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辞めるという選択と確証バイアス#54

大学を卒業して約10年ほど勤めた職場を離れる決断をしました。私がいたのは福祉業界でしたが、いわゆる福祉施設とは異なり、地域に小単位で事業所を点在させ様々な活動を展開しています。障害を抱えていても一人の市民として当たり前のように暮らし、働く。その実現に向けて事業を通して地域に住む人や企業・団体などと接点を持ち、障害の理解を広げていくことにも取り組んでいます。

今の職場がやっていること、やろうとしていることには私自身も共感性が強く、また関心も高いのですが今回辞めるという選択をしました。


◯家計と向き合ってわかったこと

一般的に福祉業界の給与水準は低いと言われています。この一般的にというのは、世間ではとりわけ福祉=介護と思われがちなので…つまり福祉業界は低賃金と聞いたときには、介護職の人は低賃金という脳内変換が行われていると思います。私が勤めているのはジャンルで示せば障害者施設ですが、冒頭にも書いたように様々な取り組みをしています。福祉業界の給与水準については是非過去記事をご覧ください。


さて、私は住宅取得時に生まれて始めてライフプランニングを行いました。家計の見える化をしたわけですが、とはいえ住宅取得時は住宅ローンを無理なく返済していける額を算出する手段という意識のほうが強かったので家計と向き合うことまではできていませんでした。

その後、第二子が生まれるということで、妻とともに家計の見直しに取り掛かることになります。現在の年収をベースに子どもたちが成人してひとり立ちしていくまでにはいくらぐらい必要になるのか。教育費だけでなく生活費や住宅維持費や自動車維持など、我が家に掛かるお金を洗い出してシュミレーションしました。そこで見えたことは、夫婦二人の収入で生活できなくはないが余白はないということでした。

ちょうどその頃、Voicyをきっかけにして様々な学びの機会を持つことになります。大河内薫さんの発信では『お金とは何か?』ということを、そして木下斉さんとの対談では家計管理と向き合う重要性を学びました。お金はあればあるほど豊かになるというものではありません。単なる道具。自分にできないことを他者に依頼するための手段なんです。つまり、自分たちにはどれくらいのお金があればよいのかということを算出しそこから逆算して今の世帯の収入を考える必要があります。家計とは単に月々のやりくりということではなく、(1つの家を会社という単位で考えれば)家の経営(家経)という捉え方もできます。まず見直すのは支出ですが、それでも不足するようなら収入構造を変えていく必要があります。

◯自分の人生の重ね方

今の職場はとても居心地が良いです。良すぎるくらいです。何で居心地が良いのか考えてみました。

・コミュニティの前提

まずコミュニティをどう考えるかという前提を共有します。昨今、多様性(ダイバーシティ)という言葉がキーワードになっています。企業においてもDE&Iなんかも言われていたりします。社会という単位で考えたときに、人種や性別や生育環境や…あらゆる個人を形成している要素にかかわらず等しく人間として扱われるべきだよねということは私は必要だと感じます。公共性の高いもの(学校など)においては必要条件です。ただ、コミュニティにおいても多様性って必要か?という疑問があります。
私は、コミュニティは一定の参加要件(区別)があるものだと考えています。自分に近い考えの人がいて共感性が高いとか、居心地がよいとか。参加要件によって入れる人を線引きしているからこそ、そのコミュニティ内において安心感を得ることができるのではないでしょうか。

・共感性が高すぎる→同調性の高まりへ

上記のコミュニティの前提に基づいて進めます。私の居心地の良さは、同僚に私と近しい考え方の人が多くいて話が通じるからだと思いました。今まではその部分に居心地の良さを感じていたわけですが、それって危ないかもと感じるようにもなりました。議論において反対意見が出ない。新たな気づきに繋がりにくい。共感し合って気持ちよくなって終わる。こうした点に疑問を抱くようになりました。
とちらかといえば左派的な思考性が強めな団体ですが、だからといって全員が同じ考えってあり得ないと思いませんか。ですが、所属団体の職員としてこういうことを言わないといけないという目に見えない集団浅慮が働いているように感じます。個人の価値観や思考を否定せずに尊重し合うことが重要であるという風土が職場にはありますが、個の考えがありのままに出てくることはないのです。

そんなこんなで、今の職場で働き続けることがよいのかという問いが私に立ちました。さらに、これからの長い人生において、今の職場が唯一なのか?と考えれば、まったくそんなことはないという結論に至り、今と異なる経験をしたいと決めました。
何がやりたいのかと聞かれれば、分からないと答えるしかありません。そもそもやりたいことは降って湧くものではなく、どんな経緯であっても自分がやってみたことに面白さを感じたり親和性を感じたりする中でどんどんハマっていき、気づけばやりたいことになっていたということの方が真理ではないかと思っています。なので、何をやるかということはそこまで重要ではなくて、今までの経験も活かしながらまずはやってみることが必要かなと思います。

◯確証バイアスは意識した方がよい

上司に退職の意向を伝えたところ、(今の世の中では立場上言えないことの方が多いと思うのですが)退職理由を聞く姿勢でいてくれたことには感謝しかありません。(どうしても労働者の方が強気に出れる仕組みにはなっているので…労基署に飛び込まれたら溜まったもんじゃないから思ってても言えないことの方が多い。)

結局、退職の意向は受け入れてもらったものの、その理由の部分に関しては理解が得られた感じはありませんでした。

  • 職場内にも4人家族でやれてる人がいる

  • 生活できない給与水準ではない

  • 自分も何とかなっている

私自身も生活が成り立たなくなるほどの低水準だとは思いません。日々の生活はやっていけると思います。
ただ、給与上昇率が高くなく、特にこの2-3年は物価上昇率に届かないため、額面は増えているようでも相対的な収入は減っています。

どうしてもそうなってしまうので仕方がないと思うのですが…
私はこれからの将来に対するお金の心配があることや、自分と子どもの経験・体験に時間やお金を投じたいという話をしています。一方で、上司はこれまでの生活はやってこれたという結果をもとにした話をしています。なので合致点が生まれないのだろうと思います。

あらゆるモノやサービスの値段が今後上がっていくと思います。特に、高齢者人口がまだまだ右肩上がりの一方で、労働人口はどんどん減っていくことがわかっています。その中で、需要が供給を上回り、取り合いのような形になっていくことが考えられます。そうなってくると優先されるのはお金を払えるかどうかに行き着く気がしています。
今後ますます分断が進むわけです。経済的な面でも自分たち家族の暮らしの安心を守っていくためにも、その手立てを講じていく必要があると思っています。

実際に退職の意向を伝えてみると、色んな思いが頭を駆け巡ります。

  • この選択は正しかったのか

  • 同僚を裏切るかたちになってしまわないか

  • 業務負担をかけてしまうな

などなど。
そして、それらを打ち消すかのように(自分の選択は正しかったと思いたい)、自己肯定に繋がる情報ばかり取りに行ってしまうようになりかねないのです。これを確証バイアスといいますが、自分の思い込みが強すぎて「〜しなければならない」と偏った考えになってしまうことがあるので意識した方が良いです。

上記の思考が巡るのも、今の職場の中でしか生きたことがないからだろうなと感じます。そして、どの点についても答えはいくら考えてもわからないものです。それによって踏みとどまることも考えられたのですが、やはり行動を起こして自分の働く環境を変えてみるということは必要なことだと思います。


最後までお読みくださりありがとうございます。
それではまた。ゆうちゃんでした。

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