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【差別】意識的な差別、無意識な差別、どちらが酷い?

昨年3月、
経済誌「週刊ダイヤモンド」で、
ある差別表現をうっかり
見出しにしてしまい、
謝罪に追い込まれました。

最近は自分の習った教科書の知識を
信じていたらダメですね。

「週刊ダイヤモンド」では、
「士農工商・情報・物流」と
まるで、社会の最底辺業界として、
情報産業と物流産業を揶揄した。

これは「士農工商えた非人」として
江戸時代の身分制度を例えた、
昔は教科書に出ていた言葉遣いが
根底にあるんでしょうね?

この「士農工商・情報・物流」と
いう言葉を書いたのは、
ダイヤモンド編集部の
副編集長だそうです。

さすがダイヤモンド、
頭がいい人たちだな。
ふだんから、
「士農工商・○○」なんて
教科書フレーズ、
いい慣れてるんだあ?

だから、経済誌って胡散臭くて、
どうも読む気がしないんですよ。

雑誌って、
最後に「校了」する時は、
そのページ担当編集、
その編集の直の上司、
副編集長、そうして最後に
編集長が総出でチェックして、
全ページを見ていきます。
つまり「士農工商・情報・物流」
という言葉使いを、印刷する前に
半端なインテリたちがしっかり
見たはずなんです。

で、誰もがその言葉を
OK、問題なしと判断してスルーし、
印刷所に渡してしまった訳で。
ダイヤモンド社ともあろう
インテリの集まりが、、、。

それがまた差別に繋がってる、
ということには気づかなかったか?
たぶん差別するつもりはまさか
無かったんでしょうに。
批判が集まってすぐに、
むにゃむにゃした謝罪文を
サイトに掲載しました。

インテリ達は教科書で習った
歴史用語を使いながら、
今どきの物流業界の惨状を
例えることが出来て、
なかなか良い特集になったな、
なんて思ってたに違いない…。

そして、そこが、
差別が生まれる瞬間でした。

おとしめるつもりがない所から
差別は案外、始まります。
周りが日々当たり前にそれを
口にしてたら、
罪悪感も生まれませんからね。

意識的に差別する場合、
例えばヘイトスピーチも
ひどいですが、
無意識に差別してしまう場合も
また、ひどい。
一体どちらがひどいんだろう?

追伸:「士農工商えた非人」、
という歴史用語は、
今現役の教科書には
採用されてないそうです。

なぜかといいますと、
士(武士)の次には農民が身分が高く、
その農民の下に工(職人)が来て、
さらに職人の下に商人が来て、
というような段階式の身分制度自体、
なかったからだそうです。

今のところでは、
武士の下に、
農民や職人や商人が一斉に並ぶ形で、
支配されていたらしいことが
わかってきました。

「士・農・工・商」なんて、
全然ちがっていたんですね。
サムライがトップとして支配して
いたのは、同じですが、
「農工商」はみな身分的には
同じ高さ?低さ?だったんですね。

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