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これからどのように生きてゆきたいか死んでゆきたいかそれぞれが直感に従っている

コロナワクチンと称する液体の中に何が入っているのか、真実を知っている人は限られている。いろいろ調べている人がいて、情報として聞こえてくるものもあるが、真実かどうかは判らない。

ことごと同様に、2020年の初頭から世界を一変させた、いわゆる新型コロナウイルス感染症なるものにしても、まず、そのウイルスや感染症の存在からして疑わしいとの情報は早くから聞こえていたし、そもそも、一般に言われるところの【ウイルスというものが存在して病原体となって様々な病態を引き起こしている】という、これまで、ごく当たり前に常識として捉えられてきたような考え方も、実はひとつの仮説にすぎず、絶対的真実ではないといったような情報まで届いてくる。そして勿論、こうした情報を真っ向から打ち消す類の情報も、負けじと放散されている。

結局のところ、個々の人間がどの情報を信用するかという問題なのだ。情報の絶対的な正しさを追求し尽くすわけでもなく、そこそこのところで「これは正しい」と受容する。どれだけ情報を集めても、何が真実かを決定づける絶対的な線引きはできない。結局のところ、信用できる情報だけを選りすぐっている。自分の気持ちに素直に、おのれが心地よく感じられ、信用に値する情報だけを採用している。裏付けとなるデータや理論も、それらを承認できるのは、最終的には信用できると判定するからである。

では、その信用が、何を以って信用に値するのか。突き詰めるところ、それは直感である。

まさしく直感的に、いわゆる新型コロナウイルス感染症なるものは、さほど恐れることもないと感じた------その一瞬で、私の、この問題に関する姿勢は決まったようなものである。「なんだ、そんなことなのか」と一笑にふす人がいるだろうが、その人だって同じで、自分の直感でこれは信用できると判断する情報だけを掻き集めながら、こんにちに至っている。他者を笑う前に、一度しっかり自己の認識の成り立ちを見つめ直してみると良い。

何が正しいのか、正解なのか、とか、間違っているのはどっちだ、ということではない。日本でも、すでに7割以上の国民がコロナワクチンを射っているのだそうだ。7割という値が事実かどうかは重要ではなく、コロナワクチンを射ったとされる一定数の人びとと、それ以外の射っていない人びとが、実際に、それぞれ存在するという現実があると、ここで言えるのはそれだけである。

未来のことは、よく分からない。予想できる部分はある程度あっても、本当にどうなるかは、そのときが来ないことには「言いたくても言えない」。

もう準備は整ったようなものだ。あとは、何が起こっても動じないこと。いよいよ覚悟を決めるとき。否、おのずと覚悟はできている。

自分の直感に従い、心地よく信用できる情報に導かれて今日があり、現実があり、そして明日がある。


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