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【私がアナウンサーを目指したきっかけ】

フリーアナウンサー、ナレーターの壽老(じゅろう)麻衣です。

福岡県のRKB毎日放送の局アナを経てフリーとなり、現在は東京キー局関連会社の事務所に所属。主にTBS制作の番組やイベントなどにアナウンサーとして携わっています。

前回に続き、こちらの記事でも、よく聞かれる質問について書いてみます。

「アナウンサーを目指したきっかけは?」

少し長くなってしまうのですが、ご興味がある方やお時間がある方は、よろしければご覧くださいね。


子どもの頃、人前に出て喋るのは苦手でした。


子どもの頃、私は人前に立って喋ることが得意な人間ではありませんでした。むしろ、苦手だったくらいです。

皆の前で発表するものがあった際、先生から「もっとハキハキ話しなさい。」と、ぴしゃりと注意されたこともありました。(苦笑)

あのときの私が、喋ることを生業としている今の私を見たら、驚くと思います。

でも、高校生くらいから、だんだんとアナウンサーの仕事に興味を持ち始めたのです。

きっかけはアナウンサーとして働く二人の親戚の存在

私がアナウンサーに興味を持ったのは、放送局のアナウンサーとして働く二人の親戚の存在があったからです。(それぞれ別の局です)

近い場所に、努力をして夢を叶えた二人がいたからこそ、アナウンサーという職業を身近に感じ、その仕事に興味を持つ大きなきっかけとなりました。

そして、調べてみると、東京キー局が運営しているアナウンサースクールがある、ということを知ったのです。

その業界がどんなものなのか見てみたいという気持ちがありましたが、果たして私にその可能性があるのか…
悩みましたが、そんなときに、友人から、「向いていると思うよ」と背中を押され、スクールへ行ってみることにしました。

アナウンサースクールへ。そこから、運良く学生アナウンサーに。

友人に背中を押され、大学2年生、19歳のときに、アナウンサースクールの門を叩きました。

滑舌練習や声の出し方など、基本的な技術を学んだり、同じくアナウンサーの仕事に興味を持つ人たちと仲良くなったり、そこでの時間は本当に充実していました。
(そのときのメンバーは今でも集まるくらいの仲です。)
最初は声が全然出ず、先生から厳しくご指導いただいたのですが、自分の声が少しずつ変わっていく感覚も楽しかったです。

そのうち、スクールを通じて、某番組のオーディションを受けることになりました。
学生アナウンサーとして、ニュースなどを読む仕事です。

結果、TOKYO MXで朝に放送されていた、タレントのSHELLYさんがMCを務めていた情報番組へ出演することが決まりました。

学生アナウンサーは5人起用され、それぞれが一曜日を担当。
私は火曜日の担当になりました。

喜んだのも束の間、直面した実力差。


5人の学生アナウンサーの中で、私は一番年下の大学2年生。周りは大学3年生や4年生で、就活でアナウンサー試験を受けている真っ只中の先輩方でした。
皆さん、学生とは思えないほどのアナウンス技術と、素敵なお人柄で、それぞれアナウンサーとしての内定も得るような実力のある方々です。

そんな先輩方と同じ場所に立たせていただけるなんて嬉しいなあと喜んでいたのですが、オンエアを終え、録画していた自身のオンエア映像を見たり、他の曜日の先輩方の映像を比較したりしてみると…自分との実力差を痛感しました。

どう聞いても、私のアナウンスが、一番下手だったのです。
生放送で、原稿を読むことにいっぱいいっぱいな様子が、画面から伝わってきました。

対して先輩方は、落ち着いた様子で、学生ながら、とても聞き取りやすいアナウンス。しかも皆さんアドリブも上手で、MCのSHELLYさんと楽しいトークも展開していました。

そんな出来の差に、だんだんと、自分への悔しさがこみあげてきました。

どうして他の曜日のアナウンサーにできることが、私にはできないんだろう…。

そして、このままの状態ではいたくないと思いました。

その後は、スクールでのアナウンスレッスンはもちろんですが、レッスンがない日もスクールへ行き自主練をしたり、ニュース読みを先生に見ていただいたり。
一つずつ、ゲームをクリアするような感覚で、アクセントや発声などを勉強しました。

良いアナウンスができるようになりたいと打ち込めたのは、私の背中を押してくれた人や、番組に呼んでくださった人達の気持ちに応えたいという気持ちもありました。

私自身は、当初、この仕事に向いているかなんてわからなかったですが、私を見てくれている第三者の人には、客観的な私が見えているはず。

だからこそ、その人達の言葉を信じてみたい、そしてせっかくチャンスをいただいたのだから、しっかりと努力を尽くしたいと思ったのです。

新たな目標


そして、あのときはあくまで学生アナウンサーという立場としてではありましたが…視聴者の皆様に情報をお届けするアナウンサーの仕事を、とてもやりがいのある仕事だと感じました。

その経験を通じ、学生アナウンサーという肩書きの、いわゆるアマチュアの立場ではなく、いつかはプロのアナウンサーとして、しっかりとアナウンス技術を磨き、言葉を届けていきたいと思ったのです。

その後、学生アナウンサーを経て、福岡のRKB毎日放送や東京のTBSなどでご縁をいただき、仕事をしてきたことなどは、また違う記事にアップしますね。


長くなりましたが、以上が、私がこの道を志したきっかけです。

もし、人前で喋ることに関して、昔の私と同じように苦手意識を持っている人がいたら、私の過去の経験からも、「その道のプロから学び、正しい方向で、少しずつでも努力をすれば、絶対に声や苦手意識は変わっていく」ということは、ぜひお伝えしたいです。

この文章が、誰かのお役に立てますように。

お付き合いいただき、ありがとうございます。

壽老麻衣

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