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【読書】純文学は、ツッコミどころが満載だ?

今日はまず素朴なクエスチョンから
始まるお話を。
井伏鱒二の代表作「山椒魚」は、
そんなに面白いかなあ?という
クエスチョンです。

そりゃあ、気づいたら、
岩屋から出られなくなる山椒魚は、
悲しくてユーモラスですよね。

でも、これが同人雑誌で発表されるや、
作家たちから絶賛され、
井伏鱒二は栄光あるデビューを
飾ることになりました。

特に、後に弟子入りする
太宰治は「山椒魚」を読んで
「坐っておられなかったくらいに
興奮した」と書き残しています。

うん?
太宰は「山椒魚」を読んで
衝撃から思わず立ち上がったらしい。

立ち上がるほどに衝撃?
面白すぎて立ち上がるほど?

私は、この「山椒魚」、
それなりに面白いと思いますが、
立ち上がるほどかというと、
そこはちょっと微妙なんです…。

これは私の感覚が麻痺してるから?
あるいは、
作品が描かれて何十年も
歳月が経っているから、
面白さの度合いが麻痺してるのか?
皆さんはいかがでしょうか。

ちなみに、
井伏鱒二さんは
「黒い雨」は最高です。
原爆小説とか、戦争小説とか
固いことは言わず、
物語として楽しめます。

さて。話を戻します。
短編「山椒魚」は
果たして太宰治がそんなに
絶賛するほど面白いのか?
強気の異説を唱えているのは、
作家・佐藤正午さんの書いた
「小説の読み書き」、
岩波新書です。

「山椒魚」は面白いことは面白い。
そのことには異論はありません。
ただ、井伏鱒二には
もっと面白い作品がまだまだ
あるんですよ。
歴史に材を得た小説は
たくさんあります。
でも、国語では、
「ジョン万次郎漂流記」も、
源平物語の「さざなみ軍記」も
出て来ません。
面白いんだけどなあ。

いわゆる純文学には、
実はツッコミどころが満載で、
徹底的に精読すると、
論理が飛躍してたり、
勝手な理屈が涼し気に
展開されていたり、
女子の気持ちは
余り書かれてなかったり。

国語の授業や教科書のせいで、
すっかり純文学は権威づいて
しまってる一面もありますが、
佐藤正午さんのように、
自分の感覚を主軸に読んでいくなら、
純文学はもう少し違った一面を
見せてくれるんですよね。
志賀直哉だろうと、
島崎藤村だろうと、
中島敦だろうと、
ただの人間なんですよね?

「小説の読み書き」という本には
「山椒魚」以外にも、
「雪国」「暗夜行路」「痴人の愛」
「鼻」「人間失格」「銀の匙」
「こころ」「友情」「夏の闇」など
純文学、24作品が紹介され、
国語の授業とはぜんぜん違う、
新しい?読み方を見せてくれます。

私自身は、もともとは、
国語の授業で形成された
「偏見」にかなり影響を受けて
育ってしまったので、
佐藤正午さんのような、
地に足がついた、自立した、
でもユーモラスな読み方が
出きる人は本当に羨ましいし、
見習いたいと考えます。

とはいえ、
佐藤正午さんの視点を
マネばかりしていたら、
それはそれで、
独立したことにならない。

純文学には、
自分の感覚を大事にしながら、
リスペクトしながら、
ツッコミどころも見逃さず、
深く楽しく柔らかく
お付きあいしていきたいですね。

作品を自分はどう読み、
どう感じるか、それを大切にしながら、
学校で刷り込まれた権威は
捨て去りたいものです。

追伸
太宰治が「山椒魚」を読んで、
面白すぎて立ち上がったと書いたのは
もしかしたら、太宰特有の
リップサーピスかもしれませんね。

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