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稼ぐってどういうことなの?#51

気がつけばnoteの更新が50本に達していました。とはいえ、始めたのは10月末なので、約4か月(120日)で50本。平均して2日半に一本の更新のペースですね。子育てを理由にしてはいけませんが、日々の生活に変数が多い分、時間の確保がなかなか難しいと実感しています。この実感は、noteで発信するとか、本を読むとか私が主体的に何かをしようと思い、行動したからこそ得られたものです。それまではものすごい速さで一日が流れてしまっていて…意識しないと本当にあっという間に一年が終わってしまうものなんだと時間の貴重さが身に沁みます。

FP3級の資格勉強もしていますが、その一方で世の中の経済についても本を読むなどして学んでいます。FPの資格を活かして仕事をする、これは人生におけるお金にまつわるあれこれを扱う仕事。今の社会がお金(資本)を軸に回っている事実があるので、その仕組みの理解を深めないことには資格取得のためだけの学びになってしまいます。つい今朝まで読んでいたのがこちらの本です。 #みんな知ってるよ


○お金のむこうに人がいる(田内学著)

田内学さん著「お金のむこうに人がいる」。多様な具体例とともに経済の羅針盤を作り上げながら話が進みます。専門用語はほぼ無し。初心者にもとてもやさしい本だと感じました。“お金とは?”“経済とは?”そんな漠とした疑問が少しだけ解消しました。少しだけ…です。簡単な言葉で語ってくれているので、分かった気になってしまう危険もあると感じるのです。受けとったメッセージを自分の言葉として使いこなすことができてはじめて理解したと言えると思います。

私が読んだ中で印象深いのが、

  • お金の総量は変わらないこと

  • お金は様々な人、会社、社会、国の財布と財布を移動しているだけ

  • 誰が働いて、誰が幸せになるか(効用を感じるか)がポイント

この3つを知れただけでも大きな学びでした。手元にある現金、通帳に書かれている残高(数字)、証券口座で増減する運用益(数字)、行政や国家予算・国債(数字)、年金の運用益(数字)など。これらの数字の見方や、ニュースの見方がとてもクリアになりました。

経済効果とか、GDPとか、お金を用いた指標がたくさんあります。中には単位が億とか兆とかで…正直イメージは全くわきませんでした。でも、何を見ればよいのかがわかるとニュースが分かるようになります。お金に価値があるのは、みんながお金(貨幣)に価値があると思っているからなのであって、本質はそこではありません。誰が働いたのか、そしてその労働によって誰が幸せになったり効用を得たりしたのかという、人間を軸とした考え方が重要です。

○労働人口減少問題はどうする?

日本国憲法の27条には働く権利と義務が国民にはあると書かれています。そして30条には納税の義務があります。つまり、国民である以上は働き、税金を納めることが必須条件。

総務省より

現在の日本の人口は1億2,000万人ほど。そのうちの約3割が65歳以上の高齢者であり、その数と割合は年々増えていきます。そして、既存の社会保障制度ではお金を未来に先送りにすることはできず、現役世代(生産労働者)が支払っている年金や医療費によって高齢者の社会保障制度を支えています(お金は年代を表す横の移動はできても時間軸を表す縦移動はできない)。ですが、現役世代の数が減り、高齢者の割合が増えていっている今、一方は減り、もう一方は増えるという実質の減少値は大きくなっています。

今後ますます高齢化は進み、さらには少子化も進んでいるために一人当たりの現役世代が支える高齢者の人数(負担)は増えていきます。現役世代が稼いだお金は高齢者の財布に均等に分配される。医療保険の一部も後期高齢者保険制度に充てられているとなると、さらに現役世代の財布⇒高齢者の財布へとお金が移動していると言えます。このお金(数字)の分配(移動)だけを追っていくと、お金を吸い取っている高齢者が悪いとなってしまいかねません。ですが、数字ではなく人に焦点を当てると見えてくるのは、お金以上に働く人がそもそもいないから移動できるお金もなくなるという現実的な問題です。

日本全体的な人口減少。とりわけ若い世代がどんどん少なくなる。一方では高齢者人口はしばらく増え続けます。誰が介護する?誰が医療費負担する?誰が…となりかねない状況です。どのようなお金の使いかたをすれば、人々の暮らしが豊かになったり、自然が守られるのか。自分の財布からお金を外に出すときに、どこの誰にどのように渡し、そしてどのような働きをしてもらうのか考える必要があると感じます。

それには、自分が好きなものを一つ思い浮かべて、そこにかかわる人たちをイメージしてみるのが良いかもしれません。

○一杯のコーヒーに関わった人はどれくらいいる?

私は自宅でコーヒーを淹れて飲むことが大好きです。ゆったりと流れる時間。コーヒーアロマの癒し。ぽたぽた落ちるコーヒーの雫の音。淹れた後の最初のひとくちの心地。どれも最高です。
では、このコーヒーを飲むという過程に関わった人を想像して書いてみます。(不足があるかもしれません)

まずは、生産者です。コーヒーノキが良く育つのは赤道を挟んで北緯25度~南緯25度のコーヒーベルトと言われているエリアです。

キョーワズ珈琲

コーヒーノキの栽培に関わる生産者。そして、肥料や農薬の提供者。もしかしたら草取りや収穫や精選のボランティアで地元の人も関わっているかもしれない。卸業者または加盟店(日本の農協的な)、輸送業者、輸送用コンテナを作っている人、造船業者、買付人、仲介卸、配達業者、カフェ運営者、デザイナー、各種器具を作る人たち、インフラの整備、、、あげれば無限にありそうです。私がコーヒーを購入して飲むことで、これだけの人たちのお財布の中に私のお財布からお金が流れていきます。それによって、私はコーヒーを飲むことができています。

それはそうだろと思うのですが、分かっていても気がつけば目の前のお金に目がくらんで見えにくくなってしまうのだと思います。どのような流れをしているのかをよくよく見ていくことがとても重要なんですね。

●自分の財布にどれくらいのお金が入っていればよいのか

お金の総量は変わらない、財布間を移動しているだけ。つまり社会(世界)全体のお金の量は決まっているからお金を増やすとか減らすとかは本質ではないという話。でもここがまだしっくりこない。今の世の中で私たちは生きている。お金というツールを用いて誰かに働いてもらい、その効用を受け取る。それで世の中の人々の暮らしが成り立っている。現代は、お金があるから他人に働いてもらうことができる。経済的に困窮状態にあれば、生活保護など活用できるものもある。

「結局、自分の財布にはいくらあればいい?」

多分難しく考え始めちゃっているのだと思う。お金が入っているから誰かに働いてもらえる。その逆で、お金が入ってくる仕組みも作らなきゃいけないのだと思う。世の中には稼いでいる人と、稼ぐことができない人がいる(今の資本主義というルールの下では。という注釈付きだが)。差はどうしたって生まれる。目の前の商品やサービスの値段は上がっていく。でも毎月の給料はほとんど変わらない。つまり実質の給料は減っていることになる。福祉業界の給料が上がらないというのは、社会の人々から必要とされていないからだろうか?
労働に見合う対価とはどれほどのものなのだろうか。必要なところに適切にお金が分配されることが望ましい。少し豊かな人は、正しいお金の流し方をする必要がある。その行動によって、誰が働き誰が幸せになるのか。この文脈で考えたときにお金を払っている人たちは福祉(広くは社会保障)の効用を受け取れているだろうか。

全体の仕組みはぼんやりと見えたけど、じゃあ自分の暮らしは?という問いが残った。もっともっと思考を巡らせたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた。ゆうちゃんでした。

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