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子育ては親を育てるって本当だった#56

分かっているのに思うようにいかない。いや、そもそも思うようになると思っているのが違うのかもしれません。

今回は子どもとのやり取りの話。是非お付き合いください。


◯私の子育て観

我が家には来月4歳になる長女と、月齢9ヶ月を迎える次女の二人の子どもがおります。次女は自分の好みが出てきたり、やっと?興味関心が湧き出して動こうとしていたり。結構マイペース。今回は長女のお話。

長女が生まれたあと、Voicyパーソナリティのモンテッソーリ教師あきえさんのチャンネルと出会い、モンテッソーリ教育の基本的な考え方に共感して本を読んだりセミナーに参加してみたりして学びました。

  • 徹底的な観察から構築された人間の発達がベース

  • 子ども(赤ちゃんも)には育つ力が備わっている

  • 発達段階に合わせたかかわりと環境設定が重要

  • 親のマインドセットを変える(やってあげる→できるように見守る、手伝う)

  • 一人の人間として尊重する心

上記以外にも様々なエッセンスを受け取りました。
親は自分の親にどのように育てられたかをベースにした育児になりがちです。日々変化する子どもの姿。どのようにかかわればよいのだろう。何がしてあげられるのだろう。今日もうまくいかなかったな。何であんなこと言っちゃったのかな。毎日毎日心が揺さぶられる。これでは心が保たない。

育児に正解はありませんが、長い年月を掛けて構築されてきた理論を学び、それをもとに実践することは有効ではないかと思います。様々な育児における理論や教育観がありますが、その中から何を選択するかは親である私の価値観との共感度が高いものを選びました。

人間は生まれてくるその瞬間から、誰かの支えを必要としています。他の動物に比べて発達が未熟な状態で生まれるのは、完全に一人で生きていくことはできないとか、交換ではなく無償の贈与(愛情)が重要であることとか、様々なことを教えてくれるためだと言われていたりします。
そして、人と人が支え合い生きていく。家族という最小単位のコミュニティを飛び越え、いまや世界中の人たちと何かしらの関係性を持ち生きています。そういう人と人との繋がり(目に見えない輪)があることをあらゆる生活場面や子育ての中で実感します。

人間の発達をどのように捉えるか。そして、赤ちゃんであろうと一人の人間として尊重し、あなたの人生の決定権派あなたが持っているという考えのもとで、あらゆる選択が自分でできるようなかかわりを発達段階に合わせて行っていく。自分で感じ、考え、行動する。それが当たり前にできる人になってほしい。そんな願いを親として持っています。

◯乱される心の内側

とはいえ、日々はそんなに甘いものではなく…受け入れてやっていくしかないもののかなり心を揺さぶられます。

大人になるにつれて少し先の未来を予測することができるようになります。時間を見ながら今やるべき行動を選択することができます。〇〇時には家を出発するには、今これとこれをやらないとな。そんな風に考えることができるのは脳の発達が進んだ証。
でもまだ幼い子どもは、経験的にも発達的にも未熟であり、そのような考え方はまだ難しい。だから、まさしく「今」を生きています。「今」という一瞬一瞬を全力で生き、その一瞬を積み重ねています。

出かける時間間際に目についたおもちゃが気になってしまって遊び始める。お風呂上がりに着替えずに遊び始める。独自の世界観に没入して聞く耳を持たない。挙げればキリがないくらいに…😂

私は、そんな子どものペースは最大限に尊重したいと思っています。何かに没入できることの素晴らしさすら感じています。「今」という時間を大切にして、時を重ねることができるプロフェッショナルだなと思います。

ただ、私の心を揺さぶってくるものがあります。それは、時間です。当たり前の話ですが、私たちは一定の生活リズムを保ちながら食事や睡眠を取り、そして仕事にも行っています。時間という枠組みの中で、やることを割り振っている。子どもの主体性を尊重したい。だけどもう待てないぞ…そうなってくると知らず知らずのうちに心が引きずられてしまう。言葉尻がキツくなってしまう。

「もうすぐ出発するから歯磨きできるかな」
「準備はこれとこれとこれがあるけど、何からやろうか」

こんな声かけをしていたのに…

「何でまだやってないの?」
「もう行かないと間に合わないよ」
「先に行っちゃうね。」
「もう勝手にして😭」

こんな声かけになってしまうことが多々あります。子どものゴーイングマイウェイな姿に時間の制限が掛け合わされると、どんどん私の心はサポーターという姿勢からかけ離れてしまいます。

最短距離は、子どもの今やりたいことを尊重し、突き放すとか見放すではなくしっかりと話を聞くことだと思っていますが、真逆の行動を取ってしまうのです。
分かっているのに…何故毎回こうなってしまうのか。モヤモヤした気持ちのまま仕事に出かけ、帰宅後に子どもに謝るという日も珍しくありません。

◯それでも知識が重要な理由

それでも次はこうしてみようかなとか、今回の記事のようなことを書いていけるのは、未熟ながらにも知識があるからです。知識があるからこそ自分の育児実践を客観的に捉えて、私自身の心の動きにも着目することができています。

一日一日は激しく、目まぐるしく動いています。

ある日の寝かし付け(寝落ち)後のリビング…地獄絵図

その中で、分からないを土台とした育児を続けていくのは本当に困難だと感じます。知らないまま、出口が見えないまま歩き続けることが苦痛であるように、育児も「今」という瞬間の子どもの状態を捉える知識がなければ、自分自身の行動がとても感情的で統一感のないものになってしまいます。
それは、子どもの発達にとっても良いことではなく、言っていることが違うとか、怒られるからやめておこうとか、主体性を育むことを阻害してしまいかねません。

だからこそ親が学び、学んだ知識を以て実践することが重要なんです。繰り返し繰り返し知識学習と実践による学習を重ねながら、子は育ち、親も人として成長する。こんな子育てをしていきたいと思っています。


最後までお読みくださりありがとうございます。。
ではまた。ゆうちゃんでした!

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