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東京七福神めぐり

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東京近郊の七福神巡り。どんどん歩いて、何かを発見したいな。
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東京七福神めぐり3 帝釈天の参道が賑わう 「柴又七福神 」

東京七福神めぐり3 帝釈天の参道が賑わう 「柴又七福神 」

葛飾の柴又は、映画「男はつらいよ」で下町の代名詞としてその名が全国に広まった。この葛飾一帯は、東の江戸川と西の中川に挟まれ、水利と平坦地を活かした「江戸の米蔵」として江戸百万人の生活を支えた田園地帯であり。題経寺(柴又帝釈天)の門前町としても古くから知られた。柴又七福神は、ここを含む七つの寺をのどかに行く。

七福神の毘沙門天を祀る題経寺は、寛永六(一六二九)年の創建で、日蓮上人が自刻したと伝わる

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東京七福神めぐり・その二「浅草名所七福神」riv

東京七福神めぐり・その二「浅草名所七福神」riv



浅草寺の門前町として江戸庶民に愛された浅草は、江戸湊、品川湊と並ぶ江戸物資の集積地、石浜湊がある港町でもあった。特に武士の給料である米や食用米は、ここから蔵前の蔵に納まり、それを換金する札差の繁栄とともに多くの職人や人夫が集まった。

見や参拝、猿若町の芝居見物と、浅草は江戸随一の繁華街となり、借景が筑波山からスカイツリーとなった今も、国内外からの観光客で賑わう。

浅草名所七福神は、それぞれ

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東京七福神めぐり・その一「谷中七福神」

東京七福神めぐり・その一「谷中七福神」



七福神信仰は、室町時代にはすでに確立していたが、七神を巡る形が定着したのは江戸時代になってから。その中でも谷中七福神は当時の風俗・文化などを綴った『享和雑記』(1803)にもその原型が記され、江戸東京で最も古い歴史を持つものだ。

その道筋を道灌山の先の東覚寺から現在の西日暮里、日暮里の西側へと辿ってみる。この辺りは寛延(1748~58)の頃から桜やつつじが植えられ、のどかな農村風景と寺院の庭

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