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まつげには肥料をあげないほうがよい

肌色のクレヨンを持って、1kの部屋の隅にいる。というのも、掛け布団の下、足先にそれが触れたからで、親指と人差し指でそれをつまんで右手で受け取り、それが肌色のクレヨンだったからだ。

私はそれを知らない。普段、絵など描かないし、クレヨンを最後に買ったのは小学4年生のときだと記憶している。ともかく、朝7時15分、開けっ放しのカーテンの向こうから燦々と日が射していた。

蝉の声が聞こえる。さっきまで恐ろしい夢を見ていたような気がした。布団をめくって起き上がると寝汗をびっしょりとかいている。やはり悪夢を見ていたのかもしれないな、と思いながら布団をめくると、子どもが絵を描いていた。まだ5、6歳くらいだろうか。多色のクレヨンを使って、何か赤い絵を描いている。

「あついね」

と彼は言った。私は布団を出て、冷蔵庫に向かいながら「うん。8月だもん」と応える。

「8月だから、あついんだね」
「いや、そんなわけじゃないけど」
「夏だから?」
「そうだね。夏だし、雨上がりだからかな」

冷蔵庫から取り出した麦茶を、2つのコップに注ぐ。ダイニングテーブルに置いて、テレビを点けた。画面の向こうでは、白髪のコメンテーターが「星一徹だって、今どきちゃぶ台ひっくり返さないですよ!」と喚いている。

「お茶、飲む?」
「ううん、いらない」

子どもは掛け布団にくるまったまま、そう言った。私は1つ目の麦茶をグイと飲み干して、2つ目のコップに手をかける。

「それさ、何描いてるの?」
「うよくしゅ」
「え?」
「うよくしゅ、野球の」
「ああ、右翼手かぁ」
「お姉さんは?」
「あたし? 何も描いてないよ」
「ふうん」

「だからぁ! 四捨五入はできないんだって!」とテレビで司会者が怒鳴っている。しゃわしゃわと、蝉が鳴いている。クーラーの風が前髪を揺らして、またすこし眠たくなった。

「きみ、なんで私の布団にいるの?」
「おれのだから」
「え?」
「おれのふとんだから」
「そっか」

私は2つ目の麦茶を飲み干して、フゥと一息ついた。眠たくてぼーっとした頭のまま、ふらふらと玄関に向かい、スニーカーを履く。出ていくときに、テレビから「要するに瓦の硬さを知らないんですよ、日本は」と聞こえた。

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