19.母の絵赤いセーター-1

9)写真家としてのデビュー

娘の誕生を撮った写真を見ることで、私は両親と会話するような感覚を持つことができた。

そして、長く忘れていた両親の自死を思い出した。

生と死。

私にとっての充足と欠落の出来事を1つの塊として見たい。

自分の人生を物語としてまとめたいという欲求が膨らんでいった。

それからは過去の写真を見返す、今の家族写真を撮る、プリントした写真の束を作品として人に見てもらう。

という一連の制作サイクルを自分のために行うようになった。

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新しい家族ができて子を授かり、やっと両親を振り返ることが出来るようになった。

両親から貰ったものを確かめて、思い出して、自分は新しい家族になにができるだろうと考える。

答えは過去にあって私の中にある。それは私の中に両親がいるということだ。

そう考えると生きていて良かったなと思う。


写真家として現時点での全力を見てみたい。

2012年の秋、35歳のときに「手紙」というタイトルで作品をまとめ、(株)ニコンのコンペに出した。

このコンペに入選すれば、東京と大阪で写真展ができる。

12月には入選の知らせが届き、2013年6月に初めての写真展を行うことになった。

写真展「手紙」は父の絵、家族アルバムの写真、私が撮った写真で構成し、私から両親に宛てた手紙とともに展示した。

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父が自死を前にして作った家族アルバムを見た時、21歳の私が思い描いた作品。

会場には自分の人生の断片が写真になって並んでいる。

知らない人が私の作品を見て涙することもあった。

伝わっている。

私の作品を見た人が、自分の体験とリンクさせて見てくれている。

この写真展で初めて作家としての評価を受け、2014年に(株)ニコンから若手の年度賞である三木淳賞を受賞した。

家族が私を作家にしてくれたんだと思う。

受賞後はこれまで以上に写真にのめりこんでいった。

作家を生業として生きていきたい。

家業の合間を見つけて家族や風景の写真を撮っては、作品を編み上げる作業を続けた。

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