ForkyはWoodyの子供だ。自分はゴミだというForkyの面倒を見、教えを諭す姿は完全に親子そのもの。その愛情を通じてForkyはまともな意志を持ったオモチャになり、Woodyはそれを通じてオモチャの代替わりつまり「オモチャとしての引退」を進める事になる。
WoodyにとってForkyは子供だが、Bonnieも子供だ。Bonnieの幸せの為に奮闘する姿、Bonnieの幸せの為に自分のオモチャとしての価値であるボイスボックスを手放す。

自己犠牲をする姿は尊いが、一方で「それはBonnieの為ではなく(失ったアイデンティティを取り戻したいだけの)自分の為だ」と言われハッとする。

Bonnie(子供)の役に立つ事だけが自分の価値だと思っていたが、Bo達の自由な生き方、家や店の外の広い世界、そして何より自分のオモチャとしての役割は終わっていると悟った事により、新たな生き方を決意する。それは「自身の幸せを追求する」事。

このシーンは、個人的な想いに通じる所がある。本人に確かめてはないが、僕の母親は一時期「子供の成功が自分の幸せだ」と思って子育てをしていたように思う。しかしその根源は「自分が失ったアイデンティティの為」のように僕には思えた。子供を産んだために自分自身の夢や自由が止まってしまい不本意ながら専業主婦をした事に思う事はあったはずだ。子供の為に熱心な親が悪いわけではない、しかし当の子供だった僕にとっては、良い大学に行って欲しいとか、成功してほしいとか、それは「あなた(僕)の為と言っているがそれは自分(母)の満足の為だろ?」という想いがずっとあった。自分の幸福を人生に乗っけてこられる重み。自分がしたい事が制限され、曲げられる窮屈さに、反発したのが丁度18歳くらいだった。自分の存在意義をかけて必死にBonnieの為に駆け回るWoodyの狂気的な情熱は、愛情の形の一つかもしれないが、子供にとっても、親にとっても苦しい依存関係だ。

Boの存在はその「共依存の呪い」から引き離す役目を果たす。「子供(Bonnie)の為の自分」から「自分の為の自分になったら?」という気持ちを込めて、高い場所から世界を眺める2人。

このシーンは2回ある。アンティークショップのライト、そして2回目は外の遊園地の灯り。場所が、より広くなっていく事で2人の認識を表現している。

このトイストーリー4はトイストーリーシリーズを見てきた大人達へ向けた映画だ。当時の子供達は25年経って親になり、もしかして孫ができ、環境や考え方も変わり、引退もしているかもしれないそういった多様な大人達へ向けて、それぞれが「自分の物語」としてWoodyを見られるよう、3人のキャラクターとの関係性を通じて描いている

親であっても、老人であっても、自立を求める個人としても感動できるという、よ、く、で、き、て、る、なぁぁぁぁぁという脚本に、僕は100%4肯定派に寝返ったのである。

ここで改めて、上のWoodyの画像を見てほしい。今回のメインビジュアルの一つだが、よく見るとカウボーイ式の「さよなら」のポーズなのである!!!切ない。

そして最後、あの名セリフ、本当はこうなんじゃないの!?という深読みでこの感想シリーズを終了します。

サポートされたら、俺はその倍額を寄付する。倍返しだ。