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澁澤龍彦やばい。最期がやばくて龍子のあとがきがやばいので、結果やばい

澁澤龍彦はやばい。何がやばいって、人が避けるものを好み、真面目に追求していく姿勢がやばい。ちゃんと変態。丁寧な変態。シュルレアリスムやらエログロやらSMやら少女偏愛やら……あらゆる秘宝に首を突っ込んでは徹底的に研究するフロンティアスピリッツがやばい。これらのバックボーンにあるのが「フランス文化」ってのもやばい。もはやフランスってやばい。

ほんで若い時の写真がコレ。(出典: http://perimari.gjpw.net/majick/20150525 中央公論社)
出典を先に書くのやばい。無駄すぎる。

スーツにサングラスの澁澤。「逃走中」の空き時間でやばい。あと2人の温度感がまるであってないのもやばい。澁澤「この前、パリの金髪美女がさ〜」。三島「黙れ貴様、日本男児ならば大和撫子を抱け」みたいな。やばい。

あと澁澤の前に置いてあるのコレまさかiPhone 5? スマホ自作して先取ってるのもあり得そうだからやばい。

まぁやばいやばい言ってるが、別に否定したいわけではなく、むしろ私は長らく彼のファンだ。去年は神保町で開催された澁澤を語りながら酒を飲む会にも末席で参加した。おじさんが集まって18禁の会話を繰り広げてるのを見て「これいま警察きたら捕まるな〜」とか思いながらウイスキーをチビチビやっていた。みんな創作はもちろん、やばいエッセーに現れるその独特でアングラな視点が好きなのだ。

澁澤最期のエッセイは、美しすぎるあとがきに震える

そんなやばい澁澤龍彦・最期のエッセー「都心ノ病院ニテ幻覚を見タルコト」を久しぶりに読んだ。「闘病記なんてクソだと思ってるので、そんなことは書かぬ。ただ病院にて、人生で初めて幻覚を見たのでお知らせでーす」みたいな書き出しで始まるこの作品は、喉頭癌に倒れて声帯を失った澁澤が今際のベッド上で執筆・集成した作品だ。「本来は生きている間に出版予定だった」という事実が、彼の死を一層壮絶なものにしている。

その内容もやばい。1話目から早速看護婦のミスジャッジで麻薬成分の入った薬を投与されて、幻覚を見まくる。なんというか"グニャグニャした"掴みどころのない文章が妙でクセになる。気付いたらつんのめるように読んでしまう中毒性がやばい。前のめりになるあまり、気づいたら鼻先が本の中に沈み込んでいる。読み進めていくうちに書籍が沼みたく柔らかくなって顔が完全に埋まって、澁澤ワールドに全身が侵入してしまい、魔界みたいな迷路に迷い込んでうろうろさまよっている間にもう完全に出口も入口も見失って、読み終えた際にはすっかり元の生活に戻れなくなる。やばい。何言ってんだ。

2話目以降もいつもの澁澤節がさく裂。触れにくいテーマに自論をぶつけていくスタイル。誰ひとり寄せ付けない。ラーメンズに憧れる若手芸人ばりに尖りまくっててやばい。

しかし読者としては「澁澤の最期を観たい」というニーズで「都心ノ病院ニテ幻覚を見タルコト」を手に取る。その意味で、本当の見どころは本編ではない。なぜならこれは澁澤最期のエッセイでありながら、マジで闘病記などはなく、いつも通りの平常運転で語られるからだ。いつもの澁澤を読みたい人は本編で満足するだろう。しかし「澁澤の最期」を読みたい人はおそらく消化不十分でもやもやするはず。あれ、マジでそのままいくの?って感じを覚える。とても死を眼前に控えた人物の文章とは思えんほどの平常運転なのだ。

ではどこで澁澤の最期が語られるのか。あとがきである。しかも書いているのは澁澤と18年連れ添った妻・龍子なのだ(ちなみに澁澤はバツイチで前妻は天才少女・不滅の少女こと、作家・矢川澄子)。そのあとがきはまぁ、恐ろしいほどの名文でやばい。

「寂しい」「悲しい」と書かないこその破壊力

澁澤龍子はもともと芸術新潮の編集長だ。その文才は「やばい」の一言。客観的な事実情報と、主観的な”想い”のバランスがとてもよく、読んでいるうちにふわっと泣けてしまう。この”ふわっと”泣けるという感覚が新鮮。というのも直前まで読者は最期の龍彦の文を読んでいるわけだ。まだ気持ちは澁澤龍彦にある。そこに龍子の肩書で「あとがき」とくる。その一文目がコレだ。

澁澤龍彦の書斎で、彼の愛用した机に向かい、澁澤の最後のエッセー集『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』―あとがき―の原稿を書いています。

ここでふわっとクるのである。この一文からは「澁澤はもういない」「まだ文机が書斎に残されている」「先立った夫の遺作を書いている」など、いろんな情報が入ってくる。龍子は「さみしい」と書いていない。しかし確かに文に寂しさや愛しさが存在している。文章はこう続く。

机の上の筆立、地球儀、眼鏡、自作のための資料本(中略)机の後ろの本棚には、サド全集やエロティシズム関係の書物が並び、机の前方にはコクトーやジャリ等々の原書群、机の周りには夥しい数の辞典類。今すぐにも彼は仕事を始める事ができるでしょう。

10行にわたって澁澤が好んでいたもの、部屋の様子を淡々と紹介している。そしてその事実の紹介は部屋の外まで及ぶ……。

樹々を通りぬけてくる風も、その匂いも以前のまま、彼が大好きだったほとどぎすや、とらぎすも変わらずよく鳴きます(中略)親しい方をお招きして眺めた牡丹桜も春に爛漫の花をつけます。何もかも二年余り前と変わりません。

そして改行され、一行……

しかし澁澤龍彦は、もうおりません。

とくるのだ。二年余り前に澁澤が死んでから書斎のなかも季節のうつろいも変わらないが、そこに澁澤だけがいない。ここに龍子夫人の感情は一切ない。しかし猛烈な寂しさが、猛烈な未練が伝わってくるのである。

それから澁澤が旅立つまでのこと、闘病中の様子が語られる。読めば読むほどに澁澤夫妻の仲の良さが伝わってくる。互いを敬っていて、共通のものを好きで、二人のセンスが通っている様子が克明に描かれている。あの変態・澁澤龍彦と18年も寄り添えたのは共感、また共鳴にこそあったのだな、と深く思わされる。そして末文はこう締めくくられる。

澁澤龍彦を愛して下さった皆様の心の中で、澁澤がいつまでも生き続けてほしいと願っています。

いわゆる「よく聞くセリフ」だ。しかし末文までに澁澤の文学を紹介し、澁澤の趣味を、部屋を、好きなものを山ほど紹介したうえで綴られるこの一文に、何と力があることか

あとがきに、これだけの愛を感じたのはあとにも先にもこの作品だけかもしれない。あ、もちろん本編でも澁澤のやばさは顕在。しかも感染力が高く、文字を追いかけるほどに自分の脳もおかしくなり、いつのまにやら混乱して前後左右が分からなくなり、サドを読みふけつつ部屋に西洋人形が増えるようになるので、決しておすすめはできない。

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