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【文学】村上春樹と共に生きた時代があった!?

私が東京に来た1987年(18才)は、
村上春樹『ノルウェイの森』が
ハードカバーで発売された年でした。
和歌山のど田舎から来た人間の目には、
ピカピカ光るカバーとオビが眩しかった。

大学一年では、名門サークルに入り、
思い切り、落ちこぼれとなって
傷ついてしまった。

だから、2年めの4月には、
再起を図って、テニスサークルや
広告研究会に入って、
「キャンパスライフ」をエンジョイ(笑)
してやろうと、6つくらいの
サークルに入りました。

そのうち、文学創作サークルにも
片足を突っ込みましたが、
そこが出してる同人誌を読んだ時、
衝撃を受けました。
たぶん、部員10人くらいが
それそれ10数ページの短編を
寄せていた訳ですが、
全員、プチ村上春樹(笑)!

冒頭のくせから、
出てくる人物の奇妙さまで、
みんな村上春樹の影響を受けた、
いや、影響どころじゃなく、
もう完全に村上春樹カンコピ?
ていうのでしょうか!?
みんな個性的な部員だったのに、
なあんだ、中身はナィーブだな、
めちゃくちゃ春樹に染まってるやん?
って衝撃を受けた。
私は入って2ヶ月で止めた記憶が。

でも、私も、髪の毛から足の爪まで
どっぷり村上春樹に染まって
人生にはいつも春樹の本があった人間。
何か書いてみろって、
あの時、言われたら
やっぱり、春樹の影法師しか書けない。
村上春樹から、一皮剥けた、
新しい作風を見いだすのは難しい。

村上春樹自身は、
日本文学が苦手で、
10代から海外の文学や音楽に
どっぷり漬かってたからこそ、
デビュー作があんなに文壇離れした
新しい時代の文学を書けたんですね。

もしも村上春樹が青春時代から
日本文学にどっぷり親しんでたら、
ただのありふれた文学青年にしか
ならなかったろうなあ…。

村上春樹がどれくらい
デビュー当時、日本文学の
毒から無縁だったか、というと、
『風の歌を聴け』を
途中まで日本語で書いたけど
思うように書けず、それはボツにし、
自分らしく書けるよう、
初めから英語で書いてみて、
自分らしく書けるようになった、
という有名なエピソードがあります。

次の時代を担う新しい作家は、
きっと、村上春樹の影響からは
相当にフリーハンドな場所で
個人的資質を培った人が
登場してくんでしょうね。
決して、村上春樹で育ってきた
人間からは、登場はしないでしょう。

最後に。
村上春樹を読んで良かったのは、
人生の孤独を肯定してもらえた事。
孤独の良さも教わった事。
村上春樹は孤独な作家だ…。

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