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【観察】人間観察、ウォッチングは何のたしになるのか?

人を見るのが好きです。
顔、ファッション、しゃべり方、歩き方、
ペットの犬へのキスの仕方、
カップルなら付き合って何年めか?
パソコンの打ち方の慌ただしさ、
堂にいった孤独さ、
喫茶店でのそうした人間観察は、
飽きることがありません。

それから、もう少し大きく、
今の時代の傾向を見るのも楽しい。
時代だけでなく、社会の傾向も
見ているのがとても楽しい。

人間の傾向、
時代の傾向、
社会の傾向。
それらをずっと観察するのは楽しいし、
これからも人間観察や時代観察は
やり続けたいと思います。

でも、それを誰でも職業に
繋げる訳ではありません。
有名な一部のコラムニストだけが
人間観察、時代観察を職業にできる。

それでも、
私だって観察は止めたくない。続けます。
得にもならないけれど。
利益にもならないけれど。

周りには、観察してばかりで、
何がどうなる訳でもなし、
無駄な行為ではないか?という
批判めいた空気を感じてきました。

でも、先日『社会学の教科書』という
翻訳本の目次を立ち読みしていたら、
ピカッと光がしたんです。

観察し、リサーチし、分析し、分類し、
最後に、それら観察の蓄積から
新しい希望の青写真を描き、
実現すればいいんだ、と。

『社会学の教科書』には、
観察の最終ゴールは
「社会学的な希望の実現性」にあると
書いてありました。

そうかあ。なるほど~。
今まではただ観察して楽しんだり、
世をはかなんだりしてきましたが、
そんな観察で見つけた蓄積を元にして
新しい希望的な社会を自分なりに見つけ、
実現に向けた努力をしてけばいいんだ?

観察、ウォッチングが
単なる無駄ではなかったようです。
ああ、良かったあ。

さあて、私流の新しい希望を
見つけて行きましょうか。


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