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先生が学校を卒業する日

 『生徒は毎年、卒業していくけれど、先生はずっと学校に残って同じことを繰り返す。先生には卒業がない。退職する日までは・・・。
 卒業式の日、よく思っていたこと。卒業する生徒には新しい場所で、新たな出会いと学びがあるんだなあ。羨ましいなあ・・・。私はどうだろう。

 私は彼らが卒業したあとも、また同じ枠組みの中で、しかも、自分で考え納得したこと「ではない」枠組みの中で、それが最善だと信じている「ふり」をして、生徒の前に立って、なんとかしのいでいかなければならない。

 文科省や県の教育委員会は、しょっちゅう新しいことを考えて、押し付けてくる。「そんなことバカバカしい!」「はあ?なんで?」とほぼ全ての教員が感じていたとしても、強行する。変革とは現場の教員が考えて起こしていることではない。

 私は真面目に考えすぎているのかも知れない。でも逆に言うとなぜ他の教師は「真面目に考えないのか?」とも思う。なぜ「反対もしないのか?」とも思う。「反対しない」「自分の考えを言わない」「NO.と言わない」人たちだけが教員として現場に残っている気がする。上に立つものは裸の王様。
 
 何も意見が出ない職員会議。みんなわかったふりをしているだけ。「成長しない組織の代表」みたいなのが今の「学校」ではないか。全てが前年度の踏襲・・踏襲・・・「変える」「変わる」ことを極端に恐れる人たちの集団。理由は面倒くさいから。教えることに情熱を持っているというより、公務員の恩恵にしがみつきたい人。

 教師が一番、学ぼうとしていないのではないか。そんな印象を受ける。

 生徒に対する断定的な評価。決めつけ。その人間の1部しか見ていないのに、決めつけるのだ。生徒の時も、教員になってからも、すごく嫌だった。「お前は〇〇だから」それは教師の職業病。生徒が先生の顔色を見ていい子の振りをしているだけって気づかない?嫌だと思っても言えないのをいい子と思ってる?学校という狭い価値基準の中で人を判断しないでくれる?

 今の組織にいる人を「魅力的な人&そうでない人」「チームとして働ける人&そうでない人」に分類すると、ネガティブな印象の人が多い。

 私は十分にこの職業をやってきた。長い年月・・。もうそろそろ卒業したい。
 
 去年、そのことを1度、上司に口にした。その時、上司からは、『〇日までに(あと3日後くらい)「辞める」と表明すればそれでOKです』と言われた。

 私「ええええ~(笑)そんなに簡単なことなの~?(笑)」と拍子抜けした。とりあえず「わかりました。考えてきます」と返答したが、その時、私の心がとても晴れやかに軽くなったことに驚いた。この仕事を辞められる、と思った瞬間に、だ。心が軽くなって嬉しくなったのだ。
 
 私は「今までだいぶ我慢して働いてきたのだな」と思った。自分自身に「お疲れ様」と言いたい。様々な経済的な段取りがまだだったので、結局はもう1年、働くことにしたが・・その決断を実は後悔している。

 スパっと辞めればよかった。

 人生の時間は戻らない。私は一生懸命働いてきたのだから、これからは、もっと「自分のために」人生の時間を使うべきだ、と。いつも私が考えてきたのは「自分のこと」ではなく「他人のこと」だった。
 生徒のこと。生徒の将来のこと。自分の家族のこと。家族の経済的なこと。家族の精神的な問題、などなど。離れていても、家族の問題はいつも頭から離れることはなく、私を精神的にしばりつけていた。
 
 今、思う。自由になろう、と。

 今の職場で働いていて、私の人間関係は職場のそれが全てだ。しかし、この人間関係が、私の人生によい影響を与えてくれるとは思えない。もっと、私が私らしく生きることで、人生に必要な「本物の出会い」がきっとあるのではないか・・そう思える。

 この3月で退職しよう。そう考えている。人生の残り少ない時間を自分で納得できることだけに使って生きたい。体がまだ動くうちにやりたいことをやっておきたい。好きな人たちに囲まれて生活したい。そう思っている。我慢して生きる・・仕事のために生きる・・そんな人生の時間の使い方はやめよう・・そう思っている。』

 はあ・・(溜息)

 上記の記事を書いていたのが今からちょうど1年程前だった。この1年間は、これで最後だと思って一生懸命ベストを尽くしてきた(つもり)。
   
 実は10月にもう一度、辞めたいと上司に訴えた。

 上司には「あなたはこの職場に必要な人だ」と言っていただいた。そのことについては有難いことだと思っている。内容的には、次年度に大きなイベントごとがあるということと、最終学年を担当するということがある。
 「もちろんご自身の決断が最優先されるのでよく考えてご判断ください」と。結果として私は、「あと1年」残ることを決めてしまった。

・・・卒業延期・・・

 この先の1年という時間を考えると・・途方もなく気が滅入る。やりきれる自信がない。
 
 もちろん、最後に決めたのは自分だが、最近、頭と心と体が分離してフリーズすることが多くなった。健康不安もある。大きな原因は心的ストレスだと思う。・・・これは私自身が「真面目過ぎる」「完璧主義」な性格から起因していると思う。「きちんとやろう」「どうせやるならここまでやりたい(やらねば)」・・そういう気質が、自分で自分を追い詰める。これは自分の良さであり、同時に弱点でもある。

 私が、総合的に心から信頼できる人が職場に1人だけいる。その方に来年度は、部署を援助してくれないかと依頼している。出来る人なので色々なところで必要とされているようだから、ヘルプは難しいかも知れない。でも、彼女のヘルプがなければ私はこれからの1年をやっていけそうにない。仕事が出来るってどういうことか。それは単に仕事が速いということではない。

 彼女は、人を冷静に見ることが出来、公平な判断ができる。人の悪口は決して言わない。優しさもあり、今何をしなければならないかを素早く判断できて、最良の仕事をしてくれる。彼女とチームで働くと、こちらが言わなくても、その前にやるべきことを考慮して動いてくれる。いつも感謝しかない。言われる前に動ける・・それも、キツイ感じではなく、他者への配慮をしつつ、当然のように動いてくれる。今の職場には、希少な存在だ。信頼できる人が1人でもいて本当に良かった。
 
 ・・自分の置かれている状況について、上司には早めに本当のところを相談しておこうと思っている。

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