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【文字】もしも、歴史的仮名遣いを使っていたら?

《言霊、文字魂。それから、
「歴史的仮名遣い」をやめた呪いはあるのでしょうか?》

言霊はある。
よくそう見聞きしますね。
では、文字魂はあるか?

『山月記』で有名な中島敦の
デビュー作は実は『文字禍』。
文字には魔物が付いている、
という話でした。

古代ペルシャ時代のアッシリアで、
ある学者が、
文字の妖精「文字禍」がいることを
突き止め、王様に進言するも、
相手にされず、その後、
研究家は文字禍に呪い殺される、
そんな短い小説でした。

文字には、それに籠る、
妖精や魂はあるでしょうね。
言霊があるように。

1946年まで、日本人はみな
「歴史的仮名遣い」の文字を
書いてたと知り、ビックリしました。

本も雑誌もみな、歴史的仮名遣い。
読み辛そうだなあ、
いや、それは習慣だから、
辛くはないか。

さて、本題です。
1946年、戦後すぐ
「国語審議会」という機関が、
当時の日本は古代語に基づく文字を
使っているのは文化的に良くない
という理由で、
「歴史的仮名遣い」を廃止しました。

その後、私たちが今使っている
「現代仮名遣い」になりました。

バックには、アメリカを
メインにした占領軍がいて、
指示を出していたのでしょう。

日本の文学者は何人か、
この時、猛反対しました。
三島由紀夫も、福田恆存も、
大岡昇平らも。
この三人は、比較的保守的な
作家ばかりですから、
信条的に大きな問題だったでしょう。

彼らが新しい仮名遣いを反対した
根拠や理由は、
古くから受け継いできた日本文化が
衰退する…みたいなことでしょう。

あくまで「たられば」ですが、
歴史的仮名遣いを無くして、
戦後日本は、
どのように変わったでしょうか?

もし今もまだ日常生活で
歴史的仮名遣いだったなら、
どんな違いができたしら?

日本文化は衰退しなかった?
それとも、文字なんて
どっちでも結局は一緒だった?

ただ、ひとつ分かるのは、
まだ歴史的仮名遣いが
今もなおずっと「存続」していたら、
私たちは、
明治や江戸、室町あたりの
歌舞伎や古文書や能などを、
今よりは、スラスラと抵抗なく、
ハードル低く親しめたにちがいない、
ということは確か。

戦前の日本文化や江戸文化が、
アメリカ文化より敷居が高いのは、
歴史的仮名遣いで
今の我々には読み辛いからです。

私は、生まれたのが
もうつい最近(笑)なので、
現代仮名遣いで育ったから、
歴史的仮名遣いは読み辛いし、
戻して欲しいとは思わないけれど、
敗戦後に生きていたなら、
文字の「改革」は
もっと慎重に議論して決めて
欲しかったかも知れない。

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